快感原則による暴走…いじめという「病理」の背景
産経新聞 2012年9月1日(土)17時0分配信
大津市の「いじめ自殺事件」をはじめ、いじめ事件があとを絶たない。学校でのいじめは、先進諸国でも共通して起きている。大人の社会でもいじめは一般化しており、いわば人間が集団を形成する過程で、不可避的に生じる差異化(差別化)現象ともいえる。
だが小、中学校などの教育現場におけるいじめは、大人社会のいじめとは同列に論じることはできない。生徒同士の接触が濃密なうえ、外部からは観察や監視をすることができない閉鎖性も帯びているからだ。
その中で公然と、あるいはひそやかに行われるいじめの最大の特徴は、「いじめっ子」と「いじめられっ子」の病理が、ほぼ同根であることだ。キッカケさえあれば、容易に移行が可能であり、「いじめっ子」が、ある日突然、「いじめられっ子」になる。
その逆のケースもある。子供たちのあいだには疑心暗鬼が蔓延(まんえん)し、その心理的な負荷は、そうとうに大きい。このさい、腕力の強さなどは、あまり関係はない。「いじめっ子」のほうは、たいてい徒党を組むからだ。
年齢的には、第2の自我形成期にあたる思春期前期(アドレッサンス)に、多く起きる。個体差はあるが、12歳前後にあたる。性に目覚める頃とほぼ重なるため、欲求不満が快感原則にしたがって、いじめの形態もコトバからはじまり、暴行や恐喝、傷害と、容易にエスカレートし、暴走していく。
遠因は幼児期における第1の自我形成期にあり、すでに「手遅れ」という側面も部分的にはあるかもしれない。だが少なくとも学校内では、この暴走を食いとめることができるのは、周囲の生徒か教師たちしかいない。
◆GHQからの贈り物
マスコミがはじめて大々的に取りあげた「いじめ自殺事件」は、昭和61年までさかのぼる。東京都の中学校で、葬式ごっこなどをされた生徒が自殺し、「このままじゃ生き地獄になっちゃうよ」という、痛々しい遺書をのこした。
今回との類似性を指摘し、学校現場での「いじめ対策」はなんの効果もあげていなかった、と指摘する評論家もいる。葬式ごっこには教師まで加わっていたというのだから、当時から教師の質の低下がはじまっていたのであろう。
「金八先生」や「ごくせん(極道先生)」のような熱血教師は、まだまだ多くいると信じたい。だが体罰が許されていないうえ、モンスターと呼ばれる保護者や、事なかれ主義の同僚や上司にはさまれると、熱血の「熱」も冷めてしまう。
戦後、日本に乗り込んだGHQ(連合国軍総司令部)最高司令官のダグラス・マッカーサーは「日本人の精神年齢は12歳」と言ってのけた。「12歳の日本人」に対する最大のおみやげは、民主主義の導入であり、それを担保する新憲法であった。
この過程で、戦前の教育制度は「軍国主義教育」と決めつけられ、教育委員会制度が導入された。地方自治体の長から独立し、教育の中立性と民主制を維持するのがネライであった。
その後、教育委員の公選制を廃止するなど、さまざまな改革がなされてきたが、基本的には教育行政の最高決定機関という地位は維持されつづけた。だが教育委員は、たんなる名誉職という側面が強く、ほとんど形骸化した。
◆不始末を隠蔽する体質
戦後、論壇に華々しく登場した政治思想学者、丸山真男は、みずからが軍隊でいじめられたというウラミもあったであろうが、戦前の軍隊や官僚社会における「無責任の体系」を厳しく批判した。
つねに上に対して色目を使うその習性を「(大奥の)御殿女中」と、少々、品のない比喩で断罪したうえで、上位にいくほど責任の所在があいまいになり、事態を隠蔽(いんぺい)していく日本独自のシステムを鮮やかな手さばきで分析した。
今回の事件でも、現場教師→教頭→校長→教委事務局→教育委員会と上位にいくほど、同様の事態が生じていた。露骨な隠蔽も行われた。8月になって、ようやく取材に応じた市教育委員長の「隠れていたわけではない」というコメントが象徴的であった。
「精神年齢12歳」と揶揄(やゆ)された日本人も、あれから60年以上もたち、すでに70歳を超えた。まだ認知症がはじまっていないのならば、憲法とともに、教育制度も根本的に変えていくべきだろう。
急増する児童虐待にみられるように、人間は時として、不作為であっても残酷な事件を起こす。子供でも、同じような側面を持っている。「12歳前後」は矯正が可能なデッドラインであり、学校や家庭だけでなく、社会全体で庇護(ひご)・監視していくシステムの構築が急務である。(論説委員・福島敏雄)