吉原で遺産を溶かした"ただのぼんぼん"ではない…「鬼平」長谷川平蔵が誤認逮捕の相手にした尋常でない対応

池波正太郎の小説や時代劇でおなじみの「鬼平」こと長谷川平蔵宣以。その若き日の姿が大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(NHK)で描かれている。作家の濱田浩一郎さんは「宣以は時代劇のイメージどおり粋で気前の良い江戸っ子だったが、幕府のリーダーが田沼意次から松平定信に代わる間に出世を目指し、政治に翻弄された」という――。 ■時代劇でおなじみ「鬼平」の若き日の姿が大河ドラマに 横浜流星さん主演の大河ドラマ「べらぼう」において「鬼平」こと長谷川平蔵宣以(はせがわへいぞうのぶため)を演じるのは、歌舞伎役者の中村隼人さんです。平蔵は初回から登場していましたが、吉原遊廓で蔦重や花魁・花の井(小芝風花)らにカモにされて散財する旗本のお坊ちゃまとして描かれていました。どこか憎めないキャラクターのように筆者には感じました。 池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』の主人公であり、火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためがた)(江戸市中を巡回し、放火・盗賊・博打の取り締まりや検挙を担当。以下、火盗改と略記することあり)として活