「夜スペ」は公教育の敵か? 抵抗するのは一部の教員
2009年3月22日18時46分配信 産経新聞
東京都の杉並区立和田中学校(代田昭久校長)で、昨年1月から3年生を対象に始まった進学塾講師による有料授業「夜スペシャル(夜スペ)」が2年目を迎え、3月14日からは「夜スペ21」として再スタートした。公立校が進学塾とタイアップするという異例の取り組みは、「教育格差の拡大を生む」などと物議を醸しながらも、新しい授業のスタイルとして各地で広がりつつある。一方で、公教育に民間企業が入ることへの抵抗感は今も根強く、見直しの声が止まないのも事実だ。だれが、どのような理由で反対しているのか。
■9割以上が「学習習慣が身についた」
「同じ『一つの』という意味でも、“a”と“one”を使い分ける理由って何だろう。考えてみて」。
テンポのいい講師の声が教室に響く。最初は笑顔だった生徒たちの表情も、次第に真剣味を帯びていく。よくある進学塾の光景だ。これが公立中学の教室だということをのぞけば…。
今月14日、和田中で開講された「夜スペ21」。2年目となる今年は、前年より31人多い新3年生72人が参加した。学年のほぼ半数にあたる。参加者が倍増したことについて、代田校長は「生徒の期待が大きい。前年の生徒の評価が純粋に後輩たちに伝わっているのだと思う」と話す。
前年のアンケート結果では、生徒、保護者ともに9割以上が「学習習慣が身についた」と実感。「学習意欲」も、生徒の9割以上、保護者に至っては全員が「向上した」と答えている。満足度では、4段階評価で生徒、保護者とも3・5前後と高評価。学校側は詳細を明らかにしていないが、受講した生徒の多くが有名私立などの志望校に合格したという。こうした数字をみると、夜スペの効果は大きいといえる。
授業料は月額2万4000円。生徒は習熟度別に3クラスに割り振られて、それぞれのレベルに応じた授業を受ける。前年との変更点は、英語、数学、国語の3教科が、英数の2教科に絞られたことだ。習熟度のばらつきが大きいこの2教科に特化して、学力を向上させることが狙いという。1回150分の授業を週4日。英語と数学をそれぞれ2回ずつ行う。
前年に引き続いて大手進学塾「サピックス」(東京)が授業を担当し、3年間で行う授業を独自に再編した教材を使用。授業で習った部分を復習する形でおさらいし、さらに応用力をつけていくという流れだ。女子生徒(14)も、これまで通っていた塾を辞めて参加した。「授業も分かりやすいし、同じぐらいのレベルの子ばかりなので進み方もちょうどいい」と話す。
■橋下知事もさっそく導入
和田中の前校長として夜スペを提唱した藤原和博氏が特別顧問を務める大阪府教委でも今年1月、夜スペと同様、公立小中学校の課外授業に塾講師を招く取り組みがスタートした。全国学力テストの成績低迷を受けて、橋下徹知事が打ち出した学力向上事業の一つだ。府教委が「サピックス」、家庭教師派遣業「トライグループ」(大阪)など23業者の協力を取りつけ、希望する市町村教委や学校に講師を派遣する。現在、府内43市町村のうち箕面市や豊中市など5市で取り入れている。
夜スペと違うのは、受講料が無料という点。講師の報酬は、年度内は府や市町村の予算確保が難しいため、塾側の持ち出しだが、来年度以降は府教委の放課後学習事業「おおさか・まなび舎」の事業費などを充てる予定だ。
トップを切って導入した箕面市立西小学校では、地元ボランティアがスポーツや工作を指導する土曜日の課外活動の中に、塾による漢字と英単語の講座を開設。3〜6年生約10人が参加している。
3月末までに約800字の暗記を目指すという漢字講座には、単調になりがちな暗記作業を効率よく進めるための「受験産業のノウハウ」が詰め込まれていた。例えば、まとめて記憶する際に最も頭に残りやすい分量として、一度に覚える字数を7字までと決めた。また、覚えた漢字を何も見ずに紙に書き出す反復練習は、記憶の定着率を高めるのに効果的だという。
3年生の田中義洋君(9)は「それぞれの漢字の部首にどういう意味があるのかを詳しく教えてくれたので、学校の授業より覚えやすかった」。森田雅彦校長も「漢字を教えるだけで1時間以上も子供を引きつけるなんて、なかなかできるものではない。いい教え方はどんどん吸収していきたい」と期待を込める。
■「教育の機会均等に反している」
それは奇妙な光景だった。
和田中の夜スペがスタートする直前の昨年1月17日、土屋敬之都議と東京都公立学校教職員組合(東京教組)の谷口滋執行委員長が並んで記者会見し、夜スペの中止を求めた。民主党所属ながら、日ごろ舌鋒鋭く日教組を批判している土屋都議と、日教組傘下の東京教組はいわば「犬猿の仲」。しかし、この日ばかりは「呉越同舟」とばかりに共同戦線を張り、夜スペ批判を繰り広げた。
両者の主張は今も変わっていない。土屋都議は「公立校の使命は、すべての生徒にまんべんなく教育を行うこと。私立校と同じことをする必要はない。一部の生徒だけが受けられる夜スペは公教育の崩壊につながる」と主張。
さらに「受験対策に特化した授業をする塾講師と比較すれば、学校の教師の威信が低下する。塾との連携は“特効薬”にすぎず、決して抜本的な改善にはつながらない」とも述べた。
東京教組側も同様の主張を展開する。川角恒書記長は「公立学校の中で、特定の進学塾が営利活動を行うことは問題」と指摘。そして「たとえ受講料が安くても、受けることができる子とできない子が出てくるのであれば、学校内に差を作ること自体、教育の機会均等に反している」と語気を強める。
「点数至上主義」への批判もある。大阪府教職員組合の後藤なつき副委員長も「塾での指導を否定するつもりはない」としたうえで、「大阪には、家庭などの複雑な事情で、学習意欲が持てない子供たちがたくさんいる。大阪の教職員は、そうした子供たちと向き合いながら『点数として表れない教育』に力を注いできた。塾の参入で得点向上ばかりを重んじる風潮が強まれば、厳しい環境にある子供たちは居場所をなくしてしまう」と危機感を募らせる。
■「生徒数の頭打ち」塾側にも事情
東京都内では「夜スペ」以前から、補習対策として公立校と塾との連携がすでに始まっている。平成17年度には、港区が大手進学塾に委託して、公立中学で土曜日の補習授業をスタートさせており、7割近い生徒が参加しているという。江東区でも19年度から、小中学校で教員と塾講師が分担して習熟度別の学習指導を始めている。福島県矢祭町も今年度から、県内の学習塾と連携して、小学校の高学年と中3生対象の「土曜スクール」を開講している。
そうした流れをさらに特化させたのが、「受験対策」での連携だ。東京都の墨田区立両国中学校が年末年始の6日間、3年生を対象とした「正月特訓」を実施したところ、3年生の3分の1に当たる約70人が参加した。小川崇校長は「長期休暇の時の校舎を有効活用する方法として、民間の活力を生かすことも必要。短期間で受験に必要な学力をみっちり学ぶことができるという利点もある。子供の学力向上にもつながり、教員にとっても勉強になった」と話す。
連携が進む背景には、進学塾の受講生数の伸びが頭打ちの状態であることも影響している。経済産業省の「特定サービス産業動態統計調査」では、進学塾の受講生数は昨年11月以降、3カ月連続で前年同期比の伸び率が1%を切っている。文科省が昨年公表した19年度の「子どもの学校外での学習活動に関する実態調査」でも、中学生の通塾率は5年度と比べて、約6ポイントも低下して53・5%となっている。
