野球部マネジャー自殺、教諭の体罰・叱責が原因…県教委に「組織としての保身」も
読売新聞オンライン 2021/10/31(日) 9:25配信
岡山県立岡山操山高校(岡山市中区)で野球部マネジャーだった男子生徒(当時16歳)が自殺した問題で、県教育委員会が、同部の顧問だった教諭の体罰や激しい叱責(しっせき)が原因と認めたことが、関係者への取材でわかった。県などが設置した第三者委員会が教諭の言動が自殺の原因とする報告書をまとめたが、県教委は当初「内容を精査する」と述べるにとどめていた。県教委は近く遺族と面談し、詳細を伝える。
男子生徒は2011年に同校に入学し、野球部に入部。12年6月に退部したが、翌月マネジャーとして復帰した。しかし復帰から3日後、岡山市内で死亡しているのが見つかった。
県教委は自殺直後の調査で「指導と自殺の因果関係は不明」と結論づけていた。だが、遺族の要望により第三者委が18年に設置され、今年3月、報告書を公表していた。
県教委は、4月の県議会文教委員会で報告書について「重く受け止める」とする一方、事実関係を認めるかや教諭の処分については「あらためて検討する」と明言を避けていた。しかし、9月、遺族に対し教諭の行為が自殺原因と認め、「教員という立場を利用したハラスメントだった」と説明。原因究明や第三者委の設置が遅れた背景については「組織としての保身があった」と、県教委側に問題があったと認めたという。
県教委は遺族との面談で結論を説明し、了承を得たうえで謝罪する方針。男子生徒の父親は「県教委から詳しい話を聞いた上で、対応を検討したい」としている。
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この家族の苦難の9年間の記録
自宅の玄関にはあの日、生徒が命を絶つ前に置いていったカバンがそのまま残されていた――。2012年7月、岡山県立岡山操山(そうざん)高校(岡山市中区)で野球部マネジャーだった2年の男子生徒(当時16歳)が自殺して、25日で9年になる。「悪口を言わない優しい子だったから、言葉の暴力をそのまま受け入れてしまったのかな。『少しは悪口を言ってもいいんだよ』と教えておけば良かった」。両親はいまだに悔やみ続けている。
県教委は当初、生徒が自殺した原因を「不明」としたが、両親が第三者委員会による再調査を繰り返し要望。ようやく調査が始まったのは、生徒が亡くなって6年後の18年8月だった。両親は「決して命を無駄にするような子ではなく、『まさかうちの子が』と信じられなかった」と振り返る。今年3月、「野球部監督からの激しい叱責などが自殺の原因だった」とする報告書がまとめられ、県は6月、ホームページで全文を公開した。
当時の監督とは生徒が亡くなった1年後、一度だけ面会したが謝罪はなかった。「手紙でなら謝罪を受け入れる」と申し入れても一切連絡がなく、現在も教員を続けているという。県教委は取材に対し「再発防止策は検討中。遺族への謝罪、関係者への処分なども調整中なので、現段階で具体的なことはコメントできない」としている。
報告書によると、男子生徒は野球部に選手として入ったが、監督の男性教諭から遠征先で「お前なんか制服に着替えて帰れ」と言われるなど、度々怒鳴られ「耐えられない」と12年6月に退部。他の部員から戻るよう誘われ、翌月にマネジャーとして復帰した。
その後も監督から「1回やめたんじゃから、覚悟はできとるんじゃろうな」と言われ、「(練習中に)声を出さなかったら存在価値はねーんじゃ」などと叱責された。炎天下のグラウンドに一人残されて「きちんとマネジャーの仕事をしろ」などと怒鳴られ、マネジャーになって2日後だったこの日の夜に自殺した。下校時、他の部員に「もう俺はマネジャーじゃない。存在してるだけだ」と話したという。遺書はなかった。
男子の自殺を巡り、県教委は13年2月、野球部監督が「マネジャーの仕事をしろ」と繰り返し叱責していたことを確認した上で「自殺との因果関係は不明」と発表した。第三者委の設置に関しては県が県教委への設置を提案する一方、遺族側は17年5月、中立性を保つため、知事部局へ設置するように要望。両者間で委員の人選を含めて在り方を協議していた。
男子生徒が亡くなった後、学校側は、監督を務めていた30代の体育科教諭らに話を聞いた。両親から詳細な原因を知りたいと申し入れを受け、10月末から11月にかけて野球部員に対して、県教委職員による聞き取り調査を実施。部員から「今までで一番怖い監督」「野球をよく知っていて指導はしっかりしてくれている」などといった回答があったという。
同校によると、6月に野球部を退部した際、生徒は「野球部にいる意味がない」と監督に伝えた。しかし両親には「監督が嫌だった」とも話し、さらに7月にマネジャーとして野球部に復帰する際、生徒は両親に「マネジャーなら叱られなくなくて済む」と打ち明けていたという。
学校側は、体育科教諭が厳しい口調で部員を指導していたことを認めた上で、「亡くなった生徒にだけ強く指導していたということはない。生徒によって受け止め方がさまざまだ」としている。広本校長は「学校による調査では限界を感じている。客観的に判断できる第三者に調査をお願いしたい」と話した。今後については「保護者や生徒への説明会を開きたい。指導のあり方について見つめ直したい」と話した。
県教委は生徒の両親の要望を受け、昨年10〜11月に部員全員(24人)の聞き取り調査を実施した。
その結果、生徒は退部前、他の部員に「監督に怒られるのが嫌で、辞めたい」と漏らしていたことが判明。復帰した日も監督からミーティングで「マネジャーなら黒板くらい書け」と叱られたほか、自殺直前の7月25日の練習中には「声を出せ」と注意され、練習後も一人呼び出され指導を受けていたことがわかった。生徒はその日の帰宅途中、他の部員に「俺はマネジャーじゃない。ただ存在するだけ」と話したという。
また、監督は練習中に別の部員に対して「殺す」などの言葉を使ったり、パイプ椅子を振りかざしたりしていたという。県教委に対し、監督は「気合を入れるためで厳しい指導や叱責は指導の一環だ」と説明。11月中旬に監督を退いた。