山形・死亡ひき逃げ、逃走理由「築いたもの失う」 初公判、起訴内容認める

山形・死亡ひき逃げ、逃走理由「築いたもの失う」 初公判、起訴内容認める
山形新聞 2015年3月5日(木)12時0分配信

 山形市中心部で昨年12月20日、東北文教大准教授の松川俊夫さん(56)がひき逃げされて死亡した事件で、道交法違反(救護義務違反など)と、自動車運転処罰法違反(過失致死)の罪に問われた、楯岡高教諭斎藤章被告(60)=天童市糠塚1丁目、起訴休職中=の初公判が5日、山形地裁であった。斎藤被告は「いずれも間違いありません」と起訴内容を全面的に認め、検察側は冒頭陳述で、逃走の理由を「これまで築き上げたものが失われると思ったため」と指摘した。

 検察側は冒頭陳述で、斎藤被告が車を運転中、山形市十日町1丁目の交差点付近で路上に倒れて右手を挙げている松川さんに気付いたが「何もできないまま、ひいた」と指摘。事故を起こしたと認識していたが、自ら学校で教職員向けの安全運転講習を開いたばかりだったことや「(教員として)築いてきたものを失う」との恐怖感から、そのまま走り続けたと述べた。

 さらに斎藤被告は忘年会に参加後、別の店で食事をした知人のホステスを車に乗せ、「家まで送る途中だった」と説明。被害者をひいた後、ホステスから「人じゃないの」と言われたが、「大丈夫」と回答したとし、その後、車底部から雪を掃くような異音が聞こえたものの運転を続け、山形西高前まで被害者を引きずったまま走行したとした。

 その上で、被告が被害者を引きずっていたと気付いたのは「右折すべきだった丁字路を通過し、車を後退させた際」だったとし、車体底部から被害者が外れ、路上に倒れているのを確認したとした。その際、「死亡させたかもしれないと思ったが、右折して走り去った」と強調。ホステスを降ろす際には「誰にも言わないでね」と口止めしたとも主張した。

 検察側は、引きずられている間、松川さんは死亡していなかったとし、「被告がすぐに救護していれば命は助かっていた」と指摘した。

 次回は4月20日で、被告人質問と論告求刑などのほか、被害者参加制度により松川さんの弟が意見陳述する予定。

 起訴状などによると、斎藤被告は昨年12月20日午前1時50分ごろ、同市十日町1丁目の路上で乗用車を運転中、松川さんに衝突して逃走し、約1.5キロ引きずった上、同市鉄砲町1丁目の路上で急停車した際、沈み込んだ車体底部で頭部を圧迫し頭蓋内損傷で死亡させたとしている。

斎藤被告「間違いありません」
 「はい、いずれも、間違いありません」。紺色のスーツ姿で法廷に入った斎藤章被告。はっきりとした口調で、一語一語、確かめるように起訴内容を認めた。その後、軽く握った拳を膝に置き、姿勢を正して席に着く。表情を変えることなく正面を向いていたが、遺族の心情について調書が読み上げられると、視線を落とし、閉じた目を指でこすった。

 この日の公判には、26枚の傍聴券を求め、約8倍の213人が列をつくり、関心の高さをうかがわせた。傍聴した山形市の公務員男性(39)は「罪を認めていることを被告自身の口から聞けた。被害者や遺族のことを思うとやりきれない。誠実に罪を償ってほしい」と話した。

 斎藤被告が起訴内容を全面的に認めたことを受け、菅野滋県教育長は「引き続き情報収集に努め、速やかに厳正な対処を行いたい」とのコメントを出した。

検察側、松川さんの人柄や遺族の思い強調
 検察側は冒頭陳述などで亡くなった松川さんの人柄や、経歴などを説明。松川さんの母親や弟の供述調書の内容に触れ、「厳重に処罰してほしい」とする思いを強調した。

 冒頭陳述では、大阪府で生まれた松川さんが東北大文学部に進学し、学者を目指して勉学に励んでいたと紹介。同僚や学生から慕われ、事件当日も学生の招きで飲食した帰りだったとした。

 供述調書で母親は「心にぽっかり穴が開いた気持ち。(松川さんは)寒く痛かったと思う」とし、被告に対しては「同じ目に遭ってほしい。可能な限り重い処分を望む」と厳しい処分を求めた。

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