いじめ自殺を「隠蔽」する名古屋市教育委員会
ニュースソクラ 2015年11月19日(木)17時0分配信
生徒57人知っていたが、教委は「認知できなかった」
名古屋市営地下鉄の駅構内で11月はじめに名古屋市立中学1年の男子生徒(12)が飛び込み自殺をした。男子生徒は「いじめを受けていた」という遺書を残していた。名古屋市教委が直後に実施した同校生徒向けアンケートでは「いじめを目撃した」と20人もの生徒が回答したが、男子生徒宅に謝罪と報告に訪れた名古屋市教委職員らは、「いじめを(自殺するまで)認知出来なかった」と繰り返した。
教職員へのアンケートではいじめを認識している者はいなかったというが、男子生徒がいじめを受けていた事実は間接的に見聞きした生徒を含めると、57人にも上るという。
名古屋市教委が「いじめを学校が認知出来なかったから」という口実で責任回避しようということではないか。これだけの広範囲な生徒がいじめを認識しているとなると、いじめを解決しようという正義感のある生徒や教師が動こうとしたことも充分考えられるが、そうした動きは日の目をみなかったとみるのが妥当だろう。
1994年に兵庫県たつの市の公立小学校で当時小学6年生の息子が体罰を苦にして自殺した内海千春さんの場合も、当初学校側が非を認めて校長・担任教師が謝罪に来たのにも関わらず、後から教育委員会主導で「学校に過失はない事故だ」という主張に引っ繰り返すという事態になった。
2012年に起こった大津市でのいじめ事件でしきりにいじめの事実を隠蔽しようとした大津市教委とも重なるものがある。何故、教委はいじめを隠蔽しようとするのだろうか。しかも学校側が認めていても教育委員会が主導で隠蔽の方向に動くことが少なくない。
教委にとっていじめ自殺を素直に認めてしまうと、失点になるとの心理が働いているのではないか。実は、教委は公立学校の職務上の上司と法律的には解される。一般企業で言えば、部下が不祥事を起こすと、自らの管理責任評価を問われかねないため、隠蔽に動く部課長クラスの社員の姿に似ている。
当事者である学校サイドが、誠意ある対応をしようとしても教委がしゃしゃり出てきて、事件を矮小化してしまうことが横行している。自らの責任を文部科学省などから問われることになる為、「逃げ」を打とうとするのだ。
長く東京都教育委員会で指導主事として勤務経験があり、現在帝京大学教育学部准教授の若林彰氏は、「校長・教頭など管理職や教育委員会がいじめ・体罰などの不祥事を掴んでいなかったということは、自分たちの無能さを示していると言えます」と手厳しい。
若林氏は、東京都教委勤務時代いじめ・体罰などに関していい加減な報告があると幾度も市区町村教委や学校現場にやり直すよう命じることで有名だった。
名古屋市は21年前の大河内清輝君自殺事件以来、陰湿ないじめ事件の多さが目立つ。2年前にも名古屋市立中学生の自殺事件が起きており、第三者委員会が発足した際には、大河内君の父親が委員に加わり「教師が見過ごしているようでは生徒の意識が変わるはずがない」と結論付けるなどいじめ事件再発防止に取り組んで来た。しかし、今回の自殺を防げなかった。教育委員会の「事なかれ主義」の官僚体質が改まらない限り、どうにもならないのではないだろうか。
角田 裕育 (ジャーナリスト)