【追悼】いしだあゆみさん なかなか出せなかったショーケンの“離婚届”と「寅さんとの共演秘話」

「ブルー・ライト・ヨコハマ」「あなたならどうする」などの大ヒット曲を持ち、女優としても映画『火宅の人』でブルーリボン賞、日本アカデミー賞など主演女優賞を獲得した、いしだあゆみさんが亡くなった。76歳だった。 独特な歌声と、卓越した演技力で長く芸能界に輝き続けた彼女だったが、3月11日に甲状腺機能低下症という病気でこの世を去った。知り合いの医師に言わせると 「甲状腺ホルモンが低下することで起きる病気。貧血、低体温、心不全を引き起こすこともあるが、きちんと治療すれば、健康な人と変わらない日常生活が送れる。寿命が短くなることはないですよ」 という病気だそうで、 「本人が気づかないうちに進行していたのかな」 とも話していた。 いしださんとお会いしたのは映画『男はつらいよ』のロケ現場。神奈川県にある江の島だった。 『男はつらいよ』シリーズには、特別な思いがある。 松竹の宣伝マンだったころに、同映画の宣伝を担当。「週刊女性」編集記者の時代にはグラビア取材でロケ現場に何度も伺った。 そして、芸能リポーターになって、初めて『男はつらいよ』の取材に行った時のマドンナが、いしださんだった。『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』。笑顔に何ともいえない輝きがあり、言葉も柔らかく素敵な人だという印象を持った。 それまでの取材は、“ショーケン”こと萩原健一さんとの波乱万丈の結婚生活だった。 ◆「自分の好きなことが10あるとしたら、ほとんどがお芝居」 ドラマの共演がきっかけで出会い、交際に発展。大恋愛の末に結婚したが約4年で離婚してしまう。不安定な生活を続けるショーケンが原因だったのだろう。 ショーケンのスキャンダルばかりが表面に出てきていた夫婦生活。酒に溺れ、大麻の不法所持で逮捕もされ、飲酒運転で人身事故まで起こしてしまった。 警察の“ガサ入れ”にも立ち会ったといういしださん。業務上過失傷害で逮捕されたショーケンとの生活もそこまでだった。 一人で離婚会見を開いたいしださんだったが、ショーケンにたいして 「家庭をおろそかにしていた私が、主婦失格です。理想の夫でした。どんなに馬鹿男と言われても私の夫、見捨てることはしません」 と、元夫を責めるような発言はなかった。 この離婚には後日談があって、二人で書いた離婚届は、いしださんが持ち続けていて、かなり遅くまで区役所に提出されることはなかった。いしださんが言う 「すごく愛されました」 というのは本心だったのだろう。 そして、『男はつらいよ』江の島ロケ。体調を崩していた“寅さん”渥美清さんは撮影現場にベッドを持ち込んでロケに参加していた。そのことに、いしださんはビックリ。 「さすが大スター。仕事にかける渥美さんの迫力、情熱をみせつけられました」 と、言っていた。 撮影現場に渥美さんがベッドを持ち込んでのロケの話は、表に出ることはなかった。仕事に打ち込む姿は、2人にとっては共通の思いだったのかもしれない。 「自分の好きなことが10あるとしたら、ほとんどがお芝居。お芝居は私じゃないんですから、不倫だって犯人だって何でも好きなことできるじゃないですか。やりがいがありますよ」 と話してくれた、いしださん。お別れ会は故人の遺志で行われないそう。ああ、また偉大な女優がひとり、この世を去ってしまった……合掌。 取材・文:石川敏男(芸能レポーター)

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