顧問から強圧的な指導受けた女子生徒、校舎から飛び降り 教育長「現場の教師ら『人ごと』」

顧問から強圧的な指導受けた女子生徒、校舎から飛び降り 教育長「現場の教師ら『人ごと』」
神戸新聞NEXT 2021/4/15(木) 20:07配信

 兵庫県宝塚市立中学校で2019年、吹奏楽部員だった2年生の女子生徒(今春卒業)が顧問から強圧的な指導を受けた後、校舎4階から飛び降りて重傷を負った事故で、市教育委員会が報告書を15日に公表し、森恵実子教育長らが会見した。主なやりとりは次の通り。

 「被害に遭われたお子さま、保護者に心身ともに大きな苦痛を与えましたこと、深くおわびします」

 −昨年3月にまとまり、いったん非公表とした報告書を、今なぜ公表したか。

 「事実や経緯を多くの方に知ってもらい、再発防止につなげるため、報告書は公表する必要があると考えている。しかし当初、保護者から非公表を求められたため差し控えた。昨年8月になり、公表を望む意向が伝えられたため調整を続け、この時期になった」

 −この元顧問は別の中学校で教えているのか。

 「教えている。事故直後から療養休暇などを取得し休んでいたが、昨年4月から復帰している。部活の指導はしていない」

 −元顧問はどう受け止めているのか。

 「威圧的だったと。真摯(しんし)に受け止める、意思疎通をもっと取るべきだった、と反省している」

 −保護者が不信を抱いている。

 「昨年3月に報告書がまとまった際、保護者に謝罪したいと申し出た。しかし『復帰するための謝罪か』と思われたのか、応じていただけなかった。昨年8月以降は、双方の代理人を通じて話し合いを続けている。まだ謝罪は受け入れていただいていない」

 −この間、昨年9月には別の市立中学で柔道部顧問が部員に重軽傷を負わせる事件が起きた。再発防止の取り組みは十分だったか。

 「研修も重ねてきたが、現場の教師らは『人ごと』と感じていたようだ。自分も指導中に、そういうことをする可能性があるという意識が欠けていた。再発防止策を徹底できなかった。アンケートで実態を調べ、クラブ活動のあり方を定めた部活動白書を作成した。顧問任せだった点を反省し、学校内で部活の状況を共有する態勢づくりを進めている」

 −転落事故の背景が現場の教師たちに伝わっていない。柔道部の事件も部活動中に起きた。公表の遅れが、さらに悪質な事案の発生を招いたのではないか。

 「公表に当たっては、保護者の意向を聞かなくてはならない。直接やりとりできない中、代理人を通じて丁寧にやってきた結果として時間がかかった。公表を見送ったことが、柔道部の事件に結びついたとは考えていない」

 「まだ受験を控えた中学生だったため、教育的配慮もあった。代理人を通じたやりとりになり、スピーディーにできなかったことには責任を感じている」

 −副顧問2人が機能していない。柔道部の事件でも副顧問は傍観していた。

 「副顧問も積極的にかかわらなくてはならない。生徒との対話を副顧問が担っている面もある。主顧問と副顧問がかみあわないと。検討委員会を立ち上げたので、議論を現場に降ろしていきたい」

 −指導をどう改善する。

 「部活動の顧問たちからは『どんな指導が理にかなっているのか』『根性論ではなく、根拠に基づいた指導をしたい』と声が届いている。思いに応えていきたい。生徒と対話できる関係を築くための取り組みを進める。部活ガイドラインのモデル校を設定し、成果を広げていきたい」

 −成績至上主義がある。

 「顧問の満足のために部活動をするのはおかしい。ただ、生徒が『勝ちたい』『金賞を取りたい』と望むなら、そのために指導するのが教育。勝利を目指すことを単に否定するのではなく、指導に結びつくという教育的意義があるかどうかだ。生徒ファーストで考える」

 −今回の件を受け、市教委は昨年7月、生徒の命に関わる場合の処分基準を見直すよう県教委に要望している。

 「特に県教委から回答はない」

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顧問の指導後、校舎から飛び降り 女子生徒の母が手記「言葉にできない恐怖心と絶望感」
神戸新聞NEXT 2021/4/15(木) 21:01配信

