いじめ追放のカギは“自尊感情”の育成
Business Media 誠 2012年9月4日(火)10時19分配信
8月30日に文科省で開催された第81回初等中等教育分科会を傍聴してきました。
最初のテーマは「いじめ問題に対する取り組みについて」。会議中、分科会長代理の安彦忠彦氏(神奈川大学特別招聘教授)が、次のような趣旨の発言をしました。
「いじめる子は、自尊感情が低い。自尊感情を育まなければ、誰だっていじめっ子になる可能性がある」
傍聴席で「うんうん」とうなずきました。「自尊感情」について、初めて聞く言葉だという方もいらっしゃるかもしれません。コトバンクによると、「自分には価値があり尊敬されるべき人間であると思える感情のこと」と説明されています。この感情が低いと、いじめにつながるのです。
「いじめっ子のタイプは?(子育てナビ)」「いじめについて(益田市立吉田小学校のおたより)」「人権講演会 今を生きる(兵庫県立加古川西高等学校育友会)」といった記事も合わせて読むと、それは「間違いない」と思いませんか?
そして残念ながら、日本の子どもは米中韓の3つの国に比べ、自尊感情がとても低いという結果が、財団法人日本青少年研究所の調査で明らかになっています。「日本社会からいじめの発生を極小化させるためには?」の解として、「自尊感情を育むこと」は落とせない項目だと断言できますね。
そのためにできること。何よりも、子どもをほめる機会を増やすことが大事です。これは、先日、三島市で講演された、教育評論家の親野智可等さんも、何度も強調されていました。山形新聞のサイト「わいわい子育て」の親野さん講演会のレポートにも書かれています。
「ほめる」ことと「甘やかす」あるいは「おだてる」ことは、形だけ見るととっても似ていますが、本質は全然違います。「ほめる」こととは、実際に「良い」と思えるところを発見して、それを表現すること。ここには保護者の積極的関与と、子どものためを思う真剣な気持ちの投影があります。
「甘やかす」こととは、良いことではないことを放置したままにしたり、「自分の子」だけを過剰に守るために「○○ちゃんはいい子だからね」と表現したりすること。ここには保護者の消極的関与と、子どものためではなく自分自身のためという保護者自身の欲の投影があります。
少なくとも「私、甘やかせていないかしら……」と心配する保護者の方は、子どもへ積極的に関与する姿勢が見えますので、意識して「ほめる」自分を作っていく方が、子どもの自尊感情向上につながると思います!
また、自尊感情の向上は、学力向上に直結します。何より、勉強しようとする姿勢が育まれますから。親野智可等さんも同じことをおっしゃっていました。
●社会全体で育みたい3つの態度
さらに、自尊感情の向上のため、1人の子どもへの働きかけ、だけではなく……大人が創る社会全体で育みたいと感じている態度を3つほど挙げます。
1.子どもに対しては「勉強ができる」以外の「いいところ」をどんどんほめよう!
まあよく言われることですね、「勉強ができる」以外の「いいね!」を見つけて表現しよう、ってこと。これだけ盛んに言われていても、「子どもの自尊感情が低い」という結果が出てきているのであれば、まだまだ社会全体に勉強以外の「いいところ」をほめる行為が足りない、ってことなんでしょうね。
子どもが親切にしてくれたら、「ありがとう!」と元気に言いませんか? 子どもが社会のルールを守っているのに気付いたら、積極的に「いい子だねー」と声をかけませんか? 一生懸命に絵を描いていたら「うまいねー」と言いませんか? お父さんやお母さんと話している姿を見たら「家族仲良しだねー」と声をかけませんか?
ほんのちょっとの大人社会からの積極性で、子どもはどんどん自尊感情が育まれます。「ほめる」だけではなく、「おはよう!」というあいさつだけでも、随分変わると思います。
2.「でしゃばり」を許容しよう!
「あっ、それ、私ならできます!」
「私はこんなことをやりました!」
こんな主張、大人社会では何かしにくい雰囲気がありませんか?「自慢」ととらえられて……。「自慢」は鼻につきます。また、チームプレーをあたかも自分ひとりでやったかのように主張する「手柄の横取り」もダメです。
しかし、それを気にするがあまり、「でしゃばる」(アピールする)ことが、必要以上に認められない風土が、日本社会にはある気がします。「和」を尊ぶ日本人だけに。
自分がほんとに、すごいことをやった(あるいはやれる)、と思ったことを、雰囲気に押されて言わずにいると「すごいことが表に出ず、社会価値創造につながらない」「“みんなの足並みが揃って”のことしか評価対象にならず、革新的な提案が出てこない」「みんな心の中では同じように“できる”と思っていることが共有されず、本当はできることもできなくなる」などのデメリットも多いです。
そして、「でしゃばり」を否定しつつも、誰もが「認められたい」と思う気持ちがある、そんな社会が行き着く先は、「相対的に劣位に立つものを叩くことで、自分の立場を変えずに優越感にひたる」ことのまん延だと思うんです。早い話、道徳的に誰もが「ひどい」と感じる事象を必要以上に叩くことで、胸をなでおろす人が多い社会です(メディアに見られる現象と感じています)。
絶対的に素晴らしいと思えることを、ほんとにちょっとしたことでもいいですから、それをアピールした人間を「すごい!」と言い合える社会。そんな「でしゃばり」を許容する社会の方が、今よりも自尊感情が育まれると思います(米中韓の3カ国を見ると、自己主張をしっかりすると思いませんか? 自尊感情が育まれているから、と見ることはできませんか?)。
3.大人がひがまない!
自分が持ってなくて、他の人が持っているもの。自分にできなくて、他の人ができること。この「自分」が「自分たち」というマジョリティになると、なぜか日本社会は、他の人を、持たない、できないようにするベクトルが働く、そんな気がしています。「ひがむ」という精神構造が影響しているのでは……とも。
これだけはハッキリ言えます。大人社会にひがみがまん延していれば、決していじめはなくならない、と。
できるやつは、できる。持っている人は、持っている。それでいいじゃないですか。
これを認めることから……自分にしかできないこと。自分しか持っていないもの。それを探し、見つけ、自尊感情の芽を心に育めるのではないでしょうか。自尊感情を育む方法はいろいろあるでしょう。ぜひ、みなさんで思いついた方法を実行してほしいと思います! (寺西隆行)