いじめ報告書、公表されなかった真実 「娘は帰ってこない。せめて…」切なる思い
47NEWS 2021/2/2(火) 10:32配信
兵庫県加古川市で2016年9月、いじめを苦に自殺した中2女子生徒を巡り、市教育委員会が調査のため設置した第三者委員会は17年12月、報告書を公表した。ただ、いじめの詳しい経緯や内容は公表されなかった。「いじめを認識すべき兆候はなかった」とする市教委。しかし、共同通信が入手した報告書全文からは、女子生徒のSOSやいじめの兆候を何度も教員が黙殺し、対応を怠っていた実態が浮かび上がる。(共同通信=木村直登、山田純平)
▽「自殺予定日」
報告書によると、いじめの始まりは女子生徒が小学5年のときだ。本人の嫌がるあだ名が付けられ、無視が始まった。15年に入学した中学でもあだ名は浸透。クラスのムードメーカーが無視や悪口を率先し、他の生徒も逆らえなかった。1年生の3学期にはあからさまに無視され、「ミジンコ以下」と書かれた紙を渡された。「自殺予定日」「死んでもいいかな」。女子生徒のカレンダーやスケジュール帳には、こんな言葉が残されていた。
第三者委は「女子生徒の周囲にはからかう生徒や傍観する生徒ばかりで、手を差し伸べる生徒はほぼ皆無だった」と分析し、この時点で既に「いつ自死行為を実行しても不自然ではない状態まで追い込まれていた」と認定している。
部活動でも陰口や仲間外れが並行した。いじめを把握したはずのらは部員同士のトラブルとして片付けた。
16年4月、2年生になりクラスが替わっても、いじめは続いた。生徒を軽視してもよいという雰囲気ができあがり、ますます孤立を深めた。そして、夏休み明けの9月、命を絶った。
▽見過ごされたSOS
生徒は担任に提出するノートに1年の3学期ごろから「しんどい」「だるい」との記述を繰り返した。しかし、担任はいじめの認識について、第三者委の聞き取りに「分からない。聞いたことがない」と回答。2年時の担任も「からかわれていることを知らなかった」と説明し、ノートの書き込みについては真意を確認しないまま「部活や勉強のことだと思った」としている。
部活の顧問が部内のいじめを「トラブル」として処理し、適切な対応を怠ったことについて、第三者委は「生徒に無力感を与え、その後も続いたいじめに対し、救いの声を出せなかった原因になった」と指摘した。
自殺に至る3カ月前の16年6月、生徒は学校のアンケートで「陰口を言われている」「無視される」などの質問に「あてはまる」と回答。「のびのびと生きている」「生活が楽しい」には「あてはまらない」と答えた。判定結果は「要支援領域」。クラス内で最も注意を要するとの警告だ。
しかし、学年の教員間で支援について話し合った形跡はない。担任は保護者にアンケート内容を明かさず、三者面談では提出物の遅れを指摘しただけだった。
遺族の代理人は「アンケートが女子生徒を救う最後のとりでだった。いくつものきっかけがあったのに」と悔やむ。報告書は「いじめは明白だったにもかかわらず、見過ごされた」と学校の対応が不十分だったと認定した。
▽消えた証言
女子生徒の死後、アンケートの内容はすぐさま校長や市教委の職員に共有された。女子生徒の回答を見た時点で対策に生かしていれば最悪の事態は免れたかもしれないと気付いたはずだ。ところが、遺族にはアンケートの存在は秘密にされた。両親は娘の死から約1年後、第三者委から調査の過程で知らされた。父親は「何度も説明の機会はあったはずだ。学校は『いじめを示す資料はない』としらを切り続けた」と憤る。
不可解な対応は当初からあった。市教委が生徒の死を公表した16年11月。両親の元を学年主任が訪れた。「ある生徒が謝りたいと言っている」と切り出した。「自分のせいかもしれない。もう本人に謝ることもできない」と苦しんでいるという。両親は「真相解明にはあなたの勇気が必要だと伝えてください」と伝言を託した。
「いじめがあったと思っている」と続ける学年主任。しかし、その直後「犯人捜しが始まる可能性がある」「校長も立場があっていじめと言えない」「この話は内密に」。口外しないよう念を押し、立ち去った。「教員はほぼ一様に口を閉ざした。口止めされているか、保身を図っているようだった」と父親は振り返る。
一方、複数の同級生は真相を求める遺族の思いに応えるように、いじめの証言を寄せてくれていた。教員にも話したという。ところが、第三者委の報告書を読んで、両親は目を疑った。学校に集まっていたはずの証言がどこにも見当たらない。学校が情報を隠しているとしか思えなかった。父親は「同級生が苦しみながら発してくれた訴えがこんな扱いなのか」と怒りを隠さない。勇気を振り絞った同級生の思いまで踏みにじられているように感じた。
▽「破棄と紛失、差はない」
したにもかかわらず、第三者委に「紛失した」と説明していたことについて、市教委はこれまで「遺族と訴訟中のため答えられない」として、事実関係を認めてこなかった。
しかし、報道で明るみに出た数日後の今年1月7日、一転して「メモ破棄は調査済みで把握している」とのコメントを発表。「生徒の死を重く受け止め、再発防止に引き続きご遺族と協力していきたい」とする一方、「法的責任は否定せざるを得ない」と強調した。訴訟を意識したとみられる。
▽せめて真実を
市教委の見解に応じる形で両親もコメントを公表した。「なぜこのような事態になったのか、いま一度真摯(しんし)に振り返ってほしい」。切実な思いをつづった。「娘の死を軽視しているとしか思えず、『遺族に寄り添う』という言葉が心に響くことはありませんでした」「市教委が包み隠さず非を非と認めてほしい。本当の反省がない限り、表面だけの美辞麗句で終わり、同じことが繰り返されるのではないか」。父親は取材に対し「第三者委に虚偽の説明をしていたこと自体が裏切り行為だ」と語気を強めた。
「私たちも自責の念を感じて、感じて。悔やんでも悔やみきれない」と両親。「他の学校に通わせていたら」「部活をやめさせていれば」。日々考えが巡り、心が折れそうになるとき、父親は「娘の顔が頭に浮かぶ」と言う。「娘の尊厳がないがしろにされた。このままでは将来の一歩が踏み出せない」。度重なる不誠実な対応に、残された手段はもう、訴訟しかなかった。両親は20年9月、市に約7700万円の損害賠償を求め神戸地裁姫路支部に提訴した。
「どうして遺族が試練を受けなければいけないのか」。悲嘆と不信でくじけそうになるが、心を奮い立たせ、2月10日、法廷で意見陳述に臨む。市教委と学校の関係者に願うことはただ一つだ。取材の最後、母親は声を振り絞った。「真実に向き合い、正直に話してほしい。娘は帰ってこないから。せめて」
(終わり)