兵庫・加古川いじめ自殺初弁論 両親「娘の死、置き去りにした」
毎日新聞 2021/2/10(水) 20:13配信
兵庫県加古川市で2016年9月、市立中2年の女子生徒(当時14歳)がいじめを苦に自殺したのは学校が適切な対応を怠ったためであり、自殺後の調査でもいじめを示唆していた情報を隠すなど実態解明に後ろ向きな態度で深く傷つけられたとして、両親が市に約7700万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が10日、神戸地裁姫路支部(倉地真寿美裁判長)であった。両親が意見陳述で学校と市教委への不信と再発防止のための体質改善を訴えたが、市側は請求棄却を求めて争う姿勢を示した。
被害生徒の父は法廷で「娘の死を置き去りにし、反省の気持ちをみじんも感じない姿勢を許すことができない」と市教委の姿勢を批判。母は「この事案を決して忘れず、教訓にしなければならない」と訴えた。
一方、市側は答弁書で、自殺の原因となったいじめがどの行為なのかが明らかでないと主張。代理人弁護士は「学校の注意義務違反と、生徒の自死との間に、法的因果関係は認められない」と述べた。
市教委の第三者委員会の調査報告書を基にした訴状などによると、被害生徒は1年生だった15年夏ごろから、部活動で仲間外れにあっていた部員と親しくしたことで多数派による無視や仲間外れを受けるようになった。クラスでも小学校の頃からの嫌なあだ名で呼ばれ、無視や陰口も言われるなどのいじめを受け、クラス替えとなった2年生になっても続いた。
部活の顧問と副顧問は同年11月、被害生徒らや保護者らの指摘を受けて1年生の女子部員全員にメモ用紙を渡し、いじめの内容を書かせたが、部員同士のトラブルと判断してメモをシュレッダーで破棄。被害生徒は16年6月の学校生活アンケートでいじめを示唆する回答もしていたが、学校は対応せず、生徒は同9月に自殺した。
学校や市教委は当初、いじめや自殺との因果関係を認めなかった。だが、第三者委は17年12月の報告書で、いじめの詳細と、自殺の原因になったことを認定。「学校が対応していれば、生徒は無力感から脱し、自死をせずに済んだ」と総括した。
両親は和解を模索したが、市側から謝罪はないまま。メモの破棄についても18年6月に「いじめを隠蔽(いんぺい)しようとはしていない」と釈明されるなどして不信感が募り、20年9月に提訴した。【関谷徳、韓光勲】
◇「市は開き直っている」父親怒りあらわ
「娘は争いごとが嫌いだったので、こういう(訴訟の)形になって申し訳ない。市教委と学校は生徒を守る組織であってほしい」。法廷を後にして記者会見した被害生徒の父はそう語り、法的責任を否定した加古川市側の答弁に「開き直っているとしか思えない」と怒りをあらわにした。
法廷では意見陳述に立った母は「娘の後を追う行為を繰り返した」と振り返り、「もう一度『お母さん』と呼んでほしい」と声を震わせた。市側の代理人弁護士は法廷で被害生徒がいじめを示唆した学校生活アンケートについて、「悩みをうかがわせる回答をしていたものの、いじめの存在を具体的に示す内容ではない」と主張。「(部活動の)顧問や担任の教諭に法的注意義務違反はなく、いじめを認識すべき事情は認められない」とした。
会見に同席した遺族側代理人の渡部吉泰弁護士は「苛烈ないじめは長期にわたり、学校が組織的に対応していれば事故は起きなかったはずだ」と指摘。「被害生徒は何度もシグナルを出したが、教諭らは情報を上にあげなかった。隠蔽(いんぺい)したと言うほかない」と批判した。
市教委の第三者委員会の報告書は「学校が対応していれば生徒は自死をせずに済んだ」と総括しているが、市教委学校教育課は取材に対し「訴訟での主張は報告書を否定するものではない。法的な注意義務違反や因果関係がないと今後の裁判で明らかにしていく」とした。【韓光勲、関谷徳】
◇「高じる不誠実さ」父親の意見陳述要旨
娘が亡くなってから今日まで、崩れそうなメンタルを何とか維持しながら教育委員会への対応をしてきました。いまだに感情のコントロールさえおぼつかない状態で、頭の中で整理がつかないまま立っている状況です。亡くなった娘のためにも家族のためにも残りの人生を懸ける思いで意見の陳述をさせていただきます。
今日までの間、数多くの関係者様、そして教員の方々、今回残念ながら訴訟の相手となってしまった市教委の方々、当時の生徒・保護者の方々には大変ご迷惑をお掛けするとともに、本当にお世話になり、この場をおかりしまして感謝を申し上げます。
父親として我を顧みる暇もなく事案と向き合い、ひたすら注力し、気が付けば4年と半年となります。いまごろになって悲しくて、娘に会いたくて仕方がないという気持ちに襲われています。最近、娘宛てに投函された成人式の振り袖の案内を見た時にはフラッシュバックに襲われ、時の流れすら感じない日々を送っております。
2016年9月に亡くなり、16年12月、(市教委が)第三者委員会を立ち上げ、有識者様の粉骨砕身のおかげで17年12月に完成した報告書は「いじめは明白だったにもかかわらず教員に見過ごされた」と認定され、「学校教員が対応すれば自死を防げた」と指摘する内容でした。調査に対し、勇気をもって発言した生徒、それを理解していただいた保護者のおかげだと、私は今でも感謝の気持ちでいっぱいです。なかでも亡き娘と一緒にいじめられていた女生徒が泣きながら自宅を訪問してきて全てを語ってくれた姿は深く印象づけられています。その女生徒はその後、学校で情報が取りたいがために教員に必要以上にマークされ、次第に不信感とストレスが募り重い心の傷を負い、他市の学校に転校せざるを得なくなるという悲しい出来事も忘れずにはいられません。
私たちは、報告書で明らかにされなかった事実の確認のため、関係教員との個人面談を実施しました。残念ながら先生方からは誠実に事実に向き合っているという姿勢が感じられず、そうした方々と向き合うことは、本当につらい作業でした。それでも、その過程でも驚くような事実が発覚しました。
報告書の内容と面談から、教員の対応能力の低さと、組織としての不全な状態がわかりました。そうした教育現場の改善への契機となることを目指して、教育委員会との間で話し合いをさせていただきました。しかし、その対応はあまりにも誠実さに欠け、より一層怒りと不信が募ることとなりました。調停手続きも不成立で終わり、やむなく時効期間ぎりぎりにて提訴した次第です。
そもそも私としては、提訴は、もっとも避けるべき手段でした。法廷では過去の経緯について法的責任の有無を問う争いとなるだけで、直ちに現状の改善に結びつくものではないからです。話し合いによって、教育委員会、学校、そして、教員たちが、逃げることなく事実に向き合って非を非として認めてこそ、現状の改善につながっていくと考えるからです。
私が許せないのは、勇気をもって教員にいじめの事実を書いたメモを渡しているのに黙殺されたこと、この経緯について非常識な回答をしてくる市教委の姿勢なのです。
教育委員会との話し合いの過程で納得できなかったことをいくつかあげますと、��2年の時、部活動の部員がクラス担任(娘の1年時の担任)に部員の(いじめ)関係を相談し訴えたのに対し、教員は覚えていないと黙殺したという事実について、教育委員会の回答では確認されていません�△い犬瓩陵業�として小5の時のALT(外国語指導助手)の教員が娘の名前をローマ字で、なじったことが発端となりいじめにつながったことについて、回答は名前を英語読みしたのに過ぎず決してふざけていったものでもなくやゆしたものでもない�I�活の部員に書かせた用紙を(顧問教諭らが)シュレッダーにかけたことについて、回答は保管しなければならないとの認識が無く破棄してしまったことはやむを得ない――などとして、私たちからの解決案を拒否してきました。
これが誠意を持った対応といえるのでしょうか。どの程度調査をしたというのでしょうか。この学校の教員たちは勇気を出して発言した生徒の気持ちを一度ならず無視しました。娘はこのアダナを苦にしていました。学校、市教委は、報告書に記載した事実背景について第三者委員会の委員たちからヒアリングしたのでしょうか。いじめの確認をとった用紙をシュレッダーにかける行為がなぜやむを得ないのでしょうか。
市教委の職員たちは、自分たちの立場と目線で思いつきに回答しているとしか思えず、その回答が私たちに、冷酷・非誠実な回答に映ることが理解できないのでしょうか。
娘の死を置き去りにし反省の気持ちをみじんも感じない、ただの言い逃れに終始する市教育の姿勢を許すことができないのです。私は、このような思考とそれを許す組織のあり方こそ改善改革をしなければならないと思っています。
4年前に報告書が上がり、市教委数人と私の代理人の弁護士先生の事務所で面会しました。その場で私は謝罪した市教委の職員数人に言いました。「この報告書を読んだ感想を一人一人教えてほしい」「組織の感想ではなく個人としての感想を」と。それぞれ「学校が対応すればこのような悲しい事にはならなかった」「学校に殺された」と述べていただきました。これが人としての率直な感想だと思います。
報告書を読んで、生徒の悲鳴や勇気ある言葉を黙殺するようなこの学校の教員に、いじめを察知しようとする意思すら感じませんでした。これでは、いじめがまん延するほかなかったのではないかと感じ絶望的な気持ちになりました。
あれから4年がたちますが、教育委員会の姿勢は何も変わっていないどころか、不誠実さが高じているように思います。
これから裁判が始まりますが、もうこんな悲しい事は私たちで十分です。この裁判で、教育委員会と先生方が自分の姿を見つめ直し、誠実な姿勢で二度と繰り返すことがないように歩を進めていくことを願っています。
◇「娘の笑顔返して」母親の意見陳述要旨
最愛の娘を亡くし底知れぬ絶望の闇に突き落とされ、真っ暗闇の中をさまよい続けています。フラッシュバックや眠れぬ夜が続き体重は15キロ減り、記憶がない生活を送ってきました。
当時、私は娘の後を追うことを求め続けていました。その中で、娘の身に起きた真実を知りたいという気持ちと、すぐにでも娘のところにいきたいという気持ちが交錯する中で揺れ動いていました。その気持ちは今も変わりはありません。
娘の笑顔が私を幸せにしてくれる。娘がそばにいるだけで私はがんばれる。一緒におしゃべりをして、笑いあって、ふざけあって、心配をして、娘の成長していく姿を見守っていた。そんな娘と過ごす日々が永遠に続くものと信じて疑わなかった。
娘の時が止まった瞬間、私の中の時も止まってしまいました。
この身をえぐり取られ、娘と共に私の心も死んでしまった瞬間でもあります。
娘に申し訳ないという思いと罪悪感にさいなまれ、苦しい日々を過ごし、娘を守ると誓ったのに守れなかった自分を責め、枯れることのない涙で毎日を過ごす日々。
最愛の娘を失って、娘の未来を奪われたこの先に私の未来などあり得ない。
今は閉ざされた未来をたださまよい歩いているだけです。
ただ、いつものように娘と話がしたい。ぬくもりを感じたい。娘が恋しくてたまらない。寂しくてたまらない。悲しくて苦しくて悔しくて、たまらなくてのたうちまわる日々。毎日を泣き暮らし、返事の返ってこない名前を呼び続ける毎日。
そしてなによりも、もう一度、どうか願いがかなうならばもう一度娘に会いたい。娘を抱きしめたい。そしてもう一度「お母さん」と呼んでほしい。
娘は、楽しいことが大好きで、明るく素直で真面目で、怖がりなところもあり、甘えん坊でさみしがりやの半面、芯のしっかりとした娘で命の大切さも知っていた娘です。たまに強がってみせるところもあったけど、それが手に取るようにわかり可愛らしくもあり、また、ほほ笑ましい姿でもありました。
また、人の痛みも分かる優しさにあふれた娘で、家族をサポートまでしてくれた気配りのできる娘でした。人はそれぞれ違って当たり前。みんなそれぞれ個性を持っているものだ、ということを知っていたし、幼い頃から自然と身についていたので、分け隔てなく人に接することができた娘でした。困っている人などに駆け寄って声を掛けてあげることができる優しい子でした。
そんな娘が、陰湿ないじめに遭っていたなんて全く気づかず、一人で耐え難い苦痛をあじわっていたことを想像するだけでも胸が締めつけられ苦しくなります。また気づいてあげられなかった鈍感で愚かな母を悔やみます。
私は娘が大好きで、娘の名前に願いを込め愛情を込めてつけた。その名前がすごく好きで娘にあきれられるくらいに、用事もないのによく娘の名前を呼んでいました。それを知っていたであろう娘は、名前でいじめに遭うことの言いようのないつらさがたまらなかったことでしょう。
娘は、私が落ち込むと、よく明るくドンマイと言って励ましてくれました。私にとって娘の言葉は、魔法の言葉でした。そして、なによりも、娘は死を恐れていました。そんな娘が親に心配かけまいとして何も言えず、一人で思い悩み抱え込み生と死を行き交う中、怖がりで臆病な娘の震える背中を押したのです。
娘には、未来に夢がありました。娘を返してください。娘の笑顔を返してください。そんな私から奪った大切でかけがえのない娘を返してください。
私は、ごく普通に生活をしていただけなのに。ただ娘の健康と平穏に穏やかに過ごす日々を望んでいただけなのに。
誰が娘に死ねと言ったのですか。誰が好き好んで自ら死を選ぶと思うのですか。誰が追い込んだのですか。耐え難い苦しみを娘に与えたのは誰ですか。
自責にあえぎ苦しんで悲しむのは私たち家族だけですか。何の落ち度もない娘を、嫌がる娘を執拗(しつよう)に攻撃し、また、娘の訴えと母親の訴えを無視した結果で招いた悲劇、惨劇でもあること、今なお続いている私たちの心境を知ったうえで、せめて、人として、子を持つ親として、人の心を持ちあわせた世間一般の常識、また私たちに対する常識を欠いた対応や言動をするのではなく、誠意ある真摯(しんし)な対応で今からでも臨んでいってくれることを切に願います。
亡くなった年の6月、担任教員に「友達関係が心配なので見てください」と言いましたのに、先生は笑って「大丈夫ですよ」と言いました。なぜ、三者面談の時にアセス(娘がいじめを示唆したアンケート)の件を言ってくれなかったのでしょうか。
これで終わりではないのです。ここからが始まりだということ。いつまでこの事案に向き合うのかというのではなく、決して忘れてはならない。教訓にしていかなければいけないということを深く理解し胸に刻み後世まで残していくべきだと思います。