往復ビンタ10発以上「きつい振りすんな!」竹田高剣道部主将“死亡事件”から12年…遺族が明かす“暴力指導の壮絶さ”
Number Web 2021/09/15 11:04
2009年8月22日。工藤剣太さん(当時17)が死亡した経緯から振り返る。ここまで描写できるのは、両親が部員たちの協力を得て、証言を聞き集めたからだ。当初、大分県の教育委員会と学校関係者が示した報告書は、ごく簡単な時系列に過ぎなかった。部の後輩でもあり、事の一部始終を見ていた弟が「事実と違う!」と怒りをあらわにしたことから真実追及がなされたことを、まず確認しておきたい。
剣太さんは部員たちに起こされても、違う方向を向いて動かなかった。竹刀を払われても拾おうとせず、持っているかのようなしぐさをした。重度の熱中症を疑うべき異常行動だ。ところが、顧問は「芝居やろうが! きつい振りすんな!」と怒鳴った。剣太さんは薄れる意識の中で命の危険を感じていたのだろう。面や道着を外そうとした。「何しよるんか」という顧問の問いかけに「本能です!」と答え、前に倒れた。
顧問から連絡を受けた父の英士さんが病院に駆けつけると、剣太さんは荒い呼吸で目をカッと見開いていた。「うおー!」とうなりながら起き上がろうとするのを、英士さんは懸命に押さえた。母の奈美さんも病院についたが、夕方、剣太さんは亡くなった。体温は42度もあった。熱中症を悪化させた熱射病だった。
通夜の席で、弟から状況を聞いていた奈美さんは、剣太さんを殴り続けたことについて、顧問を問い詰めたが、顧問は「気付けのためにやりました」という言い訳を繰り返したという。顧問の横暴を止めるべき立場にいた副顧問も「止めきれませんでした」と答えるだけだった。4日後に学校が開いた保護者会では、学校側からは謝罪も詳細な経緯報告もなく、他の生徒の心のケアについての相談体制の話に終始していた。
カテゴリ