おおいた評論:教員汚職の後に /大分

おおいた評論:教員汚職の後に /大分
毎日新聞 2012年2月20日(月)12時45分配信

 「おれが教師を辞める時には洗いざらい話すよ」。福岡で高校の教師を務める友人がこう話したことがある。「教育現場にはおまえが想像もつかんような理不尽なことがある」。教師の夢をかなえたのに、考えを通せない苦悩や怒りがないまぜになった言葉だった。
 08年夏に発覚した県教委の教員採用汚職事件。不正により不合格になるなどの不利益を被った元受験生らに支払った賠償金の補填(ほてん)分として、県教委は事件に関与した元幹部らに対する求償金約950万円全額の回収を明らかにした。野中信孝教育長は記者会見で「県が負担した分は補填された。これで区切りがついた」と述べ、求償問題の決着を強調した。
 しかし、事件そのものが解決したわけではない。県教委プロジェクトチーム(PT)による実態調査、収賄罪を巡る刑事裁判は終わったが、真相が解明できたとは言い難い。係争中の採用取り消し訴訟も、口利きやカネの流れなどの実態に踏み込めるか不透明。そこへ「求償金」という耳慣れない言葉が登場し、事件の焦点はいつの間にか、カネの負担のあり方にすり替わっていなかったか。
 野中教育長は「PT以上に内容を明らかにできる状況にない」と述べ、真相解明より再発防止や試験制度改革に取り組む意向を示した。だが、杵築速見消防組合の職員採用を巡る口利き事件が起き、再び不正の構図が浮上。公務員採用には、わいろや口利きがつきものなのかと首をかしげざるを得ない状況は続く。
 「再発防止」に最低限必要なもの。それは原因(真相)だ。その解明の努力を尽くさずして、県教委は再発防止の仕組みや教育改革についてどんなメッセージを発するのか。その意を受けた教育現場は、どんな言葉で事件を語るのだろうか。
 教師や子供たちが苦悩したり、理不尽と受け取ることのないメッセージであることを願う。<大分支局長・松藤幸之輔>

2月20日朝刊

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