東京大学在学中にリクルートを創業し、グループ27社を擁する大企業に育てた江副浩正氏(1936〜2013年)。1989年に「リクルート事件」で逮捕されるまで、卓越したベンチャー経営者として脚光を浴び、没後10年を過ぎた現在も高い評価が聞かれる。レジェンドとなった“ビジネスモデルの革命児”は何が優れていたのか。本連載では『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(大西康之/新潮社)から内容の一部を抜粋・再編集し、挑戦と変革を追いつづけた起業家の実像に迫る。 今回は、社員たちの挑戦心を引き出した「プロフィットセンター制度」を紹介する。 ■ プロフィットセンターの「ホーソン効果」 江副の「君はどうしたいの?」の思想は、1974年、会社制度に落とし込まれる。日本リクルートセンターの組織活性化で大きな役割を果たした「PC(プロフィットセンター)制度」である。 業容拡大に伴い日本リクルートセンターの社員数は増え続け、この年からの5年間で約500人が1000人に倍増する。社員が官僚化し、組織が硬直化して、いわゆる「大企業病」にかかる時期である。それを見越して江副と大沢は、「拠点別部門別会計=PC制度」を導入した。 最初は札幌、広島、福岡、仙台、千葉、横浜、静岡、京都、神戸の9単位で始まったが、翌1975年には大阪支社と名古屋支社などが加わり13単位になった。PC、すなわち「小集団」の単位はどんどん細分化されていき、平成に入るとその数は1600単位を超えた。 リクルートというひとつの会社の中に独立採算の小集団が1600社ある、ということは全社員が採算責任者だ。つまり1600人の社長がいて、期末に発表される“自社”の業績に責任を持つことを意味する。これを江副は「社員皆(かい)経営者主義」と呼んだ。 会社を、採算責任を負った小集団に分けて競わせる手法は、稲盛和夫が編み出した「アメーバ経営」によく似ている。27歳で社長になった稲盛は「自分と同じように考え、行動してくれる分身が欲しい」という切実な欲求からアメーバ経営にたどり着いた。稲盛が我流で「アメーバ経営」を生み出したのに対し、江副と大沢の「PC制度」には、「ホーソン効果」という心理学の裏付けがあった。