日本の教育 重い学校と教委の責務

日本の教育 重い学校と教委の責務
産経新聞 2010年11月8日(月)7時56分配信

【一筆多論】

 「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(略して「もしドラ」、ダイヤモンド社)が150万部を突破する人気という。内容は書名の通り、女子生徒が経営理論を使って野球部を立て直し、甲子園を目指す物語だ。昨年末刊行されたが、最近も経済誌で生誕100年を迎えた経済学者、ドラッカーが改めて特集され、週刊誌で「もし妻が読んだら」と家庭に応用する企画なども登場している。もし学校の先生が読んだら、学校は変わるだろうか。

 「もしドラ」では主人公の女子生徒はまず「野球部の顧客は誰か」と考え、「感動を与える」という目標を設定する。教育界に転じると、顧客は児童生徒や保護者、地域の人々など。ところが学力面では「ゆとり教育」が子供を甘やかす教育になり失敗、学力低下の批判を招いた。生徒指導面でも子供の顔色をみて毅然(きぜん)とした指導ができず学級崩壊するケースが少なくない。顧客に媚(こ)びてしまい、逆に教育の質が低下してしまった。

 「社員(教師)」に対しても教師の長所を踏まえ責任を持たせる仕組み、適切に評価し報いる制度などが不十分だ。いったん教師になれば授業のやり方を評価される機会が少なく、独りよがりの授業が放置される。

 4年ほど前に相次いだいじめ問題では教育委員会の隠蔽(いんぺい)体質や事なかれ主義が問題化。公教育への不信が高まるなか、教育基本法改正を受けた学校教育法など3法の改正で、副校長や主幹教諭が制度化された。教育界の悪弊を絶ち、校長を支え学校運営を行う仕組みや、教育委員会が地域の教育に責任を持つことが明確にされたはずだ。

 ところが最近の文部科学省の調査などをみると、こうした制度改革が機能していない感が強い。公立小中高校で校長、副校長や主幹教諭から「希望降格」する先生が過去最多を更新した。ふつうの企業なら役職が上がれば権限が広がり、報酬も増える。やりがいがあるはずだが教員の世界は違う。主幹教諭になっても「仕事が増えるだけで損」では人材が育たない。また新人教員の退職者が6年前の3倍だといい、心の病などで教壇を去るケースが目立つ。管理職になりたがらず、厳しい採用試験をくぐった新人がすぐ辞めるという組織は不健全であり看過できない問題だ。

 いじめ問題を例にしても過去の教訓が生かされていない。文科省のいじめの統計調査の際、被害者の気持ちを重視するよう改められたにもかかわらず実態が反映されていない。最近も群馬県桐生市の小学6年の女子児童の自殺で、「いじめが原因」と訴える保護者と学校側の見方が対立する問題が起きている。

 過去にいじめ自殺で子供を亡くした保護者に聞いたことがある。「わが子に何があったのか事実と子供の痛みをせめて知りたい。ところが学校や教育委員会は(いじめが)なかった状態を作ることに必死」との強い不信がある。不信をぬぐうため今一度、学校と教育委員会の重い責務を見直してもらいたい。(論説委員 沢辺隆雄)

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