体罰〜県内・指導の現場[1] 苦悩する現役教師
山形新聞 2013年5月1日(水)10時1分配信
「現場では、体罰は絶対悪という意識が浸透している。社会問題になっているからといって、混乱も動揺もない」。村山地方の小学校に勤務する40代男性教員はこう言い切る。社会が体罰に寛容だった時代に何度も教師に殴られた。「自分の経験から断言できるが、体罰で得られるものは何もない。体罰は指導力がない証しであり、プロとしてあり得ない」
それでも現実には体罰の発覚が続く。「一部の例外的な行為で『火のない所に煙は立たない』と受け止められるのは心外だ」。教育界全体に体罰が根を張っていると思われることへの歯がゆさは隠せない。
今春、教員として一歩を踏み出した女性は、多感な成長期に暴力的言動で生徒を威圧する教師に対して覚えた恐怖心と不信感を鮮明に記憶している。授業態度の悪い生徒につかみかかる教師の姿。「この先生には何を言っても、どんな行動をしても力でねじ伏せられてしまうのだろうなと感じた」。自分が体罰を振るうことは想像もできないが、「言葉の暴力に関して特に注意して指導に当たっている」。あの時の教師が文字通りの反面教師だ。
文部科学省は「身体への侵害、肉体的苦痛を加える行為」を体罰と位置付けるが、給食時間が過ぎても児童生徒を食べ終わるまで教室に残すといった行為も含まれる。県教育委員会の調査でも児童生徒からの目撃事例として報告があった。保護者の同意を得た上での指導であり、体罰には該当しなかったが、周囲からは体罰の可能性があると見られていた。
給食指導における体罰の解釈については現場の不満が大きい。最上地方の40代男性小学校教員は「将来の健康を考え、今のうちに偏食を直してあげようと思って苦手なものを食べさせることが体罰とされるのは違和感がある」と話す。別の小学校教員は「食物アレルギーに十分注意を払った上で、嫌いなものでも時間をかけて食べさせることがある」という。だが、「子どものためによかれと思ってやる指導が、親の価値観が多様化している最近は『無理やり食べさせられた』となってしまう。理不尽だ」
学校教育は時代の空気と連動する。30代女性高校教員は「自分たちが生徒のころはビシビシ指導されて当たり前。『先生は自分たちのために厳しくしている』と思って育ったが、今は当時とは違う」と社会の変容を受け止める。ある小学校長は語る。「保護者の中には『たたいてもいいから、きちんと指導してほしい』という人もいる。だからといって、たたいていいわけではない」。社会の一部に体罰を容認する声があるのも事実だが、教育現場でそれに甘える声はない。
「腕をつかんで整列させることも体罰と取られかねない」「怖くて『廊下に立ってろ』なんて言えない」「子どもの体には触れないようにしている」。県内の教師の言葉からは児童生徒との接し方に神経質になっている様子もうかがえる。
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県教委は30日、体罰に関する実態調査の結果を公表した。体罰が社会問題化する中、県内の教師と元教師、スポーツ指導者らはどんな思いで児童生徒と向き合っているのか。本音に迫る。(体罰問題取材班)