大津市 いじめ自殺 7月27日分

<大津いじめ自殺>市教委の報告書 県教委が再提出を求める
毎日新聞 2012年7月27日(金)2時31分配信

 大津市で昨年10月、同級生からいじめられていた市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が自殺した問題で、市教委が先週、提出した自殺に関する報告書について、滋賀県教委が「いじめに関する記述が具体的ではなく不十分だ」として再提出を求めていたことが26日、分かった。市教委は近く、確認済みのいじめ行為を追加して再提出する。

 文部科学省は06年の通知で、児童・生徒の自殺や重大事件があった場合、市町村教委に対し、概要を説明した報告書を作成し、都道府県教委を通じ同省へ提出することを求めている。

 市教委は元々、「(男子生徒の遺族から2月に提訴された)損害賠償請求訴訟が係争中」などとして報告書の提出を見合わせていた。県教委から19日に催促され、翌20日、メールでA4判2枚の報告書を提出した。

 しかし、報告書は「事件等の経緯」の項目について、「アンケート調査等により、3人の生徒から当該生徒に対していじめがあったことが発覚した」と2行しか記述していなかった。「当該児童生徒に関すること」の項目も、「プロレスごっこなどでふざけあっている場面が何度か見られた。ふざけ過ぎる場面では担任が注意したり、当該生徒に声をかけたりすることが数回あった。その際はいずれも『大丈夫』等の返答であった」との記述しかなかった。市教委は新しい報告書には▽殴る蹴るの暴力▽ハチを食べさせようとする▽顔への落書き−−など同級生らが認めた行為を追加して再提出するという。【加藤明子】

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大津いじめ問題 加害生徒の母親が荒げた声に校長たじろいだ
NEWS ポストセブン 2012年7月27日(金)7時6分配信

 滋賀県大津市の中学2年生男子生徒が、いじめを苦にして自殺した問題で、学校側は当初、いじめの事実をまったく把握していなかったかのような説明をしていた。しかし、保護者や同級生の証言によると、昨年の夏くらいから日常的に、加害生徒3人組による暴行や、金銭の要求が行われていたという。

 果たして学校は、実際にこれらのいじめをどこまで察知していたか。近ごろになって、にわかに信じがたい話が保護者の耳にはいってきた。

「担任だった男の先生に、いじめを訴えたクラスの女の子がいるんです」(同級生の母親)

 件の通報は2度、9月の末から10月上旬にかけてだった。訴え出た女子生徒にも、それなりの覚悟があったはずである。いじめられていた男子生徒の生をつなぎとめる、決定的な機会といっていい。

 ところが、すでに男子生徒の親から、口座から消えた多額の不明金について相談を受けていたにもかかわらず、「遊んでいるのと違うんか」と、担任は問題をよくある「ふざけっこ」にすり替えてしまうのだ。

 状況からして、“信号”は見落とされたのではなく、あえて何度も見逃されてきたと、理解するよりない。「小さい問題のうちに対応する鉄則」を踏み外した結果、学校は抑止力としては機能しえなくなる。

 それどころか、事件後も、「遊びの一環」とした担任の判断が大きな影響を及ぼしている。大津では、自殺の20日後に開かれた「緊急保護者会」で、こんな騒動があった。同級生の娘を持つ母親の話だ。

「いじめたとされる生徒のお母さんはPTA会長です。会場にはいると、そのかたからのチラシが手元に配られた。『息子はそんなことはしていない』という内容の文面でした。子供同士の遊びの場面をつかまえられて、いじめだといわれることは心外だと。自分の子供を守ろうとしているのはわかりますが、かなり違和感がありました」

 事実関係について保護者に詰め寄られた学校が進退窮まり、ついに「いじめはあったとしかいいようがない」と漏らすや、この母親が「それは憶測です! 憶測でものをいわないでください!」と声を荒らげ、校長がたじろぐ一幕があった。

※女性セブン2012年8月9日号

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「いじめ庇護」に傾きすぎる報道─「勧善懲悪」が何故いけない? – 北村 隆司
アゴラ 2012年7月27日(金)18時7分配信

幼児が「火」や「熱湯」に近ついたら、理屈無しに厳しく叱り、子供に物心がついたら、真っ先に「善悪」の区別を教えるのが親としての最低の義務である。

日本の「いじめ」の直接的な原因は、親がこの義務を忘れ、「しつけ」の出来ていない「いじめ予備軍」を学校に送りこみ、「しつけ」を学校に任せ切っても当然だとする風潮が強い事だ。

子供の非行の一義的な責任が親権者にある事は、何処の国でも常識だが、何故か日本では、この常識が通じない。

賞めるべきは賞め、罰すべきは罰する「勧善懲悪」「信賞必罰」は、伝統や文化により賞罰の多寡は異なっても、万国に共通する倫理観で、これをわきまえない親が増えれば増えるほど、「いじめ」が増えるのは当然だ。

日本のマスコミが「時代遅れ」扱いする「勧善懲悪」は決して時代遅れではない。

日本のリベラルな学者とマスコミは、「いじめ」が起きると、親権者の責任を問わずに、なんでも学校の所為にする風潮も戦後日本の特徴だろう。

日本は、本当にへんてこな国になって仕舞った。

日本で「いじめ事件」が起こると、被害者は忘れられ、加害者の人権保護ばかり気にしている。これでは、「勧善懲悪」「信賞必罰」が成り立つ筈がない。

日本で「加害者の人権」が、何故これだけ擁護されるのか?

その一因は、子供を「ねた」にした金儲けや売名に忙しい「教育専門家」や「インテリ」の発言権が強い事と、その意見を取り上げて稼ぐ「マスコミ」にある。

個人攻撃は慎むのが本来だが、マスコミを利用して他人を攻撃する香山リカ先生と尾木ママ先生は例外として、「悪しき識者」の典型として取り上げてみたい。

お二人の共通点は、常識さえあれば解る簡単な事を、屁理屈をこね混ぜて複雑にしてマスコミに売り込む事と、言う事がころころ変わり、批判ばかりで対案がない事や、「権利」と言う言葉が大好きで、「義務」は常に相手方にあると主張する事である。

香山先生は、毎日新聞の「ココロの万華鏡」と言うコラムで「いじめを行う側の心も相当、ゆがめられ追い詰められている。もう一度、考えてみたい」と書いたが、具体策も無しに、こんな事を書くのが学者なら、誰でも学者になれる。

被害者の人権は一顧だにせず、加害者の人権ばかり心配する香山先生は、精神医学の先生なのか患者なのか解らなくなる。こんな「脳タリン」を教授職に置く日本は誠に情け無い。

学者が、めまぐるしくその主張を変える事も芳しくないが、尾木ママ先生に至っては、日和見どころか無節操とも言える変節の連続である。

ある都立高校長が、国旗掲揚、国歌斉唱を命じた都教委の通達の是非を教職員の挙手採決にかけて訴訟事件に発展した事件で、校長を擁護した進歩的学者、文化人の中心人物であった尾木先生は、「学校から言論の自由がなくなる」と言う小冊子でいま、教育委員会と言う組織の役割とあり方そのものが問われている。現在のような非民主的制度では、必然的に閉じられた組織にならざるを得ない。閉じられた組織というのは、往々にして異常なことをおかす傾向があり、霞ヶ関の官僚などはその典型である。閉じられた組織は。普通の市民や社会の感覚を失い、薬害エイズ問題、年金問題、食品偽装問題など、いずれも官僚の閉鎖的な体質が、問題をさらに深刻化させた典型である。もし、民間企業なら、そんな会社はとうに倒産している。と教育委員会の制度的不全をこっぴどく批判した。

かと思うと、大津市の「いじめ自殺問題」では、読売新聞の取材に応じ「今後は大津市教委ではなく、滋賀県教委や文部科学省による心のケアが必要」だと言い出し、それに呼応する様に、文科省幹部も「必要があれば指導助言したい」と息の合ったエールを交換する体たらくである。

これでは橋下市長が「インテリは何も知らず、責任も取らずに勝手な事をしゃべって、小金を稼ぐのに忙しい」と非難するのも当然である。

尾木ママ先生の変身振りには、他にも前科がある。
「留年させても府民の子どもの力をつけてもらう、という案を橋下さんが出してきたら、僕は大喝采します」と言う尾木ママ先生の提言に乗った橋下市長が、小中学校での留年を実行に移そうとすると「国際的に(義務教育での留年)は常識だけど、日本ではいじめなどデリケートな問題もあるので、『そんなにあわてないでよ』と言いたい」と再提言して逃げてしまった。 

マスコミは、いじめや自殺問題が起こる度に、「被害者の自殺との因果関係を特定出来ない」というフレーズを無批判に使ってきた。然し、因果関係を 証明できる唯一の証人が「もうこの世にいない」以上、因果関係の特定はむずかしく、又、それほど重要でもない。

質の悪い「専門家」の口車に乗せられて、この馬鹿げたフレーズを無制限に受け容れてきたマスコミは、「いじめ」の撲滅を語る資格もない。

心すべきは「いじめを行う側の心」ではなく「被害者の心」であり、加害者の親権者の責任を厳しく追及すべきである。

いじめ事件が起こる度に、加害者の親権者の責任が厳しく追求される事が慣習化すれば、親も子供の躾と行動にもっと注意深くなる事は間違いなく、やがて「いじめ」の減少につながるのではなかろうか。

学者先生がこの考えに異議があるなら、「いじめ」を起こした子供の親権者の責任を厳しく追及する「学校方針」を掲げる学校設立の自由を保障するべきである。

(北村 隆司)

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自殺報告書「いじめ経緯」記述は2行 大津市教委はどこまで腐っているのか
J-CASTニュース 2012年7月27日(金)18時22分配信

 滋賀県大津市の市立中学2年の男子生徒がいじめを受けて自殺した問題で、大津市教育委員会は事件から9か月以上経った2012年7月20日、滋賀県教育委員会に自殺に関する報告書を提出した。

 しかしこの報告書はA4判2枚、「事件等の経緯」の記述は2行というお粗末なものだった。この期に及んでなお、事実を隠ぺいしようとするような対応を取る市教委への批判の声はますます高まっている。

■「プロレスごっこなどでふざけていた」と書くのみ

 7月27日付の読売新聞などの報道によると、市教委は生徒の自殺後、県教委に口頭や書面で経緯を説明しただけで、「損害賠償請求訴訟が係争中」などとして報告書は提出してこなかった。7月19日に県教委から催促され、翌20日にA4判2枚の報告書をメールで提出したという。

 報告書は「アンケートなどで生徒3人のいじめが発覚した」とは書かれているが、暴行や嫌がらせの詳細な内容には触れておらず、「プロレスごっこなどでふざけていた」と記載するにとどまっていた。理由について市教委は「自殺の報告書で、いじめ関連は不要と判断した」と話したという。県教委は「内容が不十分」として、7月24日に差し戻していた。

 県教委によると、報道はおおむね事実で、市教委に催促したのは19日が初めて。報告書はまだ再提出されておらず、期限も決めていないが、内容が不十分のためもっと詳しく丁寧な報告書を速やかに提出するよう求めたという。

 文部科学省は06年12月に、児童・生徒の自殺などの重大事件があった場合、市町村教委に対し、県教委を通じて事件等報告書の提出を求める通知を出している。市教委の今回の対応は、この通知にも反していることになる。

■「これほど腐った教育委員会は知らない」

 これまで対応のまずさを散々指摘され、批判されてきた市教委だが、今回の対応もずさんなもので、インターネット上などでは「腐りすぎ」「馬鹿にするにもほどがある」といった非難の声が上がっている。

 なぜ大津市教委はここまで腐りきってしまっているのだろうか。

 教育委員会に対して批判的な立場を取る教育評論家の森口朗氏は、「教育委員会というものはどこまでも腐れるものだ」と指摘する。というのは、自治体の首長は教育長までは選任できるが、その他の委員会内の人事には口を出せず、役人たちの世界で決められてしまう。政治的圧力がかからない分、一度腐ってしまうとその状態が放置され続けてしまうのだという。

 そんな教育委員会の中でも大津市教委について「これほど腐った教育委員会は知らない」と話す。大津市の教育長は元教員であるが、教員上がりの教育長は良い悪いが両極端になるという。大津市がここまで腐っている要因については「何とも言えない」が、今の教育長を選任した前市長の見る目がなかったとしている。そして現市長が今後新たな教育長を選任する際、教育長のみならず、主要ポストを外部の人材で固めるくらいできなければ、市長として評価できないし、大津市教委は変わらないだろうと厳しく批判していた。

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