<取手中3いじめ>市教委、自殺隠す 「突然の死」と説明
毎日新聞 2017/7/30(日) 7:00配信
茨城県取手市で2015年11月、市立中3年の中島菜保子さん(当時15歳)が自殺した問題で、同市教委が自殺の直後、生徒や保護者らに自殺と伝えない方針を決めていたことが分かった。両親は死亡の5日後にいじめが原因と疑い調査を求めたが、市教委は自殺と伝えないまま生徒へのアンケートなどを実施。「いじめは無かった」と結論づけていた。
毎日新聞の情報公開請求に市教委が開示した学校の緊急報告書などから判明した。菜保子さんは11月10日に自宅で自殺を図り、翌11日に死亡。学校が同日、市教委に提出した緊急報告書には「自殺を図り救急車で運ばれた」と書かれていた。ところが市教委は同日夜の臨時会合で、生徒らには自殺の事実を伝えない方針を決定。校長も12日の全校集会で「思いがけない突然の死」と説明し、その後の学校の報告書などでも「死亡事故」と表記した。生徒の自殺があった場合に開催する臨時保護者会も開かれず、自殺は対外的に伏せられた。
両親の要望を受けた学校は15年12月、菜保子さんには触れずに全校アンケートを実施。市教委は3年生にヒアリングをした際、菜保子さんに触れたが、自殺とは明かしていなかった。
市教委は16年3月、アンケート結果を基に自殺は「いじめによる重大事態に該当しない」と議決。直後に記者会見を開き、自殺があったと明らかにした。市教委は事実関係を認めた上で「遺族の意向と受験を控えた生徒らへの影響を考えた当時の判断は適切だった」と回答した。【玉腰美那子】
<取手中3自殺>父「隠蔽に利用された」 市教委、事実伏せ
毎日新聞 2017/7/30(日) 7:05配信
茨城県取手市立中3年だった中島菜保子さん(当時15歳)の自殺を巡り、同市教委が発生当初、自殺の事実を伏せる方針を決め、その方針に基づき調査などを行っていたことが明らかになった。市教委は「子供の心を考慮し、遺族の意向もあった」と釈明するが、菜保子さんの父考宜(たかのぶ)さん(45)は「そうしてほしいと頼んだことはない。当時は気が動転していたのを利用された気がする」と憤る。
自殺を図った菜保子さんが病院で死亡した2015年11月11日。考宜さんによると、学校側から他の生徒や保護者に自殺の事実を明らかにしない方針を伝えられた。しかしその5日後、考宜さんと母淳子さん(47)は菜保子さんの日記に「いじめられたくない」「(独り)ぼっちはいや」など、いじめをうかがわせる記述を発見。学校側に、菜保子さんが自殺した事実を生徒たちに伝えて真相を究明するよう求めた。
だが、学校が15年12月に全校生徒を対象に実施したアンケートの調査票を確認すると、菜保子さんのいじめや自殺に触れていなかった。考宜さんは「これでは何の調査か分からない」と不信感を抱いたという。
市教委は16年3月、生徒に正確な情報を与えないまま行った調査の結果に基づき「いじめはなかった」と結論づけた上で、初めて自殺があったことを明らかにしたが、同級生たちが既に卒業式を終えた後だった。
市教委は、「当時の判断は適切だった」と説明する。だがNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」の小森美登里理事は「早い段階で子供たちに事実を明らかにして情報を吸い上げなければ真実にたどり着かない。なるべく隠したい姿勢が見える」。教育評論家の尾木直樹・法政大特任教授も「極言すれば学校で命に関わる事案はいじめしかない。遺族に寄り添うとは、学校で何があったのか真実を徹底して調べることだ」と指摘する。
考宜さんも「ちゃんと自殺と伝えないと、いじめの調査はできない。市教委が最初からすべて隠蔽(いんぺい)する方向で動いていたのがこれで分かった」と話した。【玉腰美那子】
◇解説 重大事態に向き合わず
市教委が毎日新聞に開示した一連の関連文書からは、生徒の自殺という重大な事態が起こったにもかかわらず、真実に向き合おうとしていなかった実態が浮かび上がった。
菜保子さんが死亡した2015年11月11日。学校は市教委宛ての緊急報告書をファクスで送信。ここでは「自殺を図り」と記載していた。ところが自殺を受け同日夜に開いた市教委の臨時会合の議事録によると、ある委員が「突然の思いがけない死、ということを生徒に伝えて、これだけでも十分自殺だと分かってしまう。うわさなどでも分かる」と発言していた。この会合で、生徒らに自殺ではなく「死亡事故」と伝える方針が決まった。
2日後の同13日に学校が市教委に送った緊急報告書では、同じ欄に自殺ではなく「死亡事故」と記載した。菜保子さんを「事故者」と表現。自殺を受けた臨時保護者会を開かない方針の他に、「警察から報道(機関)に広報しないことを確認した」とも記述しており、自殺だったことが外部に伝わることを恐れていた様子がうかがわれた。
市教委は16年7月に第三者調査委員会を設置したが、いじめを前提にしておらず、両親は今年5月29日に「中立性や遺族への配慮を欠く」として解散を要請。翌日に「いじめは認められなかった」とする判断を撤回し、これまでの対応を両親に謝罪した。現在は、両親の要請を受けた県教委が新たな第三者委の設置を検討している。
だが今回開示された市教委の議事録などは黒塗り(非開示)が多く、不明な点も残されている。本当に反省しているのであれば、まずは市教委のこれまでの意思決定プロセスを洗いざらい明らかにするほかない。【玉腰美那子】
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毎度のコトながら「被害者や生徒を人質にして責任回避するやり方」には反吐が出ます。
死亡したのは、中島菜保子さん(当時15歳)。両親や代理人弁護士によると、「いじめられたくない」「死にたい」などと書かれた日記が見つかった。スカートのポケットからは「くさや」と書かれたメモが見つかり、両親が一部の同級生から話を聞いたところ、「臭い」との理由で、そう呼ばれていたことも判明したという。両親はこれらを学校に示して調査を求めた。
中学では同12月、全校生徒にアンケートを実施。市教委も同月、3年生全員から聞き取りをしたが、「いじめは確認できなかった」と結論付けた。
これに対し両親が重ねて調査を要望し、市教委は16年3月に第三者委の設置を決めた。だが、いじめ防止対策推進法は、いじめが原因で「子どもの生命や心身への大きな被害」が生じたと疑われるケースを「重大事態」と規定して第三者委を設置するよう定めているにもかかわらず、市教委は「重大事態に該当しない」と議決したうえで設置。今月になってから、重大事態と判断を改めて調査を進めていることを遺族側に伝えたという。