【ルポ風俗の誕生・JKビジネス】「18歳以上に本番させて荒稼ぎ」‘17年に条例で壊滅後の"末路"

1月に石川県や東京都のソープランド経営者2名が逮捕されるなど、スカウトグループ狙いで相次ぐソープの摘発や、風俗ではないメンズエステの過激サービス増殖など、風俗業界が揺らいでいる。そもそもさまざまな風俗はどのようにして生まれたのか。ノンフィクションライター・高木瑞穂氏がさまざまな風俗の「はじまり」を探る【ルポ風俗の誕生】。今回は’10年代に一世を風靡した「JKビジネス」の歴史について語る【後編】だ。 【前編】ヒントは「アキバの足踏みリフレ」から…法の間隙をついて〝邪進化〟 ◆条例で事実上“壊滅状態”となったJKビジネス 藤井のJK見学店『B』が摘発されてから、時が流れること約1年。東京・新宿歌舞伎町の出会い系喫茶『C』が風営法違反容疑で摘発された。’16年6月のことだ。「JKコミュ」と称される、室内で女子高生と会話できるなどの交流サービスを提供する店で、フェラや本番行為を「裏オプ(=裏オプション)」と呼び、性風俗さながらの性的サービスが横行していた。 かつて同時期にJKコミュを経営していた男に話を聞いた。男は当時を振り返りながら、JKコミュの内情をこう語る。 「コミュ店は受付と女のコの控え室、それに客を入れる半個室のトークルームを作るだけと、形態がシンプル。だから破格の資金で開業できるのです。内装、店舗の取得費、宣伝費などもろもろ併せても300万円弱と、驚くほど安かった」 ◆条例で「壊滅」…だが、ティーンは野に放たれた 男の店には当時、100人弱の少女が在籍。みな15〜18歳の現役女子高生世代だ。営業時間は14時〜22時、部屋数は6部屋。来客数は、多い日で30〜40人、少なくて10〜15人。30分4000円の部屋代は全て店の実入りのため、月に300〜400万円の粗利があったという。先の『C』が摘発されるまで約1年間は営業を続けたというから、5000万円もの大金を手にしたようだ。 『C』が摘発された翌’17年7月、女子高校生にマッサージ等を行わせたり会話やゲームの相手をさせたりするなどのサービスの提供を禁止する「特定異性接客営業等の規制に関する条例」が愛知県に続いて東京都でも施行されている。 捜査関係者は「JKビジネスが売春の温床だと諸外国から指摘され、先進国としては対応せざるを得ない。基本は18歳未満を閉め出すこと。また18歳の現役高校生についても、各自治体がそれぞれの条例で規制していたので、これまで抜け道が出来てしまっている状況だった」からだと話す。この条例は、女子高生を使ったビジネスを包括的に規制することを意味する。条例は各都道府県で順次、施行された。 これでJKビジネスは事実上、壊滅したことになる。しかし藤井が言っていたように「グレーであってもクロではないアイデア」であるならば、新たな抜け穴が見つかってしまうのだろうか。条例施行の動きからほどなくして、JKビジネスは本番風俗として生き残ることになる。 JKビジネスはいま、さながら本番アリのデリヘルだ。経営者は「無店舗型性風俗特殊営業」の届出をし、18歳以上に本番をさせて荒稼ぎし、女の子はカラダをカネに換える。 少女らが締め出しを食らい18歳以上のみになったデリヘル化が、問題は性的サービスではなく年齢にあるからと、かえって本番行為を常態化させた懸念も大きい。加えて、どんな事態を想定しての新条例なのかが曖昧なのも見過ごせない。ティーンたちは条例の施行後、デリヘル化したJKビジネス店では働けず、野に放たれた。 東京・新宿歌舞伎町――その中心部にあるゴジラのハリボテで有名な「TOHOビル(=旧コマ劇場)界隈でたむろする「トー横キッズ」だ。’18年頃から居場所を求めてこの地に集まる。やがてカラダをカネに換金することになり、路上に立った。こうして新たな売春の舞台が生まれたのはたぶん、必然だったのだろう。 ◆なぜ、JKビジネスはそこまで加熱したのか JKビジネスの最盛期に目を戻せば、その加熱ぶりにはあらためて驚く――。 警視庁少年育成課は’13年1月27日、18歳未満の女子高生らに個室マッサージをさせたとして、労働基準法違反(危険有害業務への就業)容疑で、東京・秋葉原や池袋などの通称「JKリフレ」のマッサージ店計17店舗を一斉に捜索した。JKリフレ店の摘発は、これが全国で初だった。秋葉原8店、池袋4店、新宿3店、渋谷と吉祥寺の各1店が捜索され、警視庁はそこで働く100人以上の女性を保護し、うち18歳未満は76人もいたという。 この一斉捜査により翌月7日、18歳未満の女子高校生らに個室マッサージをさせていたとして、同課はJKリフレのマッサージ店4店の店長や経営者を労働基準法違反(危険有害業務への就業)容疑で摘発した。逮捕された東京・秋葉原『D』の店長は「他店がもうかっていたのでやろうと思った」と供述した。 ’11年頃は十数店舗ほどしかなかったものの、その後に急増。この一斉摘発があった’13年頃には秋葉原を中心に都内で約100店舗にまで膨れ上がりまた、客たちも殺到していた。 なぜ、そんな現象が起きたのか。要因は、本物の女子高生が簡単なマッサージをしてくれるのもさることながら、ハグや添い寝などのオプションサービスにあった。 かつて秋葉原でリフレ店を営んでいた某オーナーは言う。 「アイドルグループの握手会をヒントに、未成年との触れ合いがビジネスになると思い、ハグやおんぶのオプションを導入したんだ」 ◆「単なる接触」から「裏オプ」へ 彼だけではない。前出の藤井も当時のアイドルブームに刺激を受けたと打ち明けた。 「コンサートでは短い制服姿で激しくターンさせるなどもう、パンチラし放題でした。また客もソレを目当てに来ているようだった。もちろん見せパンだろうけど、この偶発的なパンチラがマジックミラー越しに女子高生の生態を見せる商売のヒントになりました」 アイドルブームをヒントにしたというJKビジネスは’11年以降、大きく増幅していった。他店との差別化の流れもあって、オプションサービスも流行する。 だが、先に大摘発を記したように、’12年以降のJKビジネスのサービスはハグやおんぶなどの「単なる接触」ではなく、ティーンが性サービスをする「裏オプ」に変わっていく。大枚をはたけば少女との個人交渉で手コキや本番までできるなど、さらに過激化するのだ。 この頃は、ビジュアル系バンドの追っかけをする“バンギャ”や、旧ジャニーズ事務所のタレントの追っかけをする“ジャニオタ”が大半を占めた。某スカウトマンは、JKビジネス店が隆起した背景について、ホストやスカウトマンの中にバンギャやジャニオタと親和性の高い連中がおり、「ヤツらがバンギャやジャニオタを使ってひともうけしようと考え増殖させたから」と加えた。 アイドルグループを模倣しただけだったはずだが、実際にアイドルも働いていた。それは有名風俗ビル「名古屋チサンマンション」の『女子高生無料休憩所』でのことだ。 同店に’13年春、はじめて足を踏み入れた。店長らしき男から示された紙には「女子高生見学/30分3500円」「JK会員との毎日握手会/1人1分200円」「女子高生リフレ/30分3600円」と記されている。 システム表に偽りなし。6畳間に群れる少女たちをマジックミラーなしで「見学」し、「握手会」と称した触れ合いで選び、別室へ移動してリフレを受ける。帰り際、男が誇らしげに言った。 「ウチにいた15歳と17歳の子がふたり、『✖✖✖』(某有名アイドルグループ)に加入したんですよ」 取材を通じてこれらの事象を見続けてきた筆者は、自身の「ひとこと」が一番最初にできたJKリフレ店のヒントになった経緯もあり、ある意味、JKビジネスの「生みの親」でもあった。罪悪感――そんな言葉がギュウギュウと胸をしめつけ、悲しく、苦しい。開き直りではなく、むしろ、憐れみを含む、懺悔に似た思い。なにげない一言を引き金にはじまり、凶暴凶悪化したJKビジネスに対して、少なからず罪の意識があるのだ。 取材・文:高木瑞穂

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