パワハラ教師への復讐劇で浮き彫りになった中国の「貧困差別」と「児童虐待」

パワハラ教師への復讐劇で浮き彫りになった中国の「貧困差別」と「児童虐待」
クーリエ・ジャポン 2019/1/11(金) 19:00配信

「俺を憶えているか!」

クリスマス前の中国で、若い男が絶叫しながら初老の男を執拗に殴打する動画が拡散し、衝撃が広がった。動画は、20年前に中学生だった元生徒が当時の担任に「復讐」する内容で、当初は元生徒の暴力行為に非難が殺到。だがほどなく、逮捕された彼の釈放を望む声が高まる。その理由とは……。

20年前の恨みが路上リンチで爆発

ネットでまたたく間に拡散されたのは「卒業後、かつての担任教師にビンタで報いる」と題した1分9秒の動画だ。投稿した男は浙江省杭州市に住む33歳の経営者、常仁堯。彼は7月に河南省欒川県へ帰省した際、幹線道路上に車を停めて友人と2人で元担任を待ち伏せした。

通行中にいきなりスクーターを止められ、何ごとかと訝(いぶか)しむ元担任に「てめえは張清林だな!」と凄む常仁堯。「そうだが……」と答えるや否や、常仁堯は「俺を憶えてるか! おいどうなんだよてめえ! 憶えているか!」と詰め寄りながら張清林を激しく平手打ちした。

51歳の元担任・張清林は突然の事態に狼狽し、うつむき加減に「すまん、憶えとらん」とつぶやく。すると常仁堯は鬼の形相で「ああああああ!? 昔、俺をいたぶったことは憶えてんだろ! 十数年前のことだが!」と叫び、侮蔑語を交えながらさらに激しく殴りかかった。張清林はされるがままになりながら、小声で何度も「対不起(ごめん)、対不起……」と繰り返すのが精一杯だった。
      
河南日報系のポータルサイト「大河報」によると、張清林が勤務する欒川県実験中学は翌日、ネット上で大騒ぎになっているくだんの動画について、「殴られている男は当校の教師だ」と発表。校長の名義で管轄の派出所に告発状を提出した。事件は夏休み中に起きたため学校は把握しておらず、張清林も沽券に関わると思い黙っていたため、発覚が遅れたという。

学校は公安機関に対し、事実の究明と加害者の処罰・法的責任の追及、および損害賠償の支払いや当該動画の削除などを求めた。学校は「ネットに公開された動画はごく一部で、長さは約20分」と述べたが、常仁堯は「9分20秒」と反論している。

常仁堯はコミュニケーションプラットフォーム「百度貼吧」に「(自身の母校でもある欒川県実験中学の)すべての先生方にお詫びします。あなた方はよい先生だった。ただひとり、張清林を除いてね」との書き出しで事件のあらましを投稿した。

20年前の1998年、常仁堯は中学2年生で、当時31歳だった英語教師の張清林は常仁堯の担任だった。常仁堯は山間部の農村に生まれ、幼少時に両親が離婚したため学費にも事欠くことがあるほど貧しかったことから、張に目をつけられては執拗な差別と嫌がらせを受けていたという。

「授業中につい、うとうとしかけると、張は私を教壇の下に土下座させて何十回と頭を殴った。別の理由で、動けなくなるまで足蹴にされたこともある。彼は暴行を始めると自制心が効かなくなり、その行為はいつも執拗を極めた。当時受けた体罰はトラウマとして脳裏に焼き付き、私を長年苦しめている。そして私はいつしか、張への復讐を誓うようになった」

常仁堯は20日に杭州市内の駅で逮捕された。故郷の欒川県雷湾村へ戻って警察に出頭するため、高速鉄道に乗ろうとしていたところだった。

立志伝中の篤志家に

地元で常仁堯は、すこぶる評判がいい。

トラウマを抱えながら勉学に励んだ彼は2008年、苦学して河南省鄭州市内の軍事大学を卒業。2011年に杭州市でネット企業を立ち上げ、電子商取引(EC)大手サイトで婦人服などの衣料品を販売し成功する。酒もタバコも博打もやらず事業に励んで縫製工場も経営するようになり、結婚後は1女にも恵まれた。

大学に進学する際、遠縁から生活費3000人民元(約5万円)の支援を受けた経験のある常仁堯は、在学中から、生まれ育った雷湾村で困難な状況下にある人びとを支援するようになったという。高校時代の恩師が心臓バイパス手術を受けるため卒業生がカンパを募った際は、ひとり平均300〜500元(約5000〜8000円)を寄付したが、大学卒業から間もない常仁堯だけが1万元(約15万7000円)を差し出した。

実父の常天長は地元メディアの取材に対し「2016年に隣家の住民が運転中に過失致死事故を起こしてしまい、息子は貧しい加害者に代わって賠償金10万元(約150万7000元)を支払った」と証言している。

貧しい児童の就学、高齢者の難病治療、若者の起業、荒廃地の緑化などにも惜しみなく支援を続け、友人知人に貸与した金額だけでも数十万元以上にのぼる。

雷湾村の村民は2017年11月に村主任(村長)を改選する際、常仁堯に就任を要請。「故郷へ戻って村のリーダーになってほしい」と話すが、彼は「張清林を見かけた場合、俺はヤツに何をしでかすかわからないから……」と言って固辞したという。

常仁堯の逮捕からほどなく、雷湾村の若者20〜30人が派出所に詰めかけて警官を取り囲み、常仁堯を助けてほしいと訴える。そして23日までに村民約150人は連名で、常仁堯の早期釈放を望む嘆願書を提出。その書面には、誰がいつ、どんな理由で彼からいくらの支援を受けたのかが、びっしり書き込まれていた。

常態化していた「虐待」

欒川県実験中学の校長は被害者の張清林について「温厚な教師で生徒による評価では満足度が高く、誰ひとりとして彼に殴られた生徒はいない」と説明する。

だが同級生たちは相次いで、張清林の「暴力性」を実名で証言。その数は10人以上に上った。

章寧雅は、何かがきっかけで激怒した張清林が常仁堯ともうひとりの生徒を黒板の前に立たせた光景が忘れられないという。ひとりには椅子を高々と頭の上に持ち上げさせ、常仁堯にはバンザイの格好をしたまま襟から背中に重い木の板を差し込んで1時間、直立不動を命じた。

徐林も張清林から激しいビンタを浴びせられたことがあり、その跡はモミジのように腫れ上がった。李毅と呂智則は、狂ったように常仁堯を足蹴にし続ける張清林を見ながら「常軌を逸した変態だ」「家で女房に怒鳴られているから生徒でウサ晴らししているに違いない」などとヒソヒソ話をしたことを憶えている。

劉石の証言も聞くのが忍びない。常仁堯は図書室で借りたSF小説『海底2万マイル』を意地悪な級長に没収されてしまうが、ある日、司書から返却を催促された。紛失した場合は買い直すか定価の3倍の罰金を払う規定で、常仁堯はあちこちの書店を回って同じ本を探すが見つからない。翌日登校すると、彼の机と椅子だけが図書室の脇の廊下に移されていた。張清林は常仁堯に向かって「カネがないなら登校するな」と言い放ったという。

1998年当時、欒川県実験中学には生徒への日常的な虐待から、影で「四大暴君」と呼ばれた4人の悪名高い教師がいて、証言者の誰もが「筆頭格は張清林だった」と口を揃える。

傷害罪で逮捕された常仁堯には今後、何らかの刑罰が科せられる可能性が高い。ただ雷湾村の村民たちは、彼の不遇な生い立ちや数々の善行が情状酌量の好材料になるはずと信じているようだ。

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