日教組の「学校分権」の理想郷は「モラル」なき北海道にあり
2010年3月28日18時12分配信 産経新聞
また北海道教職員組合(北教組)の問題を取り上げる。22日に札幌地検は政治資金規正法違反の罪で北教組幹部ら2人と団体としての北教組を起訴した。団体としての北教組は刑事被告人になり、法廷に立つことになる。小林千代美衆院議員は会見を開き、議員辞職、離党ともしない旨述べた。
■モラルハザード極まれり
この対応には反発が起き、鳩山由紀夫首相は翌23日朝、「これで終わったとは思っていない」。こう記者団に述べ、何らかの対応が必要との考えを明らかにした。だが、同じ政治とカネの問題で批判を受けている鳩山首相のこの言動を見て「鳩山氏にこう言う資格があるのだろうか」と思ったのは私だけではないだろう。
小林議員が仮に直ちにやめていれば、鳩山首相や小沢一郎民主党幹事長の自身の問題での対応との整合性がとれない。両氏への批判が再燃し、首相自らに波及する恐れだってある。前原誠司国土交通相が「なぜ支持率が下がっているかというと、政治とカネの問題で誰もけじめをつけていないことが厳しく問われている」と三氏の対応を同列に述べていた。同感である。
民主党道連関係者からは「知らなかったのにどうして辞めなきゃいけないんだ」といった声もあるという。北教組は「組織防衛」を強調し、民主党道連の最大支持母体、連合北海道幹部からは「逮捕された4人は完全黙秘で頑張った」と讃えるような言辞すら聞かれる。事件の矮小(わいしょう)化を図り、ほとぼりが冷めるのを待つ。モラルハザードは広がり、蔓延しているようだ。
■「裏校長」がいる学校
事件はもともと北教組の長年にわたる行状の延長線上に起きた。これが私の認識である。私だけではない。北教組の公教育介入、学校の不当な支配を何とかしようと携わってきた人、あるいは苦しめられてきた人たちの共通認識でもある。
今回の事件は一過性の事件などではない。政治資金規正法に抵触した背景には、公務員の政治行為、選挙活動が制限されている法令を何ら顧みない彼らの態度があり、さらにその根っこには校長や教委に盾突き、学校を階級闘争の場ととらえ、蹂躙(じゅうりん)し続けてきた彼らの活動がある。そのことを見過ごして論じることはできない。政治とカネという意味での「労組マネーの透明化」は大切なテーマだが、公務員労組のやっていること、やるべきこと自体もまた問われているのである。
■着任交渉の全貌
そこで今回は先日、本紙でも報じた校長交渉の実態を示す組合文書をさらに詳しく明らかにしようと思う。文書は紹介しきれないほどたくさんあるが、網走地区管内での校長着任交渉の要望項目に絞って取り上げたい。
4月の人事異動で転任や昇任で新たな思いを胸に赴任校に臨む校長にとって頭が痛いのは北教組の存在である。新聞では春先に行われる職場組合との「着任交渉」について書いたが、実はこうした攻防劇は着任後に始まるものとは限らないのである。
管理職の着任前に組合側が非公式に接触してきて、組合の立場や考え方を尊重するかを尋ね、受け入れるよう念書を求める場合も珍しくないからである。
北海道では教委や校長らに自分達の要求を突きつけ、無理矢理のませようという闘争が公然と続いている。「校長交渉」はまさに最前線の闘争現場である。多勢に無勢で管理職は孤立無援になりがちで当然、彼らはそこを攻めてくる。
■抽象的質問で言質を取るわな
文書を見ると質問は8項目あり、職場ごとに独自課題に関する要求項目が加えられる。冒頭には「着任にあたって、学校運営の基本姿勢についてうかがいたい」とある。あくまで質問を装いつつも文書の末尾には「以上を確認する」とある。質問に答えれば言質を取られ、約束したことになるのだ。
文書には分会長と校長が署名する欄がある。分会長と校長は対等どころか、分会長を上位に位置づけている。分会長だって身分は教員であり、公務員である。校長のもとで学校運営を支える立場であるべきなのにこれではまるで「裏校長」「ヤミ校長」である。
