元プロ野球の高校野球監督が暴力、部活動で体罰が一向に減らない理由
ダイヤモンド・オンライン 2018/11/17(土) 6:00配信
またしても、高校野球指導者による「体罰」という名の暴力が表面化した。この監督は、元プロ野球選手。その後は一般企業に入社し、教員免許を取得して教諭になった苦労人として知られる。高校野球に限ったことではないが、部活動でなぜ指導者による暴力はなくならないのか。(事件ジャーナリスト 戸田一法)
● プロ野球から教員に転じた苦労人なのに
まず、監督による暴力はどんなものだったのだろうか。
地元のテレビ局が「視聴者提供」として放送した映像によると、9日午後6時ごろ、監督が1人の部員に近寄って胸付近を蹴り、さらに2発平手打ちをした。今度は別の部員に2発平手打ちをした後、同様に腹を蹴った。さらに別の部員の腹を蹴った後、立て続けに複数の部員を殴ったり蹴ったりしていた。
映像には、“鉄拳制裁”などという生易しいものではなく、もはやキレて暴れまくっているとしか表現できない様子が映し出されていた。
この監督は、一時は近鉄のエース級として活躍し、引退後も「苦労人」として知られる存在だ。
関東一高(東京都)時代は控え投手だったが、東都大学野球連盟の国学院大に進学。3年生の時、2部リーグで優勝し、1部昇格を果たした。1部リーグでは18試合に登板し4勝9敗、防御率3.80をマークした。
1993年、ドラフト1位で近鉄に入団。1994年6月に1軍初登板、7月には初先発し、6回2失点で初勝利を挙げた。1995年は先発・中継ぎとして1軍に定着。9月には初完投勝利を記録した。
1996年には年間を通じて先発ローテーションを担い、初めて規定投球回数に到達。7月には初完封勝利もマークした。投球回はチームトップを記録し、防御率も先発投手陣でトップの3.30だったが、打線の援護に恵まれず8勝15敗に終わった。
エースとして期待された97年以降は故障に悩まされ、2000年にトレードで阪神に移籍。その後は1軍のマウンドに立つことはなく、シーズン後に自由契約となった。
その後は台湾球界に移籍したものの、思うような成績を残せず、戦力外通告を受けて現役引退。一般企業に就職後、夫人の勧めで教員免許を取得するため母校の国学院大に再入学し、高校教員の免許を取得した。
● 列挙しきれないほど相次ぐ暴行
そんな苦労人が、なぜあんな“蛮行”に及んでしまったのか。
暴力をふるった理由については、生徒は登校時にスマートフォンを学校に預ける規則になっているが、この規則を守らない部員が多いことに立腹したという。
「立腹した」といっても限度がある。
前述の地元テレビによると、ある部員は「ぼくたちは暴行を見ていたんですが、途中『バットを持ってこい』って」などと証言。「さすがにいつもの先生じゃなく、やりすぎなんじゃないかって」とも話しており、もはや正気を失っていたとしか思えない。
実は、運動部の指導者による体罰や暴言など威圧的言動は社会問題化しているにもかかわらず、一向に減らず最近も各地で表面化している。
きりがないので高校野球に限定するが、1999年夏の甲子園で優勝経験もある桐生第一高(群馬県桐生市)の部長が今年6月、部員の顎やユニフォームをつかむなど威圧的な言動を繰り返したとして解任された。コーチも4月に「試合に出さない」などと恫喝したとして注意を受けた。
2006年春の甲子園に出場したは昨年11月、部員に平手打ちをしたとして停職処分を受け、監督を退任した。2013年と2016年の夏の甲子園に出場した富山第一高(富山市)の監督は昨年1月、部員の頭をたたいたり蹴ったりしたとして監督退任を申し出て、一時、指導から外れた。
けがをさせたケースもある。
は昨年11月、練習試合後に部員全員に20分間正座させ、立ち上がろうとした部員が転倒して靱帯を損傷させたことが発覚。昨年3月には、鳥取県立八頭高(八頭町)の監督が部員にペナルティーとして毎日1〜3時間のうさぎ跳びをさせ、1人に両ひざを負傷させていた。
また▽昨年10月〜今年4月、出雲西高(島根県出雲市)の監督が部員に平手打ちや蹴り、▽昨年8月〜今年9月、岡豊高(南国市)の監督が部員をバットや平手でたたく、▽昨年8月、八戸西高(八戸市)の監督が部員を蹴る、▽昨年1月、日田三隈高(日田市)の監督が部員の脚や腹を蹴る──など、昨年から今年にかけて判明しただけでも枚挙にいとまがない。
● 傷害罪・暴行罪に問われる可能性
冒頭、「『体罰』という名の暴力」と書いたが、今回の監督の暴力は被害届が出されれば犯罪に問われる可能性もある。暴行を受けたのは部員12人とされるが、そのうち3人は顔が腫れるなどのけがをしたという。
いうまでもなく、部員が処罰を望み、診断書とともに被害届を出せば、立件するかどうかは別として警察が捜査することになる。けがをしていれば「傷害罪」(15年以下の懲役または50万円以下の罰金)、けがをしていなくても「暴行罪」(2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金または拘留もしくは科料)に該当する。
事実、暴力で監督が逮捕されたケースもある。
1997年と1998年の夏の甲子園に出場した強豪・では、監督(当時)が2013年7月、練習中に部員が疲れて座り込んだことに腹を立て、顔や腹を殴り、脇腹を蹴ってろっ骨を折ったとして傷害容疑で逮捕された。
この監督は1998年夏の甲子園に出場し、ベスト4に進出。好打の1塁手として活躍したOBだった。当時の報道によると、学校関係者は「礼儀正しい普通の青年だった」と話していることから、名古屋経済大高蔵高の監督同様、突発的にキレてしまったのかもしれない。
ほかにもが2012年4月、部員の顔を十数回殴り、急性難聴などの傷害を負わせたとして逮捕された例がある。は2011年3月、部員の頭を殴ったとして暴行容疑で書類送検されている。
監督や部長が逮捕や書類送検されたのは、いずれも部員が警察に被害届を相談し、処罰を望んだことが理由とされる。しかし、現実には指導者を訴えるケースはまれだろう。
警察関係者によると、部活動の指導者による暴力が表面化しても、基本的には教育現場の判断・裁量に委ね、積極的に介入することはないと言う。
そうは言っても「体罰」という響きは教育の一環で行われたペナルティーのように誤信させるが、れっきとした暴力であり「傷害罪」「暴行罪」に該当する行為だ。
いずれの暴力行為も詳しく検証すると、共通しているのが「カッとなってしまった」だ。怒りに任せて教え子に暴力をふるったなら、それは教育者どころか、社会人として失格だろう。
冒頭に書いた「なぜ指導者による暴力はなくならないのか」の問いの答えは、感情をコントロールできないような人物が教壇に立ち、グラウンドで指導しているということが原因なのかもしれない。
戸田一法