自然災害は、すべての生物に過酷な試練を課し、しばしば大規模な破壊を引き起こして歴史を書き換える。しかし、生命世界を見渡せば、生存のための驚異的な適応を遂げた種は少なくない。 イチョウは原爆投下を生き延びた。コメツキムシの1種は、山火事に見舞われたばかりの森林に飛来して卵を産み、幼虫は炭化した木のなかで育つ。大西洋の海鳥デゼルタスミズナギドリは、ハリケーンを追うようにして移動しながら、過酷な気象条件のなかで採食する。 北極圏で暮らすイヌイットや、酷寒のシベリアの冬を乗り切るヤクート人を見ての通り、ヒトもまた極限環境に適応してきた。そして、かつて島が全滅するという危機に直面しながら、絶望的な状況を乗り越えて生還した一人の男がいた。 ルドガー・シルバリスは、カリブ海のマルティニーク島で投獄されていたトラブルメーカーだったが、1902年のプレー山の噴火を生き延び、驚異の物語を語り継いだ人物だ。 ■バーでのけんかがすべての始まり 1902年、カリブ海の小アンティル諸島にあるフランス植民地であるマルティニーク島には、サンピエールの街を中心とした活気に満ちた社会があった。サンピエールは、プレー山の麓に位置するにぎやかな港町で、当時の人口は約3万人だった。 しかし、風光明媚な景色の下には、大いなる脅威が眠っていた。 標高約1400mのプレー山は、19世紀に小規模な火山活動を示したことはあったものの、住民のほとんどはその危険を忘れていた。 ルドガー・シルバリス(出生名ルイ=オーギュスト・シパリ)は、酒癖とけんかで悪名高い労働者だった。1902年5月7日、トラブルメーカーの彼は騒動(記録によっては、山刀を持ち出して相手に怪我をさせたとされる)を起こして逮捕され、サンピエール刑務所の独房に収監された。 これは、一見したところ不運な出来事だったが、このタイミングでの投獄は、運命のいたずらによって彼の命を救うことになった。 同日夜、シルバリスが半地下の独房で暑さにうだっていた頃、プレー山が目を覚ました。それまでの数週間にわたり、山はうなりをあげつつ、火山灰雲、硫黄蒸気、煮え立つ泥流といった不穏な兆候を見せていた。 にもかかわらず地元当局は、偽りの安心感で市民をなだめていた。住民たちは、サンピエールは火山の重大な脅威とは無縁の立地にあると信じていた。大惨事が数時間後に迫っていることを、彼らは知る由もなかった。 ■火山噴火を生き延びる方法 5月8日の午前7時52分、プレー山は大噴火を起こした。火砕サージと呼ばれる、恐るべき破壊力をもつ超高温のガス、火山灰、砕石の混合物が、時速680kmで山の斜面を駆け下り、途中にあるものすべてを徹底的に破壊した(火砕サージは、火砕流に似ているが、火山ガスの比率が高いため密度が小さく、高速で薙ぎ払うように流動する現象)。 サージの内部温度は摂氏980度を超え、数秒で生身の人間を灰にし、建造物を全壊させた。 かつて島の宝石とうたわれたサンピエールは、あっという間に焼け野原と化した。約3万人の住民たちは、ある者は有毒ガスに肺を焼かれ、またある者は火の嵐に飲み込まれて、一瞬にして絶命した。 石造りの独房のなかで、シルバリスもまた地獄を味わった。