14年前のきょう、命を奪われた娘と歩み続ける。加害者は罪に問われなかった…だから伝える「加害者をつくらないために、今できること」

「2011年2月に、24歳にしてその生涯を終え、生き続けることもかなわなかった娘のことを話します。」 鹿児島県東串良町に住む保育士の新原さとみさん(64)。2011年2月19日、次女の清加(さやか)さんは、同じマンションに住む男に命を奪われた。男は逮捕されたが、裁判で裁かれることはなかった。今、新原さんは保育士として働きながら、中学校や高校で「命の大切さを学ぶ教室」の講師を続けている。子どもたちへの講演で「加害者を恨んではいません」と話す。その理由は?そして「加害者を生まない社会」へ今できる一歩とは。 ■1日に2回人助け「社会人として当たり前のことをやっていきたい」と話していた 東串良町は、鹿児島県の東部・大隅半島のほぼ中央にある。人口は約6200人、太平洋に面し、ピーマンとキュウリのハウス栽培が盛んなのどかなまちだ。 事件の被害者となった新原清加さん(当時24)は、4人きょうだいの2番目、次女として育った。地元の小・中・高校を卒業し、福岡県北九州市小倉の大学へ進学。大学卒業後は北九州市で証券会社に就職し、3年目を迎えようとする2月、突然その命は終わりを迎えた。 その2か月前の12月。父親の誕生日に清加さんが送ったメールが残っている。 “お父さん誕生日おめでとう。社会人になってもうあと3か月で3年目になります。”こう書き出されたメールには、笑い涙が出るような面白い言葉が綴られて、最後にこう書かれていたという。 “今日は通りすがりのおばあちゃんが自転車から倒れたのを助けたり、おじいちゃんがモノレールの入口のコンクリートに頭をぶつけて倒れているのを見つけて救急車を呼んだり、人助けを2度もしました。まだまだ未熟者で何の親孝行もしてあげられていませんが、社会人として当たり前のことを当たり前にできるように頑張っていきます。” 「娘のことをひと言で語るなら天真爛漫、この言葉以外には思いつきません。」と新原さんは話す。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする