中国が慄然、不良に恋した美人教師が連続誘拐殺人犯に堕ちるまで

中国が慄然、不良に恋した美人教師が連続誘拐殺人犯に堕ちるまで
JBpress 2021/9/16(木) 11:31配信

 「鬼畜美人教師による連続誘拐殺人事件」――まるでホラー映画のような事件の判決が、先週9月9日に、中国江西省の省都・南昌の中級法院(裁判所)で出された。

 以来、中国のネットやSNS上で、この事件と判決を巡って、侃々諤々の議論が交わされている。北京や上海など都市部の「90後」(ジウリンホウ=1990年代生まれ)や「00後」(リンリンホウ=2000年代生まれ)の若者たちは、「こんなことあるの?」と目が点である。

■ 美人聡明、飛び級で師範学校へ入学するほどの才媛が・・・

 この事件の「主人公」は、労栄枝(ろう・えいし)という名の美女。1974年に江西省九江市に、5人きょうだいの末っ子として生まれた。少女時代から美人で聡明、ピアノや絵画にも優れていた労栄枝は、1989年にわずか15歳で、特例として九江師範学校への入学を許された。

 彼女は3年後に卒業し、18歳で九江石油分公司の人民教師になった。地元最大の国有企業の付属小学校教諭である。

 21歳のある日、労栄枝は、地元のホテルで行われた友人の結婚式に出席した。そこで、これまでの人生で出会ったこともないタイプの男に、一目惚れしてしまう。月給300元(約5000円)の小学校教諭では考えられない7000元(約12万円)もする大型バイクを乗り回す野性的な青年、法子英(ほう・しえい)である。当時はチンピラ仲間から「法老七」と呼ばれていて、すでに何度も前科があった。

 まもなく2人は付き合い始め、労栄枝は教諭の職を辞めてしまう。反対する家族のもとも離れ、法子英と同棲するようになった。

■ 美人局の常習犯から殺人犯へ

 2人は、恐喝によって生計を立てた。労がカラオケバーに勤め、お人好しで金を持っていそうな客を誘惑する。そこへ法が現れ、カネを脅し取るというやり方だ。

 1996年のある日、労は熊という姓の「上客」の男を掴んだ。そこで、自宅のアパートに熊を誘い込んだ。そこへいつものように法が現れたが、法は凶器で熊を殺してしまった。そして熊の身分証と自宅のカギを奪い取り、法と労は、熊の自宅に向かった。

 2人は熊の自宅へ上がり込むと、「夫を誘拐している」と言って熊の妻と3歳の娘を脅しつけ、自宅にあった現金20万元(約350万円)を奪う。そして、妻と3歳の娘もその場で殺してしまい、自宅のカネになりそうなものをすべて奪って逃走した。

 1999年6月、法と労は、安徽省の省都・合肥に流れ着いた。2人は家賃500元(約8500円)のアパートを借り、さらにペット用の鉄格子の檻(おり)を、150元(約2500円)で買った。そしてまた、労がカラオケバーに勤め、「獲物」を物色し始めた。

 最終的に、殷という姓の35歳の男に狙いを定めた。7月22日、労は殷を誘惑して自宅に引き入れ、法が現れて、殷を檻の中に押し込めた。そして殷から妻へ手紙を書かせ、30万元(約500万円)の身代金を用意させた。

■ 恋人の逮捕、20年間の逃亡生活、そして監視カメラによる捕捉

 翌朝、法は約束の身代金の受け取り場所に向かった。その際、法は労に、「もしオレが昼の12時半までに戻らなかったら、人質を殺してこの町から逃げろ」と言い含めた。

 結局、殷の妻は警察に通報しており、警察は激しい銃撃戦の末に、法子英を逮捕した。法には「計7人を殺害した罪」などで死刑判決が下り、同年12月28日に刑が執行された。

 一方、法が身代金を受け取りに行った当日、法の帰りを待ちわびていた労栄枝は、夜10時になっても法が帰らないので、覚悟を決めて、人質の殷を殺した。そして荷物をまとめ、「私は先に行きます。愛しています」と法に書き残して、自宅を後にした。

 労が向かった先は、2人がいざという時に落ちあう場所に決めていた重慶だった。ここから、彼女の20年にわたる「逃亡人生」が始まったのである。

 2019年11月28日、45歳になっていた労栄枝は、シェリー(雪莉)という名前で、福建省アモイのカラオケスナックに勤めていた。そしてこの日の日中、ショッピングモールで、腕時計を見ていた。

 その時、中国が誇る最新鋭の監視カメラが反応し、指名手配犯であることを警察に知らせた。そこで警察が時計店に駆けつけ、20年前に蒸発した労栄枝が、ついに逮捕されたのである。労の全財産は、3万元(約50万円)しかなかった。

■ 死刑判決に慟哭

 公判で労栄枝は、一貫して「自分もまた、法子英の被害者である」と主張し続けた。つまり、法に殺されることを恐れて、やむなく法の犯罪に加担したというのだ。法に毎日、脅されてカラオケ店に勤めさせられ、身体を求められた。法との子供を2度、妊娠したが、2度とも堕胎させられた。堕胎手術をした日にもセックスを強要された。法が処刑されたことは、アモイに潜伏していた時、新聞記事で知ったが、せいせいした気分がした・・・といったことを供述した。

 一方、検察は、法と労はあくまでも夫婦のように一体で、常に共謀していた。労はカラオケ店に勤めており、完全に自由の身だった。また、労も殺人鬼であったことは、最後に単独で、檻の中の殷を殺したことからも明らかだなどとして、労にも法と同様の極刑を求めた。

 検察は、殷に書かせた身代金を求める手紙の一部を、労が書き足していたことなども、労の筆跡鑑定書類とともに提出した。また、一連の誘拐殺人事件で、唯一生き延びた被害者男性の劉氏も、法と労は一心同体だったと証言した。

 公判でこうした激しいやりとりが行われた後、先週9月9日、南昌の中級法院は、一審の判決を下した。判決は、検察の求刑通り「死刑」だった。裁判長は、判決文を読み上げた。

 「前世紀末、被告人はボーイフレンドの法子英とともに、江西省南昌、浙江省温州、江蘇省常州、安徽省合肥で、暴力犯罪を連続して起こし、計7人を殺害した。その特別残忍な手口は、全国を震撼させた。1999年12月、法子英は、故意殺人罪、誘拐罪、銃刀法の罪で死刑となったが、労栄枝は長きにわたって、名を隠し、身を潜め、逃亡生活を送っていた・・・」

 裁判長が判決文を読み終わると、労栄枝は法廷で泣き崩れて、叫び声を上げた。

 「判決には不服だ、不服だ!  私は上告する!」

 そして即日、上告したのだった。

 労栄枝を死刑にすべきか否か――一般の中国人も、裁判官のように議論を交わしている。この事件が中国人に、「法治意識」を目覚めさせたことは確かなようだ。

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