モニター越しに響くビンタの「パーン」 桜宮高体罰裁判、やるせなき法廷
産経新聞 2013年9月10日(火)13時0分配信
桜宮高体罰事件初公判の傍聴券抽選に並ぶ人たち。部活動での体罰をめぐる問題が公開の法廷で語られるため、注目を集めた=9月5日、大阪市北区(写真:産経新聞)
試合中のコート上を平手打ちを続けながら横切っていく顧問。後ずさりをしながらも“間違った愛のムチ”に耐え続けた主将は、やがて壁際に追い詰められていった−。大阪市立桜宮高校体罰事件の初公判が9月5日に開かれた。自殺した同校バスケットボール部主将だった男子生徒=当時(17)=の遺族らは、元同部顧問の小村基(はじめ)被告(47)=傷害と暴行の罪で起訴=を「暴君」と断じ、「大切な命を返して」と訴えた。検察側の冒頭陳述などからは、チーム強化に焦り、指導者として越えてはならない一線を越えていく小村被告の姿が浮かび上がった。
■体育館に響く平手打ち
体育館2階から撮影された他校との練習試合。プレーが中断すると、小村被告が試合に出ていた生徒をライン際に呼びつける。何か言葉をかけたように見えた直後、右手を振り上げ、生徒のほおを激しく平手打ちした。これが事件の始まりだった。
公判では起訴されたうち平成24年12月22日の暴行の様子を写したビデオ映像が流された。裁判官、検察側、弁護側それぞれの席のモニターにのみ表示されたが、閉廷後に会見した遺族と代理人弁護士が、映像の一部始終を明らかにした。
小村被告は冒頭の場面から5秒くらいたってから、左手でもう1発。その後は、徐々に間隔を狭めながら右手で連続してビンタを繰り返し、小村被告の手が振られるたびに、「パーン」という音が体育館内に響き渡っていた。
プレーが再開すると、カメラはボールを追い始め、小村被告と生徒の姿はいったん画面から消えた。しかし、十数秒後、2人の姿はコートの中にあった。
選手交代はなく、同校側は生徒を欠いたままプレーする異様な光景。しかし、小村被告はその傍らで生徒への平手打ちを続けていた。
そのころには、平手打ちは1〜2秒間隔で繰り返されていた。徐々に後ずさりする生徒を追い詰めるようにコートを横切っていく小村被告。暴行は、体育館の壁際まで行ったところでようやく終わった。
解放された生徒は試合に戻り、ボールを手にすると、一目散に相手側に突っ込んでいった。この姿をみた小村被告は「吹っ切れてやっているように見えた」という。
■「今日は血出てないね」
「いっぱい殴られたよ。30発かなー」。この日の夜、帰宅した生徒は母親にこう言った。だが、声は明るく、同月18日に暴行を受けて帰宅したときは口に血が付着していたが、このときはそれもなかった。
「今日は血が出てないね」と母親が声をかけると、生徒は「口はふいて帰ってきたんや。嫌やろ、お母さん」と答え、「何もでけへん俺が悪いねん」「頭が真っ白になって、何も考えられへんようになるねん」と漏らした。
「勉強するわ」と言って自室に入る生徒。母親は「いつもと違う」と感じ、しばらくして部屋をのぞいた。生徒はうつぶせで寝ており、机上にはルーズリーフと辞書が置いてあった。「本当に勉強しているんだ」と思い、扉を閉めた。
翌朝、母親は生徒の変わり果てた姿を発見。慌てて首に巻き付いていたネクタイを切り、床に下ろした。前夜にみたルーズリーフが遺書だったと気づくのは、その後のことだった。
■強豪校の焦り
冒頭陳述や被告人質問などによると、小村被告の体罰は6年、同部の顧問に就任した当初からあったという。
自身も大学まで選手としてプレーしていた小村被告は、同部を大阪府内有数の強豪に押し上げ、15年に全国大会初出場を果たし、その後も、全国切符を勝ち取っていく。
同時に、練習や練習試合などで、部員のほおや頭部を平手でたたく暴行を加えるようにもなった。中には、鼻血を出したり、唇を切ったりする生徒もいた。
