日本で「ブラック保育所」が次々と生まれる絶望的な構造
現代ビジネス 2018/11/12(月) 11:00配信
秋の保育所見学シーズンがやってきた。
来年4月に保育所に子どもを預けるには、今年11月から年末にかけて申し込みの締め切りとなる。
子どもを預けたい保育所かどうか。保育士の労働実態に目を向けなければ、その保育所の真実の姿は分からない。保育士にどれだけきちんと人件費をかけているかで保育内容が左右されると言っても過言ではない。
ここでは、「やりがい搾取」を許してしまう、保育所の運営費用の使途制限を緩和した「委託費の弾力運用」という制度に着目。『ルポ 保育格差』などの著者でジャーナリストの小林美希氏による短期集中レポートをお届けする。
「大手で安心」から地獄へ…
「あんなに憧れていた保育士なのに……。働けなくなって今、生活保護を申請するような状況になりました」
保育所を運営する株式会社の大手に就職した斉藤理香さん(仮名)は、過酷な労働環境に耐えられず、わずか2年の間にメンタルヘルスを崩し、働くことができなくなってしまった。
新卒年目、理香さんは1歳児クラスの担任になった。約20人の園児に担任は3人。1歳児の保育士の配置基準は子ども6人に保育士1人のため、パートの補助がついた。担任のうち1人が秋口から産休に入ることが分かると、8月から「早く仕事を覚えて」と、業務を詰め込まれた。
連絡ノート、クラスだより、保育計画の作成。日々の書類業務のほか、数え上げればきりがない。まだ慣れないなかで時間もかかり、プレッシャーを感じた。
毎日夕方になると先輩の保育士が、残っている子どもの人数計算をする。シフトの勤務時間が終わっていても配置基準通りの保育士が足りないと「今日は1時間残って!」と言われるがまま残業することとなる。
保育室を出ると、いったんタイムカードを切って着替えもせずに残った仕事に取り掛かり、翌日の保育の用意をする。21時に閉園になるため、それでも仕事が終わらなければ持ち帰った。タイムカードを切ったあとの残業代はいっさい支払われない。
働く保育士にとってブラックな環境なら、同時に子どもにとってもブラック保育所となる。
業務が増えた夏、理香さんは先輩保育士から理不尽な指示を受けた。たらいで水遊びをしていた子ども5人を一人で見ろという。
子どもの一人が別のクラスの園児の方に向かって歩いていってしまうと先輩は、「(ほかの4人を置いて)あの子を追いかけて連れ戻して」と命令する。「目を離した隙に溺れたらいけないので離れられません」と理香さんは譲れなかった。
理香さんの判断は正しかったが、その後、先輩からいじめに遭うようになった。9月には吐き気や立ち眩みがおこるようになり、心療内科にいくと「適応障害」と診断された。
担任のひとりが産休に入っても代替職員は配置されなかった。保育中はパートの保育士がついたが、主な業務は担任2人でこなさなければならない。
クラス全員の連絡ノートを書き、行事の準備をする。仕事が倍になり、4時間も残業する日が増えて疲労困憊した。
土曜保育もほとんど出勤。保育中は子ども同士の噛みつき、ひっかきが起こらないように神経をすり減らす。
理香さんの1年目の給与明細を見せてもらうと、合計で約280万円。理香さんは「就職する時は大手で安心と思ったが、裏切られた。給与も高くはなく、サービス残業にも納得がいかなかった。保育士がこの状態で良い保育ができるわけがない」と怒りを隠せない様子だ。
2年目、他の系列園に異動になったが今度は園長からパワハラに遭い、適応障害が悪化して休職。わずか2年のうちに退職に追い込まれた。
その後、派遣やパートで保育士を続けてはみたものの、うつの症状は悪くなる一方。理香さんは、生活保護を受けて治療に専念するため保育の現場を去った。
わずか2年前には希望に満ち溢れていた若い保育士が一転、地獄に落ちたも同然の状況だ。
「ブラック保育所」が生まれる構造的問題
待機児童対策のため急ピッチで保育所が作られるなか、理香さんが経験した職場のような、保育士が低賃金で長時間労働という“ブラック保育所”の存在が目立っている。
その構造的な問題はどこにあるのか。筆者が問題視するのは国が認める「委託費の弾力運用」という制度だ。
認可保育所には、委託費と呼ばれる運営費用が市区町村を通して支払われている。その内訳は「人件費」「事業費」「管理費」の3つ。
「事業費」は、給食費や日々の保育に必要な材料を購入したりするためのものがメインとなり、「管理費」は職員の福利厚生費や土地建物の賃借料、業務委託費など。
国があらかじめどのくらい費用がかかるかを見積もっており、人件費が8割、事業費と管理費はそれぞれ約1割の想定となっている。
もともと、「人件費は人件費に」「事業費は事業費に」「管理費は管理費に」という使途制限がかけられていたが、それを規制緩和して相互に流用できるようになったのが前述した「委託費の弾力運用」となる。