■迂闊に答えられない不当な場
質問を見てみよう。
「日本国憲法の尊重が、当然学校教育に求められると考えるがどうか」
いきなり、憲法を持ち出した質問である。字面がきれいなことに要注意だ。確かに公務員には憲法を守る義務がある。しかし、この質問は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とする憲法の条文を盾に卒業式、入学式での国旗掲揚や国歌斉唱を憲法違反と責め立てたり、道徳教育は内心の自由を侵すなどと憲法と結びつけて、骨抜きを図るさいの言質を取ろうとするための質問だからだ。
迂闊(うかつ)に「私もそう思う」と答えるとどうなるか。卒業式シーズンになって「校長は憲法を守ると約束したではないか」となじられ、自分の首を絞めることになる。ちなみにこの憲法違反の論理は司法の場でも退けられたロジックである。もはや通用しないことを付け加えておく。
では校長が逆に「そうは思わない」と答えれば、「あなたは憲法を守らないのか」とその場で批判される。大体、学校運営は校長が司るのであって、このように組合に約束を迫られる筋合いの話ではない。
■こんなやり方許されるか
「児童・生徒の人権を擁護すべきだと考えるがどうか」「保護者や子ども・国民の負託に応える態度を堅持するか」
これも、何を指すのかよくわからない美辞麗句である。児童生徒の人権を守ることも、国民の負託に応えることも、一般論ではOKだが、実際の学校現場では様々かつ具体的な場面がある。生徒指導の場で懲戒という場面もあれば、説諭する場面もある。いろいろな保護者もいる以上、保護者に唯々諾々となればいいものではないし、最近は組合教師が、保護者をたきつけて、「卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱には反対」などと要望してくる場合も少なくない。
これもその場その場で校長が判断すべき問題であって組合が、あらかじめ約束を取り付ける話ではない。まして踏み絵のごとく校長をわなにはめるような、こんな光景自体がおかしいのである。
■「民主的学校運営」の非民主性
「職場全ての教職員の意見を尊重し、民主的な学校運営に努力するか」
「意見を尊重する」というのは「合意」という意味である。全教職員の意向を尊重しなければ、何一つ決まらなくなる。
大体、民主的な学校運営って何だろう。そもそも学校教育というのは文部科学省が国会や中教審などの審議を経て、予算をつけ、運用上の留意点なども考えながら、それを都道府県教委に伝え、教委はそれぞれに与えられた権限、議会の審議や議決を踏まえて学校で執り行われるべきものである。
むろん現場で決めるべき領域もあるが、それは校長の権限で行われるべきであって、そのことも国会審議で決められた法律に定められている。これを職員会議を決議機関にして校長の権限を制約したり、教員の勝手な理屈でまげられたり、組合の理屈を持ち出されて覆るといった事態は、どれも民主主義への挑戦なのであって、非民主的な学校運営にほかならない。
■あべこべの社説
ところが、こうしたことが新聞ですらよくわかっていない。例えばこんな感じだ。
《東京都教育庁が都立高校など全263校の都立学校長に対し、「職員会議において挙手、採決などの方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」とする異例の通知を出した。校長の管理権を強化し、教職員が学校の運営方法を話し合いで決めていくことを封じ込めるのが狙いのようだが、教育現場のあり方としてはあまりにも幼稚な発想ではないか》(毎日新聞平成18年4月15日社説 教職員会議 挙手・採決禁止は大人げない)
《あきれる、というよりも、思わず笑ってしまう、こっけいな話ではないだろうか。
東京都教育委員会が、都立学校の職員会議で先生たちの挙手や採決を禁止したことだ》(採決禁止 東京の先生は気の毒だ 朝日新聞社説4月15日)
北海道の公立学校同様、東京都の都立高校にも、学校の組合支配で校長権限が骨抜きにされている学校が多々ある。正常な学校運営を阻む勢力の問題点には全くと言っていいほど触れずに通知の揚げ足だけを取っている。問題はこんな通知を流さざるをえない学校現場の実情にあると私は思うのだが、それには意図的なのか、目をそらしたうえで表層だけを論じているように思えてならない。一面的で話があべこべなのだ。
それ以上に問題なのは、教育現場に与える混乱や悪影響だろう。実際、朝日新聞や毎日新聞でのこうした社説を盾に校長や教委を突き上げる組合教師や過激派や活動家に近い教師もいたようだ。あきれるというより思わず笑ってしまう、こっけいな社説ではないか、などと言ってすまされないと考える。
■四六協定破棄の茶番
話を北海道の校長交渉に戻す。
こんな要望もある。
「勤務条件にかかわることは全て交渉事項と考えるがどうか」
すでにこの欄で何度も書いてきたことなので簡潔に述べるが、勤務条件に関することは交渉テーマにはできる。しかし、北海道では「勤務条件に関することは『全て』交渉事項」(四六協定)とあり、それと同じ要求を現場で校長にのませているのだ。これもすでに述べたことの繰り返しだが、この要求を盾にとれば、いくらでも要求は拡大できる。学力テストや人事、教育課程や時間割、学習指導要領など、本来、交渉議題にできないものをいくらでも勤務条件に結びつけ交渉テーマにでき、いくらでも政策をゆがめることが可能となる。
四六協定が破棄されても、全く現場の改善が図られないのはこうした現場での取り決めのためである。
以上、これは要望のほんの一端である。これ以外にも初任者研修、指導主事の学校訪問、人事に自宅研修と要望は実に多岐に及ぶ。校長ががんじがらめで問題があることはもちろんだが、このさい、どうしても述べておきたいのは次の点である。
■分権=現場判断の愚
まずひとつめは、このような「組合解放区」同然となっている北海道の現状こそ、日教組の掲げる「学校分権」がもたらす「学校の行く末の姿」であろうということである。
ちなみに民主党は政策INDEX2009で地方の学校を、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する「学校理事会」を作り、主な権限を持って運営すると言っており、日教組の主張とは微妙に温度差がある。
両者には相違点もあるが、校長の権限を相対的にそぐ点ではよく似ている。学校理事会にはさまざまな人材が加わるので、教職員組合の言いようには出来ませんよ、という方便は一応、成り立つのかもしれないが、理事会に参加する人材を教職員の同意なしには選べない形にすれば、結局、教職員組合が牛耳ることは可能だ。実際、現在ある学校評議員などを教職員の同意なしに選任できないように職場闘争に盛り込んでいる教組はある。
いずれにしても「学校分権」であれ、「学校理事会」などといった美辞麗句に惑わされないほうがいい。北教組の「学校支配」はそのことを私たちに教えてくれているのだ。眉に唾。これに限るのである。
■頼りなき道教委、奮起せよ
二つめだが、この「斬る」の欄では北教組を散々問題にしてきた。北教組が不法な集団であることはいうまでもないことだが、校長を支えるべき教育委員会が正常にバックアップしているか。ここが、甚だ怪しい点も指摘しておかねばならない。道教委は事件後になって服務全般の調査をはじめたのだが、全く初めて知った話は、ほとんどないはずである。
四六協定を全面破棄する裏で「学校の運営はこれまで通りとする」などと北教組に団体交渉で迫られ、北教組は「『道教委見解』を獲得した。これを盾に校長交渉を進めよう」などと組合員に呼びかけている。これを現場校長ははしごを外された思いで見つめているはずである。北教組のこういうやりたい放題がまず問題なのだが、見て見ぬふりして現場を見殺しにしてきたのは、ほかならぬ道教委(とりわけ教育局)である。不法集団にひるむことなく立ち向かって学校正常化に努めて欲しいと心から願っている。(安藤慶太・社会部専門職)