中学教諭の過労死認定 地公災審査請求「二審」で全面逆転

中学教諭の過労死認定 地公災審査請求「二審」で全面逆転
カナロコ 2012年12月28日(金)6時30分配信

 2007年6月にくも膜下出血で亡くなった横浜市立中学教諭の工藤義男さん(享年40)の遺族が、公務災害(過労死)認定を求めた地方公務員災害補償基金(地公災)への審査請求で、地公災県支部審査会は27日までに、これまでの公務外(不認定)を取り消す裁決を下した。事実上の公務災害認定で、来月にも同支部が正式決定する。 
 工藤さんは07年6月12日から2泊3日で、3年生の修学旅行を引率。帰ってきた直後から体調不良を訴え、同20日に病院で倒れ、25日に死亡した。

 裁決は工藤さんの「異例」とされる生徒指導専任と学年主任の兼務などを過重労働と認め、くも膜下出血の発症について不調を訴えた14日とし、直前1週間の時間外勤務を「40時間」と認定。「精神的・肉体的疲労を与えるものだった」と判断した。さらに1カ月前の時間外勤務についても「週当たり25時間以上」とし、「高度の精神的・肉体的負荷を与えた」と認めた。

 その上で、「長時間に及ぶ時間外勤務と通常の範囲を超えた職務内容が疾病を発症させた」と、死亡との因果関係を認め、過労死と判断した。

 妻祥子さん(46)は08年10月に公務員の業務上の災害を審査する地公災県支部に公務災害認定を申請していたが、同支部は「職務は通常の範囲内だった」などとし、10年5月に「公務外」(不認定)を決定した。祥子さんは結果を不服とし、同年7月に「二審」に当たる同支部審査会に審査請求していた。

 代理人の山下敏雅弁護士は「県支部の決定を大きく覆し、労務の過重労働や超過勤務などがほぼ全面的に認められた」と評価している。

◆「諦めなくてよかった」夫の死から5年半

 夫の死から5年半。「夫がやってきた仕事が認められた。よかったね、頑張ったねって、やっと言ってあげられる」。工藤祥子さんは泣き笑いで、遺影に話しかけた。

 必要書類の作成は「夫が死に至るまでの日々をなぞっていく作業だった」。自分がどこかで止めていれば−。詮ない「たら、れば」を繰り返した。加え、2人の娘の子育てと自らの仕事。自身も過労で倒れ、小学校教諭を退職した。

 地公災県支部が最初に下した判断は不認定だった。「自分で勝手に仕事をやりすぎ、勝手に死んだんでしょうと。夫の2度目の死亡宣告を受けたようだった」

 審査請求からも2年半の歳月がかかり、ようやく過労死と認められた。「本当につらい、つらい5年半だった。最後まで教師として生きた夫のため、協力してくれた皆さんのため、諦めなくてよかった」。話すさなかも、朗報を聞いた知人や支援者からの電話が鳴り続けた。

 公務員の労務災害認定を行う地公災による脳・心疾患や自殺の過労死認定は、一般企業の認定率の半分ほどという低水準が続く。祥子さんは「今後はこの経験を生かし、同じように苦しむ遺族をサポートできるような活動をしていきたい」と話した。

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