オウムを封じ込めた滋賀県警のお手柄 押収名簿に警視庁巡査長の名も…長官銃撃捜査は迷走

30年前の一連のオウム真理教事件の際、警察庁や警視庁の関係者が口をそろえて「助けられた」と感謝したのが、滋賀県警のお手柄だった。県警はカーチェイスの末に逮捕した信者が所持していた光ディスクなどを懸命に解析し、信者の名簿やサリンプラントの設計図など大量の「宝の山」を警察当局にもたらした。一方、その信者名簿に名前があった警視庁巡査長が国松孝次警察庁長官銃撃事件の犯行を「自供」した後、捜査は迷走し、真相が分からないまま時効となった。 ■2時間のカーチェイス 当時、オウムの封じ込めを図る警察庁は職務質問の徹底を全国の警察に指示していた。特に教団施設のある「山梨」のナンバーの車は、県外では必ずといっていいほど停止を求められた。 地下鉄サリン事件から3日後の平成7年3月23日早朝。滋賀県安土町(現・近江八幡市)のファミリーレストラン駐車場で、県警機動捜査隊の覆面パトカーが山梨ナンバーの不審な赤い車を発見した。 車内をのぞき込むと、医薬品と書かれた段ボール箱や防毒マスクのようなものがあり、運転席に男が乗っていた。無線で応援を呼んだ後、「すみません」と声を掛けると、男は車を急発進して逃げた。 県警はパトカーを総動員して追ったが、いったん見失った。2時間後、彦根市内で建物にぶつかったところを、信号無視の道路交通法違反容疑で現行犯逮捕。翌日に公務執行妨害容疑で再逮捕した。男は重要資料を隠すよう命じられていたオウム信者だった。 ■3600人の信者名簿 車の中から光ディスク4枚やフロッピーディスク56枚などが見つかった。パソコンが一般的ではなかった時代。県警職員に加え、近畿管区警察局情報通信部なども加わり、パスワードを見破るなど懸命の解析作業を行った。 どうしても分からない暗号があったが、またも滋賀県警が活躍した。3月30日に大津市内で道路交通法違反容疑で摘発した信者の車から大量のフロッピーディスクを押収。その中に暗号を解く乱数が記録されていたのだ。 解析した情報には3600人以上の信者の名簿や、自動小銃やサリンプラントの設計図のほか、三菱重工業から盗み出したウラン濃縮技術の研究データなどもあり、オウムの捜査が大きく進展した。

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