「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」に悶絶しております

(文中敬称略) 皆さん、2025年1月17日から劇場公開中の「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」(鶴巻和哉監督 制作:スタジオカラー、サンライズ)を観ましたか? ●若者興奮、オタク悶絶の大ヒット中 この春からテレビ放映される「機動戦士ガンダム」シリーズ(と、まとめていいのか分からないぐらいに、ガンダムワールドは広がっているが)の新番組――そのイントロダクション部分を映画として1月17日から劇場公開したものだ。GQuuuuuuXは、「ジークアクス」と読む。「ジーク・アクス」ではない。「ジー・クアクス」である。 長年ガンダムシリーズを手がけてきたサンライズと、「エヴァンゲリオン」を手がけたスタジオカラーの共同制作ということで公開前から注目度は高かったが、いざ公開されると「何を語ってもネタばれになってしまう」と見た者が身もだえる出来となっていた。本原稿が掲載される時点で一体どこまでネタばれしてよいのやらなので、以下、可能な限り、これから見る人の興味を削(そ)がないように注意して書くと――。 この映画は、脚本で参加した庵野秀明監督の色が強く出た前半と、テレビシリーズ全編の監督を務める鶴巻和哉監督が主導した後半とに分かれる。便宜的に前半を「庵野パート」、後半を「鶴巻パート」と呼ぶことにする。 「見る前にネタばれしたらまずい」のは主に前半の庵野パートだ。1979年放映の初代「機動戦士ガンダム」から見てきた古手のマニア・オタクを絶妙にくすぐる出来になっていて、「うわ、これをこう扱うか!」の連続である。 ●後半パートは王道だが新しい それに比べると後半の鶴巻パートは、ガンダムというコンテンツのフォーマットに忠実なつくりになっている。ガンダムは、「ガンダム」という主人公メカ(モビルスーツと呼ばれる大型ロボット)に、ティーンエージャーが搭乗し、操縦することで成立している。年端のいかぬ少年少女が、軍のような巨大な公的組織が開発するモビルスーツに乗って、しかも大人の手によって操縦席からつまみ出されずにストーリーが展開するようにお膳立てするというのが、ガンダムシリーズ序盤の見どころだ。 正直、鑑賞直後の印象は庵野パートの印象が強烈で、鶴巻パートの印象は「あ、いつもどおりのガンダムだ」というものだった。 では前半の庵野パートに拍手喝采かというと、面倒なことにそうではない。「これは今、2025年1月というタイミングでやるべきお話か?」という違和感はどうしても生まれる。基本的に初代「機動戦士ガンダム」の再話、すなわち語り直しなのだ。そこには思い切った工夫が投入されていて、初代ガンダムをよく覚えている者ほど面白く、かつ刺激的に感じるようになっている。 しかし「なぜ今、こんな語り直しをするのか、古手のマニア・オタクをくすぐる以上の意味はあるのか」とという疑問には答えてくれない。 めちゃくちゃ面白い。面白い、のだが……1979年の初代ガンダムに感じるノスタルジーをオタク知識でひねくり回すのではなく、もっと今という時代の風を物語に反映すべきだったのではないか。 しかしながら鑑賞直後の私の感想は、多分に庵野マジックに引っかかってしまったうるさがたオタクのものだったのだろう。 若い友人に「庵野さんが強火すぎるから鶴巻さんのいい仕事がかすんじゃってるんですよ!」と言われて、そこで初めて気がついた。春からのテレビシリーズに直接つながっていく後半の鶴巻パートは、見事なまでに今という時代と切り結んでいるではないか。 ガンダムの世界では、人類のうちかなりの人数が、地球から月にかけての宇宙空間に建設されたスペースコロニーという「人工の大地」に居住している。スペースコロニーは、直径6.5km、長さが30~40kmの巨大な円筒形の気密構造物だ。円筒は2分に1回という速度で回転しており、円筒内面に地球上と同じ1gの重力加速度を発生させている。円筒の内面が地球と同じ環境の居住区となっている。 スペースコロニーは地球と月との重力が均衡するラグランジュ点に大量に建設された。ラグランジュ点ごとにその集団は「サイド1」から「サイド7」と名付けられた。そのうち、月の裏側に位置するサイド3というコロニーがジオン公国を名乗り、地球連邦政府に戦争を仕掛けてくるというのが、物語の発端だ。この戦争は1年戦争と呼ばれ、そこで使われた最新兵器がモビルスーツ、というわけである。

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