「誰もわかってくれない さよなら」“学校の現実”克明に、湯河原いじめ調査報告/神奈川

「誰もわかってくれない さよなら」“学校の現実”克明に、湯河原いじめ調査報告/神奈川
カナロコ by 神奈川新聞 2014年3月5日(水)12時0分配信

 「誰も僕の心をわかってくれない さよなら」。昨年4月に自殺した湯河原町立湯河原中学校2年の男子生徒=当時(13)=は、自宅に残したメモにこう記していた。いじめを受け続けることによる苦痛と、周囲に迷惑を掛けたくないという自立心とのはざまで揺れる「思春期の少年」の苦悩−。第三者委員会が4日に公表した調査結果は、男子生徒が向き合っていた“学校の現実”を克明に浮かび上がらせた。

 報告書によると、いじめは2012年4月の入学直後に始まった。所属していた運動系の部活動で、尻をたたかれたり、シューズのひもをほどいて練習の邪魔をされたりするなど、当初は「ちょっかいが日常的に行われていた」という。

 だが、行為は次第にエスカレート。同年10月以降は暴力が目立つようになり、10回以上連続して柔道技で投げ倒されたことも。その後も暴力は繰り返され、「もう、痛いからやめて」という男子生徒の悲痛な訴えは届かなかった。翌年1月ごろからは「死ね」という無慈悲な言葉を浴びせられ、ますます追い込まれていった−。調査委はこう分析している。

 3人兄弟の長男だった男子生徒。頭が良くて生真面で大人っぽく、責任感が強くて我慢強い性格の「いいやつ」。教諭や同級生には、こう映っていた。家族や、毎朝一緒に登校していた友人が心配して学校生活について尋ねても、いじめを受けていることは口にしなかった。

 しかし同時期、周囲は異変に気付いていたはずだった。自殺翌日の4月11日、学校が同学年を対象に実施したアンケートでは、2割の生徒がいじめ行為を目撃していたことが判明。部活の試合後に男子生徒が泣いているのに気付いた顧問が、「大丈夫か」と声を掛けたこともあったという。

 そんな日々を送りながらも、男子生徒はメッセージを送っていた。「たまには僕たちの悩みを聞いてください」。2年に進級した直後の13年4月、生徒が担任教諭に提出した「自己紹介カード」に記したという。しかし、学校側がすぐに対応することはなかった。

 そして、翌日−。

 自宅に残したメモに、いじめへの怒りや憤りを表す記述はなかった。調査報告書では「いじめの苦痛や不安のみが問題になったのではなく、解決できないふがいなさや、いら立ちが自分に向かっていた可能性がある」と指摘している。

 調査委の小林正稔委員長は会見で、こう訴えた。「誰かに気付いてほしいというかすかな思いに、大人が気付けなかった。『中学生だから』と、自立を強制するのではなく、信頼関係を築いて支えていける学校であってほしい」

■生徒が読める機会を
 玉川大学教職大学院・田原俊司教授(教育心理学専攻) 限られた時間の中で、いじめの事実関係を丹念に追っている。委員会からの提言も具体的で、関係者は真剣に受け止めて実行してほしい。特に調査報告書の公開は、同じ過ちが繰り返されないようにするためにも必要。部分的で良いので、生徒たちが報告書を読む機会も設けるべきだ。

 いじめに気付けなかった学校側は、いじめがあるのが当たり前という「感覚のまひ」があったのではないか。生徒に目を配り「おまえ、最近変だぞ」「言いづらければスクールカウンセラーが話を聞くよ」と声を掛けるのが重要。教職員が忙しければ外部の手を借り、生徒が声を上げられる態勢をつくってほしい。

■学校の責任問うべき
 NPO法人「ジェントルハートプロジェクト」・小森美登里理事 事案発生前の資料が、保管の責任があるのに破棄され、本人からの「悩みを聞いてほしい」という訴えに担任は対応していない。意識の低さ、指導力不足がうかがえる。報告書は「学校はいじめに気付けなかった」としているが、いじめの隠蔽(いんぺい)の可能性も含め、学校側の責任を問うべきだった。

 提言はもっと具体策を示すべきだ。例えば重大事案発生後に行うアンケートの質問項目も学校側に任せるのではなく、「こういう質問を盛り込む」と明記するなどだ。事実に向き合うためのプロセスを示し、学校がそのプロセスに添って動くようにしなければ意識は変わらない。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする