光を求めて:/4 中学校にいじめ認めさせる /神奈川
2010年1月5日11時0分配信 毎日新聞
◇7年かかった“卒業証書” 判決で「間違っていなかった」
「判決は一生の宝物です」。県内の大学に通う1年生の桜井綾子さん(仮名、19歳)は09年6月、晴れやかな表情で語った。藤沢市の市立中学でいじめを受け難聴などになったとして賠償を求めた訴訟で、横浜地裁は市に支払いを命じたのだ。
「中学校にいじめを認めさせる」ため自ら選んだ闘い。晴れやかな表情は、勝ったから、だけではない。新たな一歩を踏み出せるという喜び。判決は、過去と決別し、夢へと後押しする“卒業証書”でもあった。
◇ ◇
入学して間もない部活動中に「先輩への言葉遣いが悪い」と言われたのが始まりだった。1年生の夏、カバンをズタズタに切られる。物がなくなる、暴言を浴びせられる……。被害が続いていた2年生の9月、耳が聞こえにくくなった。「心因性」だと精神科医は告げる。記憶が欠落する「解離症状」も現れた。母親に「今から帰るから」と電話した後、どこを通り、誰に会ったのか思い出せない。
医師は幾度も転校を勧めたが「転校したら負け」と応じなかった。負けず嫌いな性格だ。3年進級前、親が学校に掛け合い、仲の良い友達3人を同じクラスにしてもらった。そんな友達が支えだった。自分に原因があるのか確認したくて「これっておかしいよね?」と問いかけると、励ましてくれた。
ところが教師や学校は違った。部活顧問の男性教諭はカバン事件を校長らに報告さえしない。3年生の10月、セーターを切られ、心当たりの名を学年主任に告げると、「彼女を疑うことは中学生の常識としておかしい」と怒鳴りつけられた。「中学生の常識って何?」「私、間違ってるの? 間違ってるなら直したい」。疑問を抱えたまま卒業した。
加害者たちと別々の高校に進んだことでいじめは終わったが「被害」は続く。たまたま通学電車で、その一人を見掛けた高校入学直後のある日、体育の授業で倒れた。一言も交わしてなどいないのに、体が悲鳴を上げたのだ。同じように見掛けるだけで、じんましんが出て、全身に広がり救急病院に運び込まれたこともあった。
ただ、日常の風景から消えた加害者よりも、中学校への疑問が募った。高校が「中学校とは対照的」な校風だったのも大きい。いじめを全校集会で明らかにし、加害者を退学させたこともある。安心して通える高校で教師への信頼感を取り戻せた分、加害者を指導せず逆に被害者の自分を責めた中学の教師に対して「大人から受けたいじめ」と感じた。
「同じように、つらい思いをする人をなくしたい」。両親とともに立ち上がった。
文部科学省や県への相談、警察への被害届。「どうしたら学校はいじめを認めてくれるのか」と試行錯誤し、行き着いたのが訴訟だった。経験がないからと最初は断った西川茂弁護士も、熱意にほだされて引き受けてくれた。07年10月提訴、高校2年生になっていた。
記憶をたどって綾子さんが被害を語り、母親が書き取り、地裁に出す書類を作成していく。過去を思い出すのは大変だった。だが事実に反する市側の主張を聞くにつけ、「次はどんなことを言ってくるんだろう」と楽しむ余裕も出てきた。
大学に進み、判決を目前に控えた09年春。いつもの「記憶は飛びませんか」という医師の質問に、初めてはっきりと答えられた。
「大丈夫です」
中学1年生から続いた通院が終わった。
判決の日。その内容に、綾子さんは両親と共に涙ぐんだ。三代川俊一郎裁判官は、「加害者が特定できなかった」などの市側主張を退け、カバン事件などの被害について「明らかな犯罪行為」と指摘。「問題解決の努力に欠けていた」と学校を批判した。市側は控訴せず勝訴が確定、賠償金は振り込まれた。学校からも市からも加害者からも、謝罪はない。
◇ ◇
09年12月、綾子さんは高校卒業以来初めて母校を訪れた。介護福祉士の国家試験対策講座を受講するためだ。試験には既に合格しているが、訴訟などに追われるうちに忘れてしまった知識を取り戻したい。大学では福祉学を専攻し、進路について思いを巡らす。
高校受験で失敗し一度はあきらめた看護師、不登校の子を支援するスクールソーシャルワーカー、希望を与えてくれた「高校」の教師……。自分が間違っていなかったと判決が認めてくれたから考えられるようになった、と目を輝かせる。
「7年間かかって中学校を卒業した気分なんです」【杉埜水脈】
1月5日朝刊