いじめ自殺遺族に不利な裁判 問われる司法の良識
産経新聞 2012年10月27日(土)17時9分配信
「不当判決だ!」
今年7月9日、東京・霞が関の東京地裁103号法廷。提訴から5年半に及んだいじめ自殺訴訟を終え、閉廷した法廷内の静寂を破ったのは遺族側代理人の児玉勇二弁護士(69)の怒りに震える声だった。
平成17年10月、埼玉県北本市の中学1年、中井佑美さん=当時(12)=は遺書を残して自宅近くのマンション屋上から飛び降りた。遺書には《クラスの一部に勉強にテストのせいかも》と書かれていた。
一見、意味不明ともとれるが、遺族は、人のことを悪く言うことのない娘が必死に思いを訴えたものだと思った。だが、あいまいな文面がゆえに、自殺といじめの因果関係については「わからない」とされた。
その後、教師との交換日記などから同級生に顔を便器に押しつけられそうになったり、「うざい」「きもい」と言われたりしたいじめが浮かび上がった。
両親は「いじめはなかった」と主張する市と国を提訴したが、裁判所は両親が訴えるいじめについて「不愉快な思いを抱くことがあっても自殺原因とまで認められない」と消極的に評価し、訴えを全面棄却した。
国立教育政策研究所の滝充(たき・みつる)総括研究官(58)は「『うざい』などの言葉の暴力は状況次第でたった1回でも自殺につながることもありうる」と指摘する。
◆裁判は遺族不利
「学校はひとつの『密室』だ」。いじめで子供を失った遺族の多くがこうした失望感にとらわれる。子供は心配をかけたくないと、親に被害を明かさないケースも少なくない。遺族は学校の調査に頼るほかないが、いじめで自殺した子供の遺族らでつくるNPO「ジェントルハートプロジェクト」(川崎市)理事の武田さち子さん(54)は「責任を問われる学校は平気で事実を隠蔽(いんぺい)する。裁判に備え恣意(しい)的でおざなりな調査をしていると思わざるを得ないケースもある」と話す。
ある遺族は子供の自殺直後、校長から「ところで裁判されますか」と聞かれた。「今は考えていない」と答えると校長は安堵(あんど)の表情を浮かべたという。
裁判になった場合、遺族は情報量で圧倒的に不利だが、いじめが自殺の原因になったと立証する責任は遺族側に課されている。20年間の裁判官経験がある多田元(はじめ)弁護士(68)は「裁判の構造が遺族に不利な形となっていることは否めない」と語る。
判決は独立の原則がある個々の裁判官によって左右される。「突き詰めると、裁判官が社会で起こっている事実に共感できるかどうかだ。共感能力が低いと、公のやることに間違いはないと学校や役所の立場に軸足を置き、遺書の文言など目に見える直接的な証拠にこだわる傾向がある」
児玉弁護士は判決について、「佑美さんの苦しみへの共感は全くなく、憤りを抑えられなかった」と話し、こう続けた。「裁判所のいじめ問題への無理解が教育現場の隠蔽に力を与え、期せずしていじめを助長する構図ができあがっている」
◆社会の関心で変化
判決が出た2日後の7月11日、大津市の中2男子の自殺問題で警察が学校や市教委を家宅捜索する事態に発展し、いじめが社会問題化した。児玉弁護士は「高まった関心は司法を変える追い風となる」と話す。
社会問題化する風潮が司法判断を変えた例がある。大手広告代理店「電通」の男性社員が過労で自殺した「電通事件」だ。12年に和解が成立したが、地裁、高裁、最高裁のいずれも、判例では慎重だった長時間労働と自殺の因果関係を認めた。背景には長時間労働が鬱病を引き起こした結果の自殺件数が急増し、社会問題化した経緯があった。
中井佑美さんの裁判は23日、東京高裁で控訴審が始まる。児玉弁護士は訴える。「いじめ問題で教育現場の隠蔽体質を変えられるかどうかは司法の良識にかかっている」
【用語解説】中井佑美さん事件
平成17年10月11日、埼玉県北本市の中学1年、中井佑美さん=当時(12)=がマンションから飛び降り自殺。同級生の証言などから日常的にいじめがあったことが判明した。遺書の最後は「これから楽しい事もあるけど、つらい、いやな事は何億倍もあるから。いそがしい時にごめんなさい。私、お母さん大好きなのにね」と結ばれていた。