 宝塚市立中学校で2019年、吹奏楽部員だった2年生の女子生徒(今春卒業)が顧問から強圧的な指導を受けた後、校舎4階から飛び降りて重傷を負った事故で、元生徒の母親が15日、手記を発表した。要旨は次の通り。

 娘は、小さい時から何事にも真面目にコツコツと頑張る子どもでした。

 中学校に入学し、部活についていろいろ悩んだ末、音楽を楽しみたいと希望を抱いて吹奏楽部へ入部することに決めました。

 吹奏楽部はコンクールなどもあり、とても厳しいということは、入部前から私も娘も知っていましたが、学校生活を送る中で勉強も真面目に取り組み、さらに部活でも一生懸命頑張っている姿を、私たち家族は見守ってきました。部活内での部員同士の人間関係についてはとても良好だったようで、2年生になってからも同じパートの先輩や後輩の事も楽しそうに話していました。

 もっとも時折、顧問の先生が他の部員に対して激しく叱責している話を娘から聞いたり、その光景を目の当たりにした娘から「あんなふうに怒られたくないな」との言動が聞かれたこともあり、私は心配になって何かあれば顧問と話をするし、部活が負担になるならいつでもやめても良いからと娘に伝えていました。

 事件の数日前からは、帰宅後は学校の提出物とコンクールの楽譜を覚えなければならなかったようで、娘は連日明け方まで頑張って取り組んでいたのですが、体を壊さないか心配で休息も勧めました。しかし、娘からは「楽譜は覚えていかないと怒られるから」との返答でした。

 「怒られる」という言葉はずっと引っ掛かっており、顧問の先生の、部員や保護者への対応にも以前から不信感もあり、つらいならば顧問と話すし、休部するかやめてはどうかと提案しましたが、本人は「大丈夫、先輩や後輩も頑張っているからやめない」と言っていました。

 事件当日、娘は朝は普段と変わらず起きてきて、ご飯を食べて登校の準備をしながら待ち合わせをしている友達とメールでやり取りもして笑っていました。いつも通りに登校したはずなのに、一瞬で私たち家族の日常が崩れてしまいました。

 事件の知らせの電話を受けて、私は頭が真っ白になってしばらく動けませんでしたが、私の尋常ではない様子をそばで見ていた子どもから「どうしたん? 何かあった?」と聞かれて我に返り、娘が死ぬかもしれない、早くみんなでそばに行かないと!と、そこから病院に着くまでのことはよく覚えていませんが、震える手でハンドルをきつく握っていたこと、心の中で『大丈夫、絶対大丈夫』と繰り返し自分に言い聞かせていた、言葉にできない恐怖心と絶望感は今でも鮮明に覚えています。娘を失っていてもおかしくないほどの事件であったことを思うと、今でも恐ろしさがよみがえってきます。

 病院に着いてすぐ、医師から受傷状況と手術を含めた緊急治療への説明を受け、ようやく変わり果てて横たわった娘に対面する事ができました。

 「生きてた。良かった」。心の中でつぶやきました。

 駆け寄った私たちに「ごめんね。ああするしかなかってん」という娘からの第一声に、こんなつらい選択をさせてしまったことに「ごめんね。生きててくれて良かった。ごめんね」としか言えず、必死に涙をこらえていたのを覚えています。

 学校からは、合奏曲の練習中に娘の音が合わなかったことを顧問からきつく怒られて廊下で100回叩いてくるよう部屋から一人で出された、しばらくは練習の音が聞こえていたらしいが、休憩になり他の部員が知らせに行ったが姿がなく、校舎の4階の廊下に楽器が置いてあり、開いていた窓から見下ろすと横たわっている娘を見つけた、職員数名が娘のそばに駆け寄り一瞬意識が戻った娘が、顧問に「先生すいませんでした。出来ませんでした」と話していた、落ちたことについては「自分で落ちた」と言っていた、という報告を受けました。

 娘は事件後、8回にも及ぶ手術を繰り返し、現在も骨折術後のリハビリを含めた通院加療中です。

 まだ思うように動けず、日常生活にも支障をきたしておりさらなる手術が必要になるかもしれませんし、今後の見通しは立っていない状況です。

 また、手術の際にできた大きな傷は、一生涯消えることはなく、傷を目にするたびに事件のことを思い出してしまうかと考えると、心に治癒することのないつらい後遺症を残してしまっています。

