慶応大ムスリム教授が女子大生を「洗脳」不倫 阿鼻叫喚の奪還劇
デイリー新潮 2017/9/19(火) 8:01配信
「洗脳」で女子大生を支配した「慶応大」ムスリム教授の不倫講座(1)
昨今、不倫が一種のブームとはいえ、立場を利用して女子学生を「洗脳」し、自分との不倫に専従させる教授がいたら、身の毛がよだつ思いはしないか。それが実際、日本を代表する私学にいたのだ。事態を見て見ぬふりしつづけた大学の責任も、限りなく重い。
***
大学を含む慶応義塾は陸の王者、私学の雄たるにふさわしく「ハラスメント防止委員会」を設置し、「ガイドライン」を策定している。そこでは、慶応が種々の背景を持つ人々が従事する機関であることを前提に、
〈このような環境では、各自の意識や価値観が多様であるため、潜在的にハラスメントが発生しやすい状況にあるといえます〉
そう記したうえで、
〈慶應義塾は、国際的な教育・研究・医療機関として、また、気品の泉源・智徳の模範たることを願って発展してきた組織として、いかなるハラスメントも容認しません〉
と高らかに謳う。頼もしいかぎりだが、同大湘南藤沢キャンパス(SFC)にある総合政策学部の奥田敦教授(57)の自宅マンションにはどんな〈気品の泉源〉があり、2年生の斉藤菜穂さん(21)=仮名=に向けて、いかなる〈智徳の模範〉が示されたのだろうか。
阿鼻叫喚の奪還劇
8月17日午後9時すぎ、SFCの最寄りである湘南台駅にほど近い奥田教授のマンション前には、菜穂さんの両親をはじめ数人が集まっていた。ドアを叩き、
「開けてーっ! 開けてーっ! 警察呼ぶわよ!」
そう大声で呼びかけたのは、奥田教授の妻。妻の言葉にしては物騒である。しばらくして教授がドアを開けると、男性2人が部屋に突入し、室内で教授と激しくもみ合った。その脇を菜穂さんの母と教授の妻が通り抜け、奥の引き戸を開けようとすると、教授は、
「うわわわあ! やめろ! 何やってんだよ!」
と、泣き声まじりにわめいて抵抗したが、男性陣に組み伏せられる。引き戸の奥では、菜穂さんが描写をはばかられるような姿で震えていた。彼女は教授の妻に、
「あなた、じゃあ、うちで何してんの!」
とたしなめられる。すると今度は、父親が教授に、
「奥さんがいながら、うちの娘に何してたんだよ!」
と、怒りをぶつけ、
「いい加減にしろ!」
と教授がわめく。
「それは私の台詞よ!」
妻がそう応酬しつつ、
「これだけの人が、あんたのこと、殺したいと思ってるのよ!」
と加えると、教授は、
「殺せよ、バカヤロー!」
そんな阿鼻叫喚地獄がしばらく続いたのち、奥から出てきた菜穂さんに、教授の妻はこう告げた。
「あなた、騙されているのよ。この人は、(同じことを)何人もの女子学生にしているんだから」
そして奥田教授が油断した隙をつき、菜穂さんを連れ出し、一団はエレベーターに飛び乗った。
ちなみに、奥田教授には妻のほか娘もいる。ここで誰かがほざいた「一線」がどうのという論議を蒸し返すつもりはない。そもそも妻子ある大学教授が、いま授業で教えている女子学生を自宅に呼んで2人きりで過ごせば、ハラスメントどころの騒ぎではあるまい。
しかし、もっと根深い問題は、こうして両親が菜穂さんを“奪還”するまでに、1年以上を要したという事実である。
“こんな自分にした親が悪い”
事の経緯を、菜穂さんの母親が振り返る。
「娘は昨年、慶応に入学するまでは、アラビア語やイスラムに興味があったわけではなく、入学前の外国語ガイダンスで情熱的な話を聞き、彼の授業を多く履修することになりました。SFCは一つテーマを見つければそれで済んでしまい、英語も選択肢の一つでしかない。ですから娘も、1年次は全40単位のうち20単位がアラビア語やイスラム関連の講義でした。ゼミに相当する“研究会”も1年次から履修できて、結果、特定の教師とばかり接触するようになりえます。2年生になった今年も、前期は25単位中、奥田教授がらみの講義が10単位でした」
むろん、奥田教授の講義を受けること自体には、何ら問題はない。
東京外大の飯塚正人教授(イスラム学)は、
「奥田先生はイスラム刑法の権威。熱心なイスラム教徒でもあり、イスラムを日本に広めるのに熱心ですが、どちらかというとアサド政権を容認する立場。ISとの繋がりはさほど心配しなくてもいいのでは」
と語る。母親の話に戻る。
「昨年10月ごろ、奥田教授から娘に頻繁にLINEが届くようになりました。20歳になった娘の研究テーマは“家族”。面談で奥田教授から“あなたの問題は家族だから研究テーマを家族にしなさい”と指導されたとか。勉強に集中するように言われてサークルも辞め、帰宅も遅くなり、“研究室に泊まるから”と、帰らないことも増えました。ボーイフレンドとも別れ、冬休みも研究室に通うようになった。“思い出も捨てなきゃいけない”と、クローゼットからぬいぐるみを出して捨ててしまい、年が明けると“こんな自分にした親が悪い”と、私たちをなじるようになりました」
1月下旬、菜穂さんは黙って家出した。
「娘はいったん戻りましたが、2月の春休みは頻繁に外泊し、帰宅する日も帰りは0時前後。2月下旬には奥田教授と2人きりで1週間、沖縄国際大学に行ってしまいました」
大学は見て見ぬふり
もはや親の手には負えないと判断した両親は、大学への相談もはじめていた。
「1月下旬、娘が家出したとき、私が大学の学事課に行き、娘が学内にいるか生存確認を依頼。沖縄に行っている間には、2度目の相談に出向きました。それを受けて総合政策学部長が奥田教授と面談し、今後は2人が学外で会ってはいけない、と厳重注意がなされたはずですが、娘の行動は改善しません。大学に相談しても“学外のことを知りたければ自分で調べてくれ”と言われ、探偵に調査を依頼しました。案の定、研究室と言っていた娘の行き先は奥田教授のマンションで、朝10時から夕方6時までマンションにこもりきっていたり、でした」
探偵の調査報告書を4月、5月初旬の2回にわたって受け取った両親は、それを大学に提出するが、
「大学から“タイミングが合わない”という、よくわからない理由で“調査委員会は立ち上げられない”と言われ、3回目の調査書を5月下旬に提出。やっと調査委員会が立ち上げられることになりました。それからは娘の外泊はなくなりましたが、委員会の内容もスケジュールも、一切知らせてもらえません」
一方、菜穂さんの奥田教授との通話記録は激増する。7月には、菜穂さんが奥田教授の携帯に発信した回数だけで115回、通話時間の合計は75時間31分に及ぶ。1回で10時間を超える通話もある代わりに、奥田教授以外に向けて発信された記録は1回しかない。
「最近、娘は“家族とは辛い思い出しかない”と言い、メモに“先生とだったら世界征服もできそう”“死ぬのが怖くなくなってきた”などと書いている。奥田教授と会うまでは普通の子だった娘が、人格まで変わってしまいました」
***
(2)へつづく
「週刊新潮」2017年9月14日号 掲載