齋藤元彦・兵庫県知事をめぐる文書問題の真相を追及してきた元同県議の竹内英明氏(50歳)が、1月18日夜に姫路市の自宅で亡くなった。自殺だと見られている。齋藤知事は同20日に報道陣の取材に応えてお悔やみの言葉を述べ、「時には厳しい質問もいただいたが、兵庫を良くしたいという強い思いの表れだったと受け止めている」と話した。 姫路市出身の竹内氏は、会社員生活を経て姫路市議を務めた後に県会議員に当選。昨年の時点では5期目だった。昨年11月投開票の兵庫県知事選挙では齋藤氏を支持した「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首が、当時県議会の百条委員会で委員だった竹内氏と奥谷謙一委員長(自民)、同じく委員の丸尾牧議員(無所属)の3人を標的とし、奥谷氏自宅前での遊説では「出てこい」と声を上げ「これから丸尾と竹内のところに行くぞ」とがなり立てた。それに呼応した人たちも嫌がらせや脅しを続けたことから、竹内氏は妻子の安全のために昨年11月に議員を辞職していた。 「昨年12月25日の百条委員会後に電話しましたが、『まだ前向きにはなれない』と話していました。それが最後でした」と語るのは、竹内氏が県議の当時所属していた会派「ひょうご県民連合」の上野英一幹事長。「竹内君は学生時代から奥田(敬和・元衆議院議員、元運輸大臣)さんの秘書を務めるなど、若い時から政治に明るく、性格的にもヤワではまったくなかった。立花氏があんなことをしてきてもやり返すようなバンカラな面もあった。ところがあの当時は『妻が立花の脅しに怯えて錯乱状態なんです』と訴えていました」と振り返り、唇を噛んだ。 文書問題で昨年5月に県からの懲戒処分を受け、7月に死亡した渡瀬康英・元県民局長の妻からは「主人がこの間、県職員の皆さんのためを思ってとった行動は、決して無駄にしてはいけないと思っています」などとする文書が百条委の事務局には送られていた。 ただ地元のある関係者は「悲痛な思いを百条委へ訴えたのが渡瀬さんの死の5日後という早い時期だったことから、『傷心の奥さんにそんなことがすぐできるだろうか。実は竹内議員が書いたのではないか』という噂が結構ありました。亡くなる直前の渡瀬さんが最後に連絡し合っていたのが竹内さんだったと見られています」と打ち明ける。 渡瀬氏と竹内氏は名門進学校として知られる県立姫路西高校の先輩後輩でもあった。竹内氏をよく知る丸尾県議も「奥さんに頼まれたのかもしれない」と話す。