「サピックス」中学部・高校部の吉永英樹・教務部課長は「これまで、塾は公立校を批判し、対立することで伸びてきた。しかし、子供たちはもともと小中学校の中にいる。だからこそ、塾は共存の道を探り、その中に飛び込んでいくことが必要になっている。そして、公立校ももっと塾を利用すべき」と指摘する。
■大阪では「人権問題」に発展
しかし、教員の間では、公教育に民間企業が入ってくるという抵抗感がいまだに強い。「受験競争を過熱させるなどと批判する気はない。けれど『公立の先生はダメだ』といわれているようで複雑です…」と本音を漏らすのは、大阪府内の市立小学校に勤務する30代の男性教諭。都内の小学校で教壇に立つ女性教諭(39)も「塾講師が学校に入ってくることは、自分たちの職場を荒らされているのと同じ」と嫌悪感を示す。
大阪府立高校などで37年間教員を務め、現場教職員の相談に応じる「教師駆け込み寺・大阪」の主宰者、下橋邦彦さん(69)は「教員は習慣化した枠の中で学校運営に当たっている。どうしても“変える”ことに抵抗を感じてしまう。そこを外部の人はもどかしく思うのかもしれません」と指摘する。
大阪では平成14年、府立高津高校で民間出身だった当時の校長の企画で、課外授業に塾講師が招かれたことがあった。しかし、このときは、一部の教員が「公教育に企業の論理を持ち込むべきでない」と反発。「校長の言動が職場環境を悪化させている」と大阪弁護士会に人権救済を申し立てるなどの問題に発展し、校長が辞任するという事態に陥った。
下橋さんは、このトラブルを「民間感覚の急激な改革に教員がついていけなかったことが原因」と指摘。そのうえで「教員が『塾が勝手に何かしている』という疎外感を持つようなら、今回の塾講師斡旋も失敗しかねない」と訴える。「独断専行ではなく、校長は教員たちに塾講師を入れることの意義を説明し、理解を得てほしい。子供が勉強好きになることを教員は否定したりはしない」
■「夜スペ」は高いか、安いか?
教職員の反発のほか、夜スペ批判では、「親の経済力の差が学力格差につながりかねない」という意見も多い。先述の土屋都議も東京教組も「教育の機会均等を損なう」という点では足並みを揃えている。果たして「夜スペ」は本当に不公平なのか。
文科省の19年度「子どもの学校外での学習活動に関する実態調査」によると、塾の月謝は、小中学生の平均で約2万3100円。中学3年生になると、およそ4分の1の家庭が月に3〜5万円も支払っているという結果が出ている。月額2万4000円の夜スペは、ほぼ平均並みの支出レベルだといえる。
和田中の代田校長も「一コマ500円で組んでおり、年間通っても30万円以内。夜スペは、それだけの価値の内容を提供できていると考えている。進学塾の受講料の相場よりも半額ほど安く、むしろ教育の機会の平等を提供しているはず」と、こうした指摘に反論。「正月特訓」を実施した両国中の小川校長も「塾の短期特訓に通うよりはかなり安く設定されている」と話す。
ある教育関係者は「もともと子供を塾に通わせようと考えている保護者なら、学校というバックアップのある夜スペのほうを選ぶのは当然」と指摘する。実際、今年から夜スペに長男を参加させた父親(46)は「価格が安いことが魅力の一つ」と打ち明ける。4年前、長女が通っていた塾の月謝は4〜5万円。さらに、長期休暇中の特訓授業や塾までの交通費などを含めれば、共働きとはいえ、教育費は家計をかなり圧迫していたという。それだけに「夜スペは正直ありがたい。遠くの塾に通うよりも、近くの学校で勉強してくれるほうが安心できる」と話す。
結局のところ、子供たちや保護者にすれば、学習効果さえ上がれば公教育だろうが塾だろうが関係ないのである。