関係者によると、佐藤栄佐久元知事は3月19日午前3時1分に福島県郡山市の高齢者施設で家族に看取られながら亡くなった。死因は老衰で、85歳だった。 ■県民から悼む声 19日午後1時30分ごろ、号外が配られたJR福島駅前。福島県民からは「なんか寂しい感じがします。福島県のために色々尽力してくださった方だと思います。東京電力とか、アクアマリンとか」「驚いた。福島県のためには尽くしたんじゃないですか?長年ね。そう思っています」との声が聞かれた。 ■県土発展に尽力 郡山市出身の佐藤元知事は、1983年の参院選福島県選挙区で初当選した後、任期途中に辞職し、1988年の県知事選挙に立候補。5期連続で当選を重ねた。 2000年7月には、いわき市に「アクアマリンふくしま」をオープンさせるなど県土発展に力を尽くした。 ■もの言う知事 原子炉停止 強いリーダーシップで18年にわたり県を率い、国に対しても「もの言う知事」だった。2002年には「本気で日本の原子力政策を進めようとしているのか。核燃料サイクルについては、こういう機会に白紙に戻って考えたらいいんじゃないかと」と“白紙撤回”を表明したのは、東京電力が福島第一原子力発電所で計画していた核燃料サイクルのプルサーマル計画だ。 原因となったのが、東京電力のトラブル隠し。再発防止対策の徹底を求め、翌年の2003年4月には福島第一原発・第二原発の合わせて10基すべての原子炉が止まった。 福島県内のすべての原子炉が再稼働するまで2年余りかかった理由の1つが『晴れない霧』だった。 当時、佐藤栄佐久元知事は「今後、国と電力事業者が原子力発電所の安全確保をどのように進めていくのか。どのように図っていくのか。それを立地地域の安全・信頼にどうつなげていくのか、ということが重要。私は例えて言うなら、まだ霧がその辺にいっぱいあって、道路を走っていて、そこにまだ何があるか分からない」と語っていた。 ■談合事件をめぐり辞職 その一方で、5期目の途中だった2006年には、県発注の公共工事を巡る談合事件で弟が逮捕された。「道義的責任をとり、県政に対する県民の信頼を一刻も早く取り戻すため18年間の職務に自らの手で終止符を打つ決意をし、辞職願を提出し辞任することとしました」と責任を取って辞職。 その後、自らも逮捕・起訴され、収賄の罪で懲役2年・執行猶予4年が確定した。 ■ともに県政を担ってきた県議会議員からは 佐藤元知事と一緒に県政を担ってきた、佐藤憲保県議は「国に対して、地方の立場、原発立地県知事として明確に主張し続けた、あの姿勢は、原発事故を経験した福島県民だからこそ、ああいう姿勢が必要だったなと。今振り返ると本当に素晴らしい発信力のある知事だったと」と話し、瓜生信一郎県議は「決断力が素晴らしくて、そしてまた人に優しい面もあったろうしね。光の当たらないようなところにも、光を当てなくちゃならないというのが、栄佐久さんの心意気だったと思うね」と話した。 ■50年以上親交がある 元郡山市長・原正夫さん また、郡山市長を2期務めた原正夫元市長は「本当に残念。大変お世話になったものですから、本当に自分の兄貴を亡くしたような気持ち」と話す。佐藤元知事とは郡山青年会議所で活動を共にして以来、50年以上の親交があり、政治家を志すきっかけになったという。原元市長は「努力家でしたね。本当に物事に取り組むのも中途半端に取り組まないで、誠心誠意、精一杯物事に対して対処するという人でした」と語った。 ■内堀知事がコメント 訃報を受けて福島県の内堀知事は「持ち前の行動力と強い信念をもって県政の運営に当たられ、多大な功績を残されました。福島県が復興していく姿を見守っていただきたかっただけに、本当に残念でなりません」とコメントしている。 佐藤元知事の告別式は、3月28日午後2時から郡山市の郡山斎場で行われる予定だ。