校門圧死事件から25年 市民らが追悼 神戸

校門圧死事件から25年 市民らが追悼 神戸
神戸新聞NEXT 2015年7月6日(月)11時29分配信

 兵庫県立神戸高塚高校(神戸市西区)で、教師の閉めた校門に1年生の石田僚子さん=当時(15)=が挟まれ、死亡した事件は6日、発生から25年がたった。事件の教訓を伝える市民グループや、同校卒業生の親ら約20人が同校前に集い、石田さんを追悼した。

 事件は1990年7月6日に発生。登校指導中だった同校の男性教諭=懲戒免職=が、午前8時半のチャイムに合わせて門扉を閉め、石田さんが頭部を挟まれ死亡した。教諭は業務上過失致死罪で有罪判決を受けた。

 同校は今月2日、校内放送で事件の概要などを伝えた。生徒たちは6日、教職員が見守るなか、普段と変わらぬ様子で登校。3年の男子生徒は「放送で初めて事件を知った。なぜ学校で人が死ぬのか、不思議に思った」。2年の女子生徒は「入学後、インターネットで事件を知った。同年代がここで亡くなったことがショック」と話した。

 校門前や通学路には、カーネーション約420本が手向けられ、集いの参加者は午前8時半に黙とうした。長男が石田さんと同学年の女性(67)=神戸市西区=は「教育現場は石田さんの死を受け止め、二度と事件や事故を起こさないようにしてほしい」と力を込めた。

 事件当時、同校の国語教諭だった女性(73)=同=は「石田さんが生きていたら、どんな風に育っていたか、いつも考えてしまう」といい、「来年も追悼に来たい」と話した。

(上田勇紀、井上駿)

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管理教育の犠牲考え続け 神戸高塚高校門圧死事件25年
神戸新聞NEXT 2015年7月5日(日)8時30分配信

 兵庫県立神戸高塚高校(神戸市西区)で1990年7月、登校指導の教師が閉めた校門に1年石田僚子さん=当時(15)=が挟まれ、亡くなった事件から、6日で25年となる。管理教育を見直す契機となり、教育現場も様変わりした。だが当時を知る人たちは「二度と繰り返さないよう、事件がなぜ起こったかを考えてほしい」と記憶を伝え続ける。6日は午前8時半から、同校前で追悼の集いがある。(上田勇紀、井上 駿)

 市民グループ「生命の管理はもうやめて!」は事件後、会報「高塚門扉」を発刊した。事件だけでなく、教育の在り方について、さまざまな立場からの意見を掲載。今年6月で第80号を数えた。

 編集メンバーの所薫子さん(62)=神戸市中央区=は事件当時、長男が同市立中学の3年生。丸刈り強制の校則に疑問を抱き続けていただけに、人ごととは思えなかった。

 グループに加わり、事件に関する裁判を傍聴した。県内の大半の学校で登校指導が実施され、神戸高塚では、過去にも女子生徒がスカートを門扉に挟まれていたことを知った。「事件が起きるまで、学校も教育委員会も管理教育を正しいと信じていたことに恐ろしさを感じた」

 80号には、子どもの人権問題に詳しい弁護士や看護師ら9人が寄稿した。所さんは「決して忘れない。命ある限り発行を続ける」と誓う。

 「神戸高塚高校事件を考える会」は、真相解明と校則見直しを求める保護者らがつくった。柴垣六郎さん(67)=同市西区=は、長男が石田さんと同級生で、直後に参加した。

 当時、約10の公立高校の校則などを調査。神戸高塚には「遅刻者は校庭を走る」という決まり事があり、他校も厳しかったという。

 84年開校の神戸高塚は生徒急増による教員不足も指摘されたが、柴垣さんは「決まり事で縛り、生徒に言うことを聞かせる最も安易な方法に頼った」と批判。学校や教委、在校生に「学校は安全で、子どもたちが生きる力を養う場所。再発防止へ、いま一度事件の背景を考えてほしい」と呼び掛ける。

 【神戸高塚高校校門圧死事件】 

 1990年7月6日、登校してきた1年の女子生徒が、午前8時半のチャイムに合わせて閉められた鉄製門扉に頭部を挟まれ、死亡した。門扉を閉めた男性教諭=懲戒免職=は業務上過失致死罪で執行猶予付きの有罪判決を受けた。

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