「地下鉄サリン事件」からまもなく30年。オウム真理教がサリンの密造とともに企てていたのは、「大量の自動小銃」を使った東京の制圧計画です。未然に防がれましたが、その舞台裏で何が起きていたのか?捜査員の証言と新たに入手した内部資料から解き明かします。 ■地下鉄サリン事件の裏にあった知られざる”小銃テロ計画” 世の中を震撼させた、地下鉄サリン事件。オウム真理教が進めていた無差別テロ計画は、この「サリンの開発」だけではありませんでした。 「自動小銃1000丁を使ったテロ計画」です。 教団は空中から大量のサリンを散布し、密造した小銃で武装して東京を制圧しようと企てていたのです。 この計画を未然に防いだ捜査員がいました。警視庁保安課の元捜査員、西原剛さんです。 警視庁保安課 元捜査官 西原剛さん(61) 「ちょうど30年前。平成7年(1995年)の4月8日ですね。忘れたくても忘れられないけど。公園になっているんだ」 30年ぶりに、自動小銃の密造拠点があった山梨県旧富沢町を訪れました。 西原さん 「ちょうどこの方向に、縦長に、川に沿うように3階建ての大きな建物があった」 山々と美しい清流に囲まれたこの公園はかつて、「清流精舎」と呼ばれるオウムの教団施設だったのです。地下鉄サリン事件からおよそ3週間後の1995年4月8日。西原さんらは、この施設の強制捜査に踏み切りました。 西原さん 「オウム真理教の信者たちが、バリケードのように立っていた。捜索に着手をしました」 JNNが入手した当時の極秘捜査資料には、床一面に積み上げられた鋼材の数々や、大型工作機械が幾つも並んでいます。 西原さん 「中には得体の知れないというか、私も名称はわからないような、様々な機械が足の踏み場もないぐらいびっしりと。その機械の間を、本当にアリの小道のように、ひと1人が通るのが精一杯ぐらいの道が続いていて、ここで1000丁を作ろうとしていた」 ■「小銃開発の裏側」水際で阻止できた決死の捜査 実際にオウムが密造した自動小銃「AK74」は、現在も証拠品として、東京地検の地下倉庫に保管されています。