体罰〜県内・指導の現場[2] 元教師たちの記憶

体罰〜県内・指導の現場[2] 元教師たちの記憶
山形新聞 2013年5月2日(木)12時40分配信

 過去5年、県内の公立学校で報告されていた体罰は年間1〜4件程度だった。0件という年もあった。大阪市立桜宮高の生徒自殺を受け、県教育委員会が行った実態調査の結果、体罰の被害を受けた児童生徒は396人に上った。いかに潜在化していたかが浮き彫りになるとともに、体罰に対する意識の変化がうかがえる。

 かつて、悪いことをした子どもが、バケツを持って廊下に立たされたり、親や先生にげんこつを食らったりというのは、お茶の間に流れるアニメの世界で当たり前に描かれていた。松崎学山形大教授(教育社会心理学)は「サザエさん」に社会の変化を見て取る。「30年前はカツオが悪さをすると波平はカポーンとたたいていた。今はカツオの話に耳を傾ける」

 こうした変化を、元教師たちはどのように受け止めているのか。元県立高校長の60代男性は40年前、自身がした体罰を鮮明に覚えている。授業に遅刻し、「床屋に行ってきた」と平然と教室に入ってきた男子生徒を平手打ちした。授業中に弁当を食べ、注意を完全に無視した生徒は胸ぐらをつかんで廊下に放り出した。
 元校長は「別の方法はあったかもしれない。でも、反省や後悔はない」と言い切る。それを機に、彼らとの関係はむしろ深まったからだ。

 元校長は「体罰は許されないことだが」と前置きした上で、「教師と生徒の関係によって一つ一つ意味が違う。事象だけを取り上げて悪とすれば、教育の本質を見誤る。特に管理職の姿勢によっては、教師が『生徒に関わらない方が得だ』と考えるようになる」と指摘。家庭や地域で学び、身に付いているべきことができていない生徒もいる。そういう生徒に対し、教師は親のような役割を担わなければならない時がある。「教師が一人の大人として、未熟な生徒の行為に怒りを持って向き合う指導がなくなってしまわないか」と危惧する。

 一方、村山地方の中学校で教師をしていた60代の男性は、教師が体罰に至る過程を「近道をしようとして悪いサイクルに入ってしまう」と表現する。新採当初は「丁寧に一人一人に合った指導をしよう」と考えていたはずなのに、性急に結果を求めるようになると、子どもの声を聞かなくなり、自分の考えに子どもをはめ込もうとする。しかし、そこからはみ出す子が出てくる。そういう時に体罰は起きるとする。

 自身も30代半ばまでは、顧問をしていた運動部を勝たせたいという気持ちから、体罰を含め厳しい指導をしたという。だが、大会で絶対優勝できると思っていたチームが勝てなかった時、指導方法を省みた。

 元教諭は「体罰に及ぶ先生は自分では気付けなくなってしまう」とする。「体罰までには、叱る、怒鳴るなどの段階があり、いきなり体罰に及ぶわけではない。周囲が危ないと気付き、対応することが大事だ」と強調した。(体罰問題取材班)

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