問題なのは、弾力運用が3つの費用の相互流用だけでなく、同一法人が運営する他の保育所への流用、新規施設の開設費用への流用も認めていることだ。
賃金の低い層の若手が多いと人件費比率は低くなりがちだが、多くの大手で、人件費比率が低くなる大きな原因となるのは、新たな保育所建設のための費用に人件費分を回しているからだ。
さらに、人件費や修繕費用の積立が上限なくできるようになり、内部留保されてしまう。積立は都道府県が認めれば新規の設備整備費などにも回すことが可能で、実際のところ、保育所の新規開設費に回されてしまうことも少なくはない。
2004年度からは、社会福祉法人であれば、介護施設への流用まで可能となり、介護事業の赤字を保育の運営費で穴埋めすることもできるようになってしまった。
こうした規制緩和から、本来は8割かけられるはずの人件費が抑え込まれ、なかには3〜4割程度しか人件費比率がかけられないケースが出てきたのだ。
その結果、保育士が低賃金のまま、十分な保育職員を雇えず、人員配置基準ギリギリの状態で長時間過密労働を強いられるようになる。コストカットが優先されて、子どもにとって必要な玩具も折り紙も買ってもらえない。
そんな悲惨な状況に陥るブラック保育所が散見されることに、警鐘を鳴らさなければならない。
人件費比率も賃金実額も低い
筆者が注目しているのは、現場の保育士や保育補助者、調理員などに絞り込んだ「保育従事者の人件費比率」(以下、保育者人件費比率)だ。
園長や事務員、用務員は同族経営の場合に著しく高収入で保育士は薄給という例もあるため、全体の人件費に園長などの給与が含まれていると、全体が高く見えてしまい、実態が正しく反映されない。
しかし東京都は、園長、事務員、用務員の人件費を除いた、保育者人件費比率のデータを2015年度から集めており、大きな参考となる。
東京都23内にある700超の認可保育士について、保育者人件費比率の載った財務諸表を調べてみると、2015年度で社会福祉法人は55.4%、株式会社は42.4%と低いことが分かった。
そして、財務諸表を集計すると「人件費」「事業費」「管理費」以外に計上されている金額の合計は1年間で280億円に上ることが判明した。これは例えば、東京都世田谷区の私立認可保育所の運営費の年間予算に匹敵し、約2万人分を保育できる金額となる。
こうした状態が放置されているのは、待機児童問題にある。この数年は待機児童解消が官邸挙げての目玉政策となっているため、保育所を作ってとお願いする立場にある行政としては強く出られない。しかも、私立に任せたほうがコストは公立の2分の1程度で済む。
さらに、営利企業はニーズがあれば進出し、ニーズがなくなれば撤退してくれるため、株式会社立の保育所の存在は行政にとって都合が良いのだ。ただ、企業にとって委託費に厳しい使途制限がついては、思うように参入してもらえない。
もともと認可保育所の設置は、その公共性の高さから公立保育園のほかは社会福祉法人にしか認められていなかったが、それでは需要に追い付かないため、2000年、国は設置主体を規制緩和する通知を出して、社会福祉法人以外にも認め、営利企業である株式会社のほか、NPO法人や宗教法人、学校法人も認可保育所が作ることができるようにした。
それと同時に、いわゆる「委託費の弾力運用」を認め、使途制限を大幅に緩和したのだ。保育は運営費の8割が人件費。労働集約的な事業では、株式会社が参入するにはうまみがない。
委託費のなかで保育士の人件費は2017年で平均年収380万円と示されている。国が行う処遇改善を上乗せすると、平均年収は398万円になる。それに加えて、キャリアに応じての処遇改善も行われているため、経験3年以上ではサラリーマン平均に並ぶ年収404万円、7年以上で446万円になる計算だ。
さらに東京都は独自の処遇改善の補助金を出しているため、例えば経験7年以上であれば、年収は498万円になるはずだが、理想通りにはいかないのが現実だ。
冒頭の理香さんが就職した会社が運営する保育所の保育者人件費比率は軒並み20%〜30%台だった。人件費比率が低く、賃金実額も低く、人員体制はギリギリ。
他の大手株式会社でも「1年目の年収は200万円台だった」と複数の保育士が辞めていった。「委託費の弾力運用」が搾取の構造を許し、ブラック保育所を作り出す諸悪の根源となっているのではないか。
もはや株式会社に限らず、社会福祉法人も右へ倣えの状態で人件費比率が3〜4割というケースも目立っている。理香さんをはじめ、急拡大中の大手・中堅に就職して疲弊した保育士たちが「現場は人手不足で疲れ切り、保育の質どころではない。それなのに、なぜ、次々に保育所を作るのか」と、疑問を感じているが、その悲痛な叫び声はまるで届いていない。
保育士や子どもに使うはずの委託費が、施設整備費に回されて保育の質が劣化していくのでは本末転倒だ。性善説が通用しなくなった今、委託費の弾力運用に一定の縛りをかけない限りこの状態が続いてしまうことを、見過ごすことはできない。
小林 美希