被害者や目撃者の証言を基に犯人像を浮かび上がらせる警視庁の「似顔絵捜査員制度」が今年、創設から25年を迎える。ある鑑識課員の「思いやり」から始まった取り組みは捜査手法として確立され、300人以上の体制に育った。その草分け的存在である元警視庁鑑識課の戸島国雄さん(84)は、国内外で後進の育成を続けている。 ■30分で特徴とらえる 戸島さんは昭和38年に警視庁に入り、蒲田署での勤務を経て退職まで鑑識課に在籍。連続企業爆破事件や、一連のオウム真理教事件など多数の凶悪事件現場に赴き、鑑識活動に従事してきた。 似顔絵捜査に携わるようになったのは、昭和50年代。事件の被害者が何度も犯人の特徴を聴かれる様子を「かわいそう」と感じ、似顔絵にしたのがきっかけだった。当時は顔の部分写真を組み合わせる「モンタージュ写真」による捜査が主流だったが、作成に2、3日を要した。「描くのなら30分」と短時間で作成できることにも着目し、独自に腕を磨いた。 作成した似顔絵が犯人摘発につながるなど実績が認められ、平成12年に「似顔絵捜査員制度」が誕生。その「001号」に任命された。 ■タイ警察にも伝承 7年から3年間、鑑識活動の指導員としてタイ国家警察に派遣された経験も持つ。 当時のタイでは、事件現場にやじ馬が集まって金目のものを盗み、警察は素手で作業するなど驚くような光景が広がっていた。率先して現場へ出向き、指紋の採取方法や手袋の使用の徹底、証拠品の位置関係を記録する番号標識の配置などを一から指導。現地の捜査員と毎日行動をともにし、家族同然の関係性を築いた。 空き時間に作成した60ページほどの「鑑識マニュアル」はタイ国内の警察の鑑識部署などに配布され、国立図書館にも収蔵された。似顔絵捜査はタイでも成果を上げ、犯人逮捕に至ったケースもあった。 ■現場に「国境ない」 退職後、タイ警察から「もう一度来てほしい」と要請され、14年に再びタイへ渡航。およそ10年以上にわたり鑑識技術の伝承に再び尽力した。 根底にあるのは、「事件現場の鑑識活動に国境はない」という思いだ。「ゲンバ(現場)」「ソッコン(足痕)」「サイシュブクロ(採取袋)」…。鑑識の「いろは」を指導する中で使っていたこうした日本語は、タイの鑑識課員の間でもそのまま使われるようになった。現在は警視庁警察学校で鑑識技術の指導に当たる傍ら、タイの警察関係者とも連絡を取り続けている。「まだ、伝えきれていないことがたくさんある」。似顔絵捜査の草分けとして、鑑識のプロとして、戸島さんは意欲を燃やし続けている。(前島沙紀)