 事件後は、治療が優先で勉強どころではありませんでした。

 約4カ月半の入院期間を終えて自宅療養に入ってからも、心と体の休息が取れるよう家族でゆっくりと過ごし、高校入試を控えて入学志望校について考え、入試に向けて本腰を入れて勉強に取り組みだしたのは2年生の9月中旬ごろでした。

 それでも元来、真面目に一生懸命頑張る娘は、志望校を決めてコツコツと努力を重ねて今春、なんとか無事に志望校に入学することができました。娘がここまで回復してきた過程においては、娘のきょうだいの支えがあったからこそだと言えます。

 事件後、娘の入院中は、私は毎日仕事を終えてすぐに病院へ向かい消灯まで娘そばに付き添っていました。娘のきょうだいは帰宅してからの遅い夕食にも文句も言わずに娘のことを心配してくれていました。何度も手術を繰り返し、そのたびに病院の待合で長く不安な思いで手術が無事に終わるのを待っていてくれました。休日は子どもたちも交代で娘と一緒に過ごしてくれ、子どもたちと話して笑顔が増えてくる娘を見て、これほどの出来事を受け止めて、支え続けてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになるとともに、娘にかかりきりで大変な思いをさせてしまったことは今でも申し訳なく思っています。 今現在も、通院は続いているため、事件によって家庭生活は一変してしまい、事件がなければと思わない日はありません。

 事件後、すぐに教育委員会に第三者委員会による検証をお願いしました。

 真面目に部活動に取り組んでいた娘が、音が合わなかっただけで、理不尽に大声で叱責され、みんなの前で部屋から出されてどんなにつらかったか。音楽を楽しみたくて吹奏部に入部したはずなのに、楽しむどころか怒られないように顧問の顔色を伺わなければならない部活とは何なのか? 叱責されなければならないほどのことを本当にしたのだろうか? 事件後に重傷を負いながらも『ごめんなさい』と謝らなければならないことをしたのでしょうか?

 中学生という心も体も未熟な子どもたちを指導する教師としての資質について、もっとしっかりと考えてもらわなければ、娘と同じように苦しみ悲しい選択をせざるを得ない事件が二度と起こってはならないという強い思いからでした。

 同時に、教育委員会の方々との話し合いを行ってきましたが、第三者委員会の報告書を踏まえて昨年3月に部活顧問と面会して謝罪の場を設けたいとの打診がありました。顧問からの自発的な申し入れではなく、新年度に顧問を職場に復帰させなければならないための、取り急ぎの提案でした。謝罪の場と言われても、教育委員会との話し合いの中でも顧問の娘への思いや事件のことについてどう考えているのかなど全く見えない状況でしたので、これでは真の謝罪にはならないと感じ、面談は断りました。しかし、顧問は4月には職場に復帰し教壇に立っていることを知らされ、市の教育委員会に抗議しましたが、教員の処分は軽すぎると思うが県の教育委員会が決めることなのでどうしようもないとの返答だけでした。

 その後は、謝罪を保護者が拒否したということで顧問のことも一切連絡がありませんでした。

 第三者委員会の報告書の内容については、私はおおむね納得をしていたのですが、これを公表すると、娘が中学校に在籍中であり、娘への影響もあるという助言などもあり、その時は非公表にする事で娘を守ることができると考えて非公表に応じました。

 しかし、昨年6月に、県教育委員会から顧問に対して停職1カ月の処分が発表されましたが、「命に関わる重大な事件」が起き、今なお娘が心身ともに苦しんでいるのに本当にこのような軽い処分ですぐに復職して良いものなのかと県及び市の教育委員会に対しては強い憤りを感じました。また、事件後、校長先生や教務の先生方が娘に親身なって寄り添い、サポートして下さったおかげで娘はこの春無事に卒業するに至りましたが、教育委員会の対応は、表面だけ取り繕ってあとは現場任せの対応に感じていました。第三者委員会の報告書も非公開にしてしまったことで、単に娘が校舎から「自分で落ちた」「けがをした」という程度の扱いで、この事件が終息してしまったことにされてしまうように感じたため、改めて事件の概要を広く知ってもらいたいと思い、調査報告書を公表するように市に求める決心をしました。 教育委員会におかれては、調査報告書を再度十分検討し、それを踏まえた再発防止策を徹底して頂きたいと思います。そして人を育てるという教師の資質について、もう一度立ち止まって考えて頂きたいと思っています。

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