いじめを深刻化させる小学校の、あきれた実態〜被害者の親を責める校長に加害者の親…

いじめを深刻化させる小学校の、あきれた実態〜被害者の親を責める校長に加害者の親…
Business Journal 2013年7月28日(日)22時11分配信

 7月12日、名古屋市内で、市立中学2年の男子生徒がマンションから転落死した事件があった。まだ事件そのものがつまびらかになっていないので言及は避けるが、背景にいじめ問題があったとの報もある。

 こうしたいじめ問題では、いつも学校側の対応の遅さ、認識の甘さが指摘される。一方、学校側の言い分は、いじめ被害を受けた児童・生徒のみならず、加害児童・生徒の人権をも守らなければならないというものだ。結果、加害者の権利が守られ、被害者の権利がないがしろにされる。人が絡む繊細な問題ゆえ、学校側は慎重な調査を行う。この慎重な調査の間にいじめがますますエスカレート。最悪の悲劇を生むこともある。
 まずは、以下の詩をみてもらいたい。

「今日
なみだをたくさん流した。
そうじの時間、◯君が
前私がなくしていた消しゴムをホウキでつついていた。
それをひろうと、なぜか◯がホウキでつついてきた。
◯がホウキでなぐってきた。
その他の男たちが足をホウキでつついてきた。
左足はダメージをうけなかったが右足はダメージをたくさんうけた。
しめは◯のぞうきんしぼりだ。
右手をねじられた。
おかげで右手は右に回らなくなった。

私はトイレにかけこみ、大声でないた。
よほどいたくてくやしかったのだろう。
五時間目は体育だった。
私はもう四年生だ。
こうい室で着がえる。
もちろん先生とは別室だ。

体育のじゅ業が終わった後女子こうい室にもどった。そしたらなんと、
着がえる服がないではないか。
必死に探した。
そしたら、すのこの下にひいてあるではないか。
なんときたない。
地べたなんて。
私はもうかんにんぶくろのおが切れた。
また私はちかくのトイレにかけこんだ」
【編註:文中の「◯君」は原文では実名だが、筆者判断で伏せ字とした】

●勉強ができ、真面目で、活発な子ほどいじめの標的に

 この詩は大阪市内の市立小学校に通う、小学校4年の女子児童、Aちゃん(仮名)のものだ。いじめはAちゃんが小学校3年だった去年からひどくなった。

 勉強もでき、スポーツも万能で活発なAちゃんは、その“活発さ”、そして“真面目さ”ゆえにイジメのターゲットになったという。体操服や上履きを隠され、破かれたほか、上記掲載の詩にもあるように文房具を隠す、ゴミ箱に捨てられるなどは日常茶飯事、5人から袋叩きにされたり、ホウキで頭を殴られたこともあったという。またクラスのいじめっ子から無視され、Aちゃんと仲のよい子も、Aちゃんと話をすると「Aウィルスがうつる」などとはやし立てられ、結果、クラスのみんなから無視される――。

 このようなひどいいじめから、Aちゃんの母親は、昨年の11月頃、担任教諭に連絡。「よくみておきます」との事務的な対応だけで、なんらいじめの解決には結びつかなかった。母親によると、年度が変わり4年生に進級しても、いじめが収まるどころか余計にひどくなり、Aちゃんは体にあざをつくって帰ってくることもあったという。

 さすがに、ここまでくるとAちゃんの我慢も限界を超えたのだろう。Aちゃんは、今年4月頃から、母親でも、学校の先生でもなく、周囲にいる大人に、いじめを引き続き受けている実態についてSOSを発信する。筆者もSOSを受けた大人の1人だ。なぜ周囲の大人への発信だったのか。その理由についてAちゃんは「お母さんと先生方に心配をかけたくなかった」と話す。

 いじめ被害に遭っている子どもが、親や教師に心配をかけまいとする、同時にいじめを行っている子どもから、「チクった(告げ口をした)」ことでさらなるいじめに遭うことを防ぐべく、自らが受けたいじめについて“過少申告”することが多い。Aちゃんもそんな気持ちからか、自らが受けたいじめ内容について、親、学校の先生には“過少申告”していたようだ。

 だが、この過少申告を鵜呑みにし、学校側の対応が結果的に後手に回った感は否めない。話が前後するが、それは、このいじめのあった市立小学校の校長の「(Aちゃん本人から聞き取り調査を行った際、いじめについて)本人はあまり深刻に捉えているふうではなかった」との発言からも見て取れる。

●責任の所在を曖昧にする学校、教育委員会

 それにしても市立小学校側、またこれを指導する大阪市教育委員会の対応がひどい。筆者が、まずこの市立小学校に取材申し込みを行った際、電話対応した女性は「校長はおりません」と発言。一刻を争う事態であると告げると、今度は「取材は教育委員会で対応する」と木で鼻をくくったような対応。

 やむを得ないので、「こうした応対も含めて教育委員会に報告するが、それでよいか」と告げると、すぐに校長が電話口に出てくるといったありさまだ。

 後日、校長に直接取材すると、「いじめがあった」との事実を認めた。しかし、これは、被害を受けた側が、いじめと捉えたのであればいじめである――との認識で、どこかお役所仕事的な回答に終始。また、「今後、人権意識を高めるべく、道徳の授業をより手厚くする」などの策が語られたが、はたして、これで本当にいじめは撲滅できるのか。部外者ながら、少なからず心配になる。

 上述した5人の児童からAちゃんが袋叩きにされ、ホウキで頭を殴られた際、「目まいがして、ふらふらして、一日中、気分が悪くなった」という。

 これについて校長は「なぜ、ホウキで殴られて目まいがしたのなら保健室に行かなかったの?」とAちゃんに聞き取りを行ったが、その際、「すぐに良くなったから」と話したので、大した問題ではないと思ったと筆者のインタビューに答えた。Aちゃんが「すぐに良くなった」と答えたのには理由がある。

「お母さんと先生たちに心配をかけたくなかった」(Aちゃん)

 こうした子ども心をくめない、校長、教頭、担任は、もはや教育者失格と断言せざるを得ない。

 校長がいじめ事案を認めたにもかかわらず、フルタイムで忙しく働くAちゃんの母親に対し、学校側は「いろいろ説明したいので、昼間の時間、学校に来てほしい」といい、Aちゃんの母親が多忙を理由に別の時間にしてほしいというと、担任が「なぜそんなに忙しいのか?」などと詰め寄る始末だ。

 学校側の手ぬるい対応は、これにとどまらない。教育委員会からの指導もあり、校長の責任の下、6月中旬、加害児童とその保護者が集まり、Aちゃんと母親への謝罪の場が設けられたが、ここでは、冒頭部のAちゃんの詩に託された5月のいじめ事案のみの謝罪だけで事を収めたのみならず、加害児童側のある母親などは「なぜ5月の話を今さら蒸し返すのか」とAちゃんの母親と校長に強く抗議する場面もあったという。

 本件について大阪市教育委員会は、「こども相談センターなども活用して、Aちゃんの心のケア、そしていじめ事案撲滅に徹底的に取り組む」としているが、教育委員会主導で、学校外の機関を用いなければいじめ問題が解決できないところに、この市立小学校の問題がある。船頭多くして舟山に上る。責任をたらい回しにする教育現場に、いじめ撲滅は期待できない。今後も徹底的に地域で、この学校の教育を注視する必要があろう。

秋山謙一郎/ジャーナリスト

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