『スクールセクハラ』を放置した僕は全力で償いたい
JBpress 2018/10/12(金) 12:00配信
『スクールセクハラ』という本をご存じだろうか。教師が絶対的な権力を持つ学校で起きる性犯罪「スクールセクハラ」の実態を浮き彫りにした執念のドキュメントである。この本を著者がなぜ書こうとし、編集者がなぜ作ろうとし、書店員がなぜ売ろうとしたのか。その三者の思いをお伝えする。まずはさわや書店の書店員松本大介さん。彼が始めた意外な取り組みとは・・・。(JBpress)
印象的な装丁の本だな・・・。
2014年に『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』(池谷 孝司著、幻冬舎)が出版され、品出しをしていて手にとった時の気持ちを、いまでも覚えている。表紙には腰ほどの高さの柵に手をかけた、女子学生と思しき後姿の写真。彼女の視線の先には、学校の校舎のような建物がある。その後姿からはただならぬ雰囲気が察せられる。どこか危うさを感じさせる彼女。仮にこの「現場」にいても、僕は声をかけることはないだろうなと考え、気にはしながらも「関わらないでおこう」と本書を置いた。
だがそれから4年のときが経ち、ある縁によって本書を読み終えたいま、表紙の印象から勝手に内容を推測し、読むことをしなかった当時の自分を蹴とばしてやりたい。いまなら分かる。校舎へと視線を漂わせる彼女の瞳に、厳密な意味でそれは映ってはいまい。おそらく過去の一点へとその意識は向いているはずだから。
冒頭に「品出し」と書いたことからも察せられと思うが、僕は本屋に勤めている。年間8万点に及ぶ新刊が出版される業界の、読者に一番近い立場に身を置きながら、毎日200点ほどの新刊を店頭に並べて20年近く経つ。そんな日々で、確信を持って言えることが一つだけある。それは「人と本とは出会うべくして出会う」ということだ。
『スクールセクハラ』が、2017年に「文庫化」したタイミングでも、僕が本書を手にすることはなかった。後姿の彼女の愁いは、その間にきっと深くなったことだろう。いや、愁いなどという言葉では軽すぎる。望んでもいないのにもたらされた、彼女の忌むべき過去の記憶は「絶望」そのものだ。想像すらしなかった最悪な事実を、本書を読むことで知った。
僕が二度逸してしまった、本書に出合うタイミング。それを取り持ってくれたのは、著者である池谷孝司さんご自身だった。当店の存在を何らかのきっかけで知った池谷さんが、『スクールセクハラ』の文庫本を送ってくださったのだった。
ああ、あの本だ。
開封して三度出会った彼女の後姿。文庫化からすでに1年が経っていた。添えられていた真摯な訴えの手紙は、少なくはない「著者の本の売り込み」のたぐいとは明らかに異なっていた。
自己の作品がいかに優れているかに終始するそれらとは一線を画し、弱者である被害者の側に立って、この問題をどうにかしなければならないという、鬼気迫る「無私」の思いが綴られていたのだった。それでも、まだ本書を読む前の僕は、「スクールセクハラ」という魂の殺人ともいうべき犯罪行為をどこか軽く捉えていた。
様々なハラスメント問題が盛んにメディアに取り挙げられた2018年。この本を売り出すにはいいタイミングかもしれないなと、どこか頭の隅のほうで「計算」していたように思う。
だが心を抉られるような事実が書かれた本書を読み終え、すっかり打ちのめされた気分で、もう一度池谷さんの手紙を読み返して「あぁ」と声が漏れた。この人は、この絶望に近い被害状況を知ってなお、逃げ出すことなく被害者に寄り添い、あまつさえ強大な敵と戦おうとしている。そこに自分を利するものは何ひとつないというのに・・・。
■ 覚醒を促す活動に取り組むことではないか
もし他人の絶望に触れたとき、自分に何ができるだろう。声をかけずに去ることは選択肢のひとつかもしれない。なぜなら知らなければ、自分の認知する世界において、そこに絶望があることにはならないからだ。4年の間、僕のなかに本書の被害者の人たちの絶望は存在しなかった。だが、いまはある。二度、通り過ぎた僕が、三度目にして出会った真実。
何かをしなければならないと思った。
一介の書店員である自分が、できることがあるとしたらそれは何かと、必死に考えた。
そのヒントは、本書をもう一度読み返すことで得た。スクールセクハラの被害後、教育委員会が事実を把握した後の対応に関して、疑問が呈されている。あまりに事なかれ主義のその対応は、勇気をもって訴え出た被害者の魂を切り刻む、二本目の刃に思えた。
事実を知っても、被害者に直接寄り添えるわけではない、僕ら読者ができること。それは、加害者の「監視強化」を担うべき組織に、覚醒を促す活動に取り組むことではないだろうか。
と同時に、この件に関しては、何かを差し出さなければならない気がしていた。だから、10冊を販売するごとに1冊自腹で本書を買い上げて、47都道府県の教育委員会の教育長へ、主旨を説明した手紙と自分の名刺を同封し、送ることに決めた。この本の利益は、形を変えて被害者を救うことに充てたいと思った。4年間放置した僕なりの贖罪のつもりだ。
送付先の都道府県を選ぶ過程を「くじ引き」にして、その動画をSNSにアップすることにした。
面白おかしく、ふざけた風を装いながら本を売ることをモットーとしてきた当書店にしては、珍しく真面目な取り組みだ。お客さんが「引く」といけないという配慮と、少しでもこの問題を広く訴えたい、興味をもって欲しいとの思いからだった。
送付を始めたのは今年7月下旬。これまでに60数冊を販売したので、6県に送付した。残念ながら今のところ反応はない。
実は「いきなり送り付けるのは無礼だ」「この重い問題をくじ引きなんかで」とか、苦言をいただくこともあった。だがそれは、問題の取り組みに対する注目の高まりの証左であると、前向きに捉えている。そういった方法論ではなく中身の議論へ、問題の本質の議論へとその矛先が向いて欲しいと、願っている。
知って欲しい。伝えて欲しい。声をあげて欲しい。
この本との出会いによって、未然に防げる事件と、絶望を和らげる未来がある。
松本 大介(さわや書店)