「ご飯を食べる時間もなくボランティアをしていたら、ポケットにおむすびをそっと入れてくださったんですよ。行進の時に食べたら、とても温かい気持ちになりました」 尹錫悦(ユン・ソクヨル)弾劾広場に参加した市民のイ・ジンヒさん(33)は15日、ハンギョレに、セウォル号惨事の遺族からもらったおむすびのエピソードを語った。遺族たちはセウォル号の市民活動家たちと共に、昨年12月14日から今年3月15日にかけての14週にわたって、弾劾広場で毎週おむすびを配った。その数は1万9300個以上、冬の広場をしっかりと暖めるのに不足はなかった。 惨事から11年。セウォル号の遺族と黄色い旗は市民広場の象徴となった。市民社会団体連帯会議のイ・スンフン共同運営委員長は、「広場は結局のところ、弱者の声があふれ出して、その意味を市民が反すうしながら社会的議題にしていく空間」だとして、「セウォル号惨事の被害者たちは、その存在だけで広場が必要な理由を証明している」と語った。子を失った苦しみを「命が安全な社会」という議題にし、それをきっかけとして多様な市民をつなぐ役割を果たしてきたということだ。 とりわけ惨事現場においては、セウォル号の遺族による慰めは格別だ。10・29梨泰院(イテウォン)惨事遺族協議会のイ・ジョンミン運営委員長は、「初めて出会った瞬間も、心からの共感を示してくれただけで、本当に古くからの仲間のように感じられた」として、「セウォル号の家族が闘ってきたあの長い過程そのものが、私たちにとって大きな意味がある。真相究明のために何をすべきか自覚したきっかけだった」と話した。セウォル号と梨泰院の遺族は、毎年4月と10月に互いの苦しみを最も近くで慰めたり、社会的惨事の現場に共に駆けつけたりする仲となった。 セウォル号惨事の根本的な原因を「利潤に負けた命の価値」だと考える遺族たちにとっては、同じ理由で劣悪な処遇と死が絶えない労働現場も重要な連帯の空間だ。キム・ヨンギュンさんやヤン・フェドンさんらの労働者の追悼集会から、最近の世宗ホテル解雇労働者の高空籠城現場、巨済統営固城(コジェ・トンヨン・コソン)造船下請け支会(巨統固支会)の闘争現場に至るまで、常にセウォル号家族の姿がある。建設労組のキム・ジュンテ教育宣伝局長は、「ヤン・フェドン烈士の葬儀には本当に多くのセウォル号と梨泰院の家族たちが訪ねてきてくださって、遺族はとても慰められ、力を得た。その姿を見て、ヤン・フェドン烈士の家族も様々な社会問題に連帯しなければと考えるようになった」と語った。 キム・ガユン記者 (お問い合わせ [email protected] )