体罰は部員にとどまらず、同校生徒に対する生活指導でも行われた。しかし、20年ごろに生徒を平手でたたいたことが市教育委員会で問題となり、「やり過ぎ」と指導を受けてからは、体罰の対象は部員に限られるようになったという。
23年ごろ、同校のバレーボール部顧問が複数の生徒に暴行を加え、停職処分を受けた。小村被告も校長から体罰をしないよう指導され、体罰の有無を確認されたが、「していない」と返答。その陰で、入部したばかりの自殺した生徒に暴行を加えていたという。
翌24年10月、同校バスケ部は部員の不祥事によって部活動を一時休止。さらに、同年11月下旬から12月12日ごろまで、自身の検査入院や、期末考査が重なり、本格的な練習を実施できなかった。
このころ、同部は全国大会から遠ざかっていた。次の新人戦は翌年1月に迫っている。一方、小村被告は被告人質問で「自分もたたかれて育った。経験上、体罰で成長し、伸びた選手がいた」と語っていた。現状に対する焦りがあったのか、誤った育成方法は激化。「チームを強化するために何とかしたかった」と主将だった生徒への暴行をエスカレートさせ、起訴された昨年12月18日と22日の事件を起こした。
■「死ぬと思わなかったのか」
「遺族の声を伝える最初で最後の機会」。遺族はそう考え、被害者参加制度を利用し、法廷に立った。まず、小村被告に直接質問したのは母親だ。張り詰めた空気の中、悲痛な声が響き渡る。
母親「前からずっと聞きたいと思っていた。何発も殴っていたときに、どう思っていたのか」
小村被告「何とかこれで強くなってほしいと思っていました」
母親「自分の息子が部活動中に殴られても、愛があると思いますか」
被告「大変申し訳ありません」
険しい表情で小村被告を見据える母親。被告は視線を合わせず、前を向いたまま声を絞り出す。だが−。
母親「『鼓膜が破れないように気をつけているが、生徒が動いたら(耳に)あたることもある』と言っていたが、生徒のせいなのか」
被告「…」
体罰への認識をただす母親の厳しい口調に、被告は身を固くして言葉が出せない。質問は生徒の自殺へと移っていく。
母親「死ぬと思ったことはないのか」
被告「死ぬとは思っていませんでした」
母親「息子はすぐに弱音を吐く子だったか」
被告「熱心に取り組んでいました」
母親「『殴られてもええねんな』といわれながら、なぜキャプテンを続けたいと言ったと思いますか」
自殺直前、生徒は小村被告から主将をやめるかと聞かれていた。続けたいと答えると、被告から「殴られてもええねんな」と言われたが、続けることを選んだという。このときの生徒の心境を問われたが、被告は答えられない。母親は意を決したように続けた。
母親「私が言います。(息子は)『続けると言わないと話終わらないもん。帰れんもん』と言っていたんです。そんなことも教師として見抜けなかったんですか」
被告「申し訳ありませんでした」
消え入るような声で答える被告から視線を切り、母親は質問を終えた。
続いて立ち上がったのは自殺した生徒の兄だ。
「なぜ、母の質問に答えないのか。何のためにここに来ましたか」
問い詰める兄に、被告は答えられない。そして兄はこう投げかけた。
「あなたは、そうやって答えない弟を殴りましたね」
兄は最後に聞いた。
「あなたの息子に同じようにできますか」
被告「できません」
声は小さかった。
■「すべて受け入れる」
公判は、検察側が「顧問という優位な立場から、指導とはかけ離れて感情の赴くままに犯行に及んだ」として懲役1年を求刑し、遺族の代理人弁護士は「死を招いたことを反映し、検察の求刑よりも重い刑にすべきだ」と主張。弁護側は執行猶予つきの判決を求め、即日結審した。
この日、何度も謝罪を繰り返した小村被告。公判の最後にも「私の行為は、被害者やご遺族にいくら謝罪しても謝罪しきれない。改めて深く反省しなければならない」といい、遺族に深々と頭を下げた。
「裁判所の判断にすべてお任せして、受け入れる所存です」とも述べた小村被告に対する判決は、9月26日に言い渡される。