桜宮高体罰、公開審理へ 裁かれるものは何か
産経新聞 2013年8月27日(火)15時24分配信
刑事司法の受益者である国民が裁判に期待するものは、犯人を割り出して逮捕する警察や、その刑事処分(起訴か、不起訴かなど)を判断する検察に求める機能とは異なり、「公正な観点からの真相解明」であろう。
捜査機関の警察・検察は「事件の加害者である犯人は誰なのか」の立証を優先し、事件の理由を加害者の側に求め、被害者感情を汲(く)み取って刑事罰を要求する。裁判所は捜査と弁護側の双方の主張を聞き、検察立証が正しいか、被告が真犯人なのかを確認し、被告の事情を考慮し、贖罪(しょくざい)意識を促したうえで量刑を判断する。
事件の性格によっては、裁判所が社会の仕組みに不正や不条理の在り処を求め、言及することもある。複眼的な審理視点こそ冤罪(えんざい)・誤判の防波堤となり、事件の真相解明を実現する。こうした重厚な視点こそ、求められる裁判機能なのだと考える。
逆に、信頼を裏切る裁判も存在する。冤罪・誤判は無論のことだが、加えて、「有罪であることは間違いないのだから」との理由で審理を短縮し、早々に結審させてしまう訴訟指揮だ。
これでは、裁判は単なる「犯罪処理装置」と化す。真相解明や贖罪意識の醸成などは到底おぼつかない。関係者の間には憎悪や不信といった負の感情しか残らず、社会は共有すべき教訓を見落としたままになってしまう。
◆検察の問題提起
大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将の2年男子生徒が体罰を受け自殺した問題は、バスケット部顧問だった元教諭が傷害と暴行の罪で大阪地検から在宅起訴された。9月5日に大阪地裁で初公判が行われる。公開法廷の場で、元教諭の刑事責任は判断されることになった。
生徒の自殺で体罰の存在が表面化するという衝撃的な経緯をたどったが、最終的に元教諭の公判を請求した検察の判断は「異例」といっていい。
傷害致死罪と異なり、体罰が物理的に生徒を死なせたわけではない。罪の対象は、生徒が唇などに負った全治3週間のけが。元教諭は事実関係を認め、生徒の家族に謝罪。懲戒免職処分で職を失い、社会的制裁も受けている。
そのうえ、日本は学校の運営、教育は自治に委ねるべきとの考えが強く、警察・検察の関与は抑制的であるのが好ましいとされる。警察・検察にも「体罰は指導との線引きが難しい」との認識があり、従来から立件に積極的だったとはいえない。刑事責任を問うにしても、公開の法廷を開かない略式起訴で罰金刑とするのが一般的な手法だった。
先例とのバランスを重視する検察が、桜宮高のこの事案では、なぜ起訴を決断したのだろうか。
社会的影響が大きい事件となり、被害生徒の家族からの処罰感情が強かったこともある。加えて決め手になったのは、昨年12月の練習試合を記録したビデオ映像だという。ビデオには試合の合間、終了後に元教諭が何度も生徒を殴る光景が映っていた。「プレーが消極的」などとして平手打ちが延々と続き、生徒の顔が腫(は)れて出血する様子が記録されていた。
「指導というレベルではない。教諭による暴力、学校の暴力というべきだ。百歩譲って指導目的だったとしても、これが果たして社会的に許容される範囲といえるか。それが判断の基準になった」と検察幹部。成績評価や進路について影響力が強い教諭は、生徒から見れば「支配的立場」にある。「一方的な力関係にある人間関係の上でなされた一方的な暴行」ゆえ、より悪質だと検察は判断したのである。
◆裁判官は強い訴訟指揮を
大阪地裁はこの事件を裁判官3人による合議審でなく、裁判官1人の単独審とした。元教諭は起訴事実を全面的に認め、事実関係の争いもほとんどない、と予測したからであろう。
しかし、取り上げるべき論点は多いのだ、と指摘しておきたい。ビデオを見た検察関係者はこう語っているのだ。
「暴行自体も執拗(しつよう)だったが、それにも増して異様だったのは、殴り続ける教諭を制止しようとする人間がひとりもいなかったことです」
桜宮高の体罰は「見て見ぬふり」をする人々が存在してきたからこそ、継続してきた。校長をはじめ、教諭たちは異様な体罰を知りながら、なぜ正常化しようとしなかったのか。体罰によって教育、スポーツ指導の効率は上がったのか。体罰を受けてきた教え子はどう受け止めているのか。保護者はどう考えていたのか。当の元教諭はどういう考えで生徒を殴り続けたのか。
被告の元教諭が起訴事実を認めているから終わり、という話ではない。検察のみが立証責任を果たすべき話でもない。弁護人、そして裁判官の三者が協力し合い、桜宮高ではびこっていた体罰の体質の何たるかを、それぞれの立場と職権で解明すべき事件なのだ。
そのために裁判官には強いリーダーシップを訴訟指揮で求めたい。そうでないとこの裁判は、冒頭で述べたような「信頼を裏切る裁判=単なる処理装置」に成り下がってしまう。
大阪ではその後、小学校校長が、大型のシューティングナイフを持ち込んで級友を脅した6年男児らの頭を平手で叩いたことを理由に懲戒処分を受け、依願退職する事態が発生している。市教委には批判が殺到、体罰をめぐって混乱が続く。
桜宮高事件の法廷では、社会が「しつけ」「注意」と「体罰」の在り様を考え、知恵を共有できる審理がなされることを望みたい。それでこそ、悲惨の一言に尽きる桜宮高事件は、意味を持って社会に刻み込まれる。(編集長・井口文彦)