社会人時代の先輩、師匠、兄弟弟子、母親…桂文福が恩返しツアーに込める人との縁

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム> 落語家桂文福(71)が3日に、大阪市の上方落語協会会館で「昭和百年!!六回目の当たり年!!文福恩返し寄席」(31日、天満天神繁昌亭)の記者会見に出席した。 今年が昭和100年に当たるのと自身が年男であることから、「今までお世話になった人に恩返しをしよう」とツアーを計画。72歳の誕生日である今月31日の大阪・天満天神繁昌亭を皮切りに、故郷の和歌山や、愛媛、秋田、宮崎などを予定している。 繁昌亭では、吃音(きつおん)の教師を描いた石山悦子氏作の創作落語「卒業証書」を演じる。「一門の枠を超えた兄弟分。尊敬する師匠」と語る桂福団治をゲストに迎え、弟子の桂ぽんぽ娘、桂鹿えもん、変面マジックショーの亜空亜SHIN、相撲甚句の会らが出演する予定だ。 社会人生活をへて、72年に先代の5代目桂文枝さんに入門。芸歴は53年になる。吃音(きつおん)を抱え、自身も「最低ラインの入門」と認めるスタートだったが、師匠から相撲甚句と河内音頭をほめられ、芸を磨いてきた。 「ええ師匠のところにいましたね」 師匠の5代目文枝さんは、戦後の上方落語を復興させた「上方四天王」の1人で、弟子には個性磨きにも尽力させた。 その師匠のもとで育った文福。大きな体と豊かな感情表現で人気を集めるも、所属事務所と、仕事のありかたで意見が相違。フリーになり、全国各地を飛び回った。多くの人に世話になり、人脈を築いた。 「人に大事にしてもらった。もうけは考えていない。足代だけ出してくれたら、呼んでくれるところはどこへでも行く」 師匠が亡くなって12日で丸20年になる。今でも、月1回の散髪の後に師匠宅を訪れ、仏壇に手を合わせている。 「健康に舞台をさせてもらって。弟子も7人、孫弟子2人。けったいやけど文福一門もできて感謝してます」 フリーから所属事務所に復帰する際は、兄弟子の当代、6代桂文枝や桂文珍の助けを得た。一門の愛情の深さを肌身に感じているだけに思うことがある。 「一門として明るい話題を提供したい。6代文枝の兄貴は80歳を回ってもあれだけ熱心やし、小文枝の兄貴も全国を回ってる。文珍の兄貴はフェスティバルホールを満員にしてる。あそこまでマネできませんけど、兄貴たちの活躍に刺激を受けてやっていきたい」 それだけに、2月26日に道交法違反で逮捕された弟弟子の桂梅枝には厳しい態度を貫いた。 「最初はかわいそうな思いもありましたけど、師匠の奥さんが『梅枝という名前が好き。アンタに継いで欲しい』と言っていた話や『師匠の着物を着て』と言っていた話を改めて見てたら、悔しいより腹立って。オヤジ(=師匠)も泣いてるやろうな」 かわいい弟弟子だからこそ「今は誠意を見せて謝るしかない」と猛省を促した。 健康に育ててくれた両親にも感謝する。ツアーの千秋楽は、自身にとって初舞台の場となった大阪・梅田の太融寺を希望している。 「今から思えば最低の舞台。ふっと気がついたら、田舎の母親がおった。師匠の奥さんが初舞台やからって呼んでくれたんやね。うわーって(言葉が)詰まってしもてね。そこで『(太鼓が)どんどーん』って終わった」 翌朝、母親は師匠に向かって「田舎に連れて帰ります」と落語家を辞めさせる宣言をしたが、師匠は「どないでもなります」と止めてくれた。その時、演じきることができなかった「東の旅 煮売屋」を93歳になった母親の前で披露したいと思っている。 そんな文福にあえて「一番の恩人」を聞いてみると、社会人生活時代に世話になった先輩を挙げた。 「2年先輩の方でね。落語家になってからも『弁当食え』『パン食え』と気遣ってくれてね」 会社員の時だけではなく、脱サラして落語家を目指す文福を何かと気遣ってくれた。 「でも、僕がABCの賞(第2回ABC落語漫才新人コンクール審査員奨励賞)を取ったくらいから、急に来なくなった。普通は売れたらわーっと来るけど、『俺が行ったら気を使う』っていう人でした。2~3年後にその人が結婚すると聞いて、会いに行って『おめでとう』って言うたら泣いて喜んでくれてね。その後も付き合いが続いて、今、後援会の会長をしてくれてる」 人との縁を大事に。恩返しの気持ちを胸に公演に臨む。【阪口孝志】

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