大津中2自殺、市教委は何の報告もしなかった…市長「教委などいらない」

大津中2自殺、市教委は何の報告もしなかった…市長「教委などいらない」
産経新聞 2014年3月1日(土)21時0分配信

 学校を指導、チェックする立場にある教育委員会だが、平成23年10月に大津市の市立中学校で2年男子生徒が自殺した事件を契機に形骸化などさまざまな問題点が指摘され、「責任の所在」をはじめ制度のあり方が問われている。事件から2年余。制度見直し論議の“中心”にいた大津市の越直美市長に改めて現行制度の問題点や改革案などを聞いた。越市長は「教育委員会制度は廃止を」「教育は住民の負託を受けた首長が担うべきだ」など大胆な持論を展開、国での改革論議にも注文をつけた。

 ■教育委員会はなくすべきだ

 −−まず現行制度の問題点について聞きたい

 「大津のいじめ事件で感じた大きな問題は2点。1つは、責任と権限の所在があいまいであること。2つ目は市民の意見が反映される制度ではないということ。国レベルで改革の議論がなされているが、私は原則、教育委員会はなくすべきだと考える。

 教育は住民の大きな関心事項だが、教育委員会制度を正しく理解できている人はそう多くない。住民の多くは首長が教育行政を取り仕切っていると思っており、『教育委員会に要望はできるけど、私が決められない』と説明すると、たいていの人は驚く。制度自体をなくしたほうが、住民感覚に近づくのではないか」

 −−「責任の所在」については

 「問題点は3つ。まず、教育委員会の中に教育委員長と教育長がいること。大津の事件でもそうだったが、重大な事案が起こっても教育委員長が前面に立つことはまずない。大津の事件の真相解明を目的に設置した第三者委も『教育委員長は重要な意思決定のらち外に置かれていた』と調査報告書で指摘した。どちらに責任があるのかあいまいだ。

 次に、教育委員会と首長の間で責任と権限が分散している点。生徒が自殺したのは平成23年10月で、私が市長に就任したのが翌24年1月。しかし、同年2月に生徒の遺族から市や加害者を相手取った損害賠償請求訴訟が提起されるまで、教育委員会からこれに関する説明は全くなかった。さらに驚いたのは同年7月、学校や教委へ警察の捜査が入ったとき。押収資料の大半は、その存在すら知らされていなかった。

 3点目は、都道府県教委と市町村教委の権限がばらばらな点。大津の事件後、亡くなった生徒の担任教諭を辞めさせるよう求める声が多数届いた。しかし、市長や市教委にその権限はない。のちにこの教諭は県教委から減給処分を受けた。私は『軽すぎる』と思ったが、どうしようもない。

 これらは、大津独自の問題と制度自体の問題の両方があるが、他の自治体でも起こりうることだ」

■教育委員会は最終的に責任を取らない

 −−教育問題が訴訟になれば、教育委員長や教育長ではなく市長が被告となるが

 「教育委員会は最終的に責任を取らない。私は『責任を取りたくない』とは思わないが、責任がある以上は、問題が起こった場合に自分でしっかり対応や調査をしたい。大津の事件で、市教委が批判されたのは『市民に説明をする』という姿勢がなかったからだ。選挙で選ばれ、市民に説明する責務がある市長に権限があれば、透明性の高い説明ができる。市民から遠い存在の教育委員会をなくし、教育を市民の手に取り戻すべきだ」

 −−「教育を市民の手に取り戻す」とは

 「教育行政に市民の意向を反映させること。その手段は、選挙だ。つまり、選挙で選ばれた市長が、市民の意向に基づいて教育行政を進めるのが望ましい」

■なぜ地方にだけ教育の政治的中立が求められるのか

 −−首長に教育行政の責任や権限が集中すると、教育の政治的中立性が保たれないとの議論もある

 「この『政治的中立性』も非常にあいまい。教育の大きな方針である学習指導要領を決める文部科学省のトップは、政治家が務める。にもかかわらず、地方自治体だけに中立性が求められているようだが、地方の現場にいると、教育の政治的中立性は抽象的な議論でしかない。具体性があるとすれば、教科書選定くらいか。教科書選定作業は、教育委員会がなくても、外部の有識者で審議会などを設けて多様な意見を反映させれば、政治的中立性は十分担保できる」

 −−教育委員会をなくしても教育の継続性、一貫性は保てるか

 「学習指導要領があるので基本的には損なわれることはない。各自治体でも、それぞれの市の教育方針を決める『教育基本振興計画』を定めることができるので、これがあれば首長がコロコロ変わっても継続性、一貫性は保てる」

 −−偏った思想の持ち主が首長になれば、教育現場が混乱するとの懸念がある

 「その懸念はおかしい。偏った思想の首長は、勝手に降ってくるのではなく、有権者が選挙で選ぶ。選挙で審判を受けているのであれば、たとえ思想が偏っていてもそれが住民の多数意見だ」

■制度の廃止は住民感覚

 −−中央教育審議会では、首長に教育行政の権限を持たせるA案▽教育長の権限を強化するB案−を下村博文・文部科学相に答申。これを受け、政府与党の作業チームは、教育長と教育委員長を統合して教育行政の最終責任者「新教育長」とする案を協議している。

 「教育行政の執行機関を首長にするという点でA案を支持するが、問題は『特別な場合のみ首長が指示できる』としたこと。これは、いじめの問題に当てはめると、『自殺があったときに首長が関与できる』と決めたようなものだ。しかし、本当に大事なのはあったときではなく、平時からどう防ぐかということ。子供たちをどう教育するか、教員をどう研修するか、問題の早期発見にどう取り組むか、などすべきことはたくさんある。A案ではそういう手段を首長が講じることはできない。完全な指揮監督権を首長に認めるべきだ。

 B案と、協議中の与党案は、現行制度よりも教育長の権限が大きくなり、制度の改悪だ」

■現行制度下での努力に限界も

 −−中教審の分科会で、自治体の6割が「教育委員会制度は機能している」「教育事務を首長が行うべきでない」と答えたとのアンケート結果が示されていた

 「それは大津のような事例を経験していないからだ。私自身も、事件以前は『教委制度の廃止』など考えてもいなかった。制度論は、究極の事態を想定し、機能するかどうかを重点に議論すべきで『今問題がないないからいい』ではだめだ」

 −−現行制度の中で教育委員会を機能させるよう変える努力はできないか

 「大津では取り組んでいる。市長が教育委員と2週間に1回、面談するようにして、いじめの問題や英語教育など重要なテーマについて意見を交換している。現状では市長が決定を下したり指示を出すことはできないが、民意を反映させるための協議、努力はできる。だが、協議はしていても責任の所在の問題は解決されない。今の制度では改善方法はとっているが、それですべての課題が解決するとはいえない」

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