反日・反米思想植え付ける沖縄「平和教育」
2010年7月9日7時56分配信 産経新聞
【揺らぐ沖縄 すり込まれた「反基地」】(中)
沖縄県では毎年、6月23日の「慰霊の日」が近づくと、県内の各小中高校で、昭和20年の沖縄地上戦を題材とした平和教育の特設授業が行われる。
だが、その内容たるや、「平和教育」から大きく逸れたものとなっている。
「実際は沖縄の民が公民化を強いられたなかで、いかに苦しんで死んでいったのかを教え込み、日本軍を悪として悲惨さだけをたたき込む。鬼畜日本兵、鬼畜日の丸、鬼畜君が代だ。その結果、愛国心のない子供を増やしてしまった」
かつて教壇に立った70歳代の元県立高校校長は自戒を込め、こう語る。
30歳代の県立高校教員も「戦争の悲惨さではなく、日本兵がどれだけ悪かったかを知らしめるビデオを流すことが多い。悲惨さを強調し、誤った歴史観をすり込むことで、反日感情と被害者感情を植え付け、それを闘争に利用しようとするのだ」と指摘する。
この教員によると、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市の移設問題に関し「また沖縄は日本の犠牲になる」と生徒たちに教える教員もいるという。沖縄教職員組合(沖教組)と沖縄県高等学校障害児学校教職員組合(高教組)の非組合員でも、そう洗脳される教員がいるとし、こう警鐘を鳴らす。
「日本があって沖縄があるはずなのに、授業ではそれを否定することから始まる。怖いのは、おのずと反日意識がすり込まれ、沖縄県民の目線でしか考えられないように教え込まれてしまうことだ」
◆「侵略の歌」
沖縄に進出した日教組の方針は、教育現場にいかに影を落としたのか。
本土復帰後、指導主事だった前出の元県立高校校長は、「こんなに驚いたことはなかった」と振り返る。
沖教組から突然、授業での歌唱を禁止する楽曲をめぐる“指導要領”が教員たちに出されたのだ。
「生徒に『荒城の月』を歌わせてはいけない。なぜ、こんなものを教えるのか、なぜ、花鳥風月を教えないといけないのか」
「軍隊行進曲は自衛隊を軍隊にする歌だ」
「『行ってみたいなよその国』の詞がある童謡『海』は、侵略の歌だから学ばせてはいけない」
先に紹介した高校教員も、沖教組が主導した教育の弊害を肌で感じた一人だ。
「東京の大学に進学し、それまで自分が沖縄で受けてきた教育が間違いだったと気づいた。自国に尊厳を感じさせない教育だった。自分が何人かというアイデンティティーがかき消されてしまっていた」
◆誤った皇室情報
この高校教員によると、小中高時代、自宅では祖父母が天皇陛下の写真を飾っていたが、学校では日本軍は悪だと教えられた。皇室に関する正しい情報はなく「天皇家は税金の無駄だ」と教えられてきたという。
「当時、国歌を聞くとゾッとし、国旗を見るとドキッとし、万歳をすると気分が悪くなった。生理的に拒否反応を示していた。平和教育の名の下に『日本軍=悪』という認識が植え付けられてしまっていた」
学校現場では、何が起こってきたのか。
本土復帰から8年後、当時、中学生だった40歳代の男性は、「かつて日本軍は最高の軍隊だったが『日中戦争以降は最低、最悪、極悪非道の軍隊だった』と教えられた。天皇陛下は本の中だけの存在で、学校で教えられた記憶はない」と語る。
この男性は11年前、当時小学校一年の長男の担任教員から「音楽の教科書に『君が代』が載っているが、学校では教えない。悲惨な戦争が日の丸の名の下に引き起こされたからだ」と言われた。「国歌はちゃんと学校で教え、判断は子供に任せるべきだ」と抗議をしたが、相手にされなかったという。
◆何もしない教員
今でも沖教組や高教組の主導のもと、学校では同じ光景が続く。
入学式や卒業式で国旗は掲揚されるが、準備をするのは校長や教頭、事務長の管理者で、教員は何もしない。国歌斉唱の際には曲を流されるが、教員は起立はしないうえ歌わない。生徒と父兄は起立はするが、生徒は『君が代』を学んでいないから歌えない。学校では、国歌や皇室の話をしようにも口出せない雰囲気に包まれている…。
前出の高校教員はこう怒りをぶつける。
「30〜40代の教員はまじめだが、その分意味を考えずに、教えられたことを受け売りして子供たちに押しつけているだけだ。いつしか学校では反日・反米教育が根付いてしまった」
普天間飛行場の県内移設に反対一色に染まったかのように伝えられる「県内世論」は、かくして教育現場からつくられていった。(宮本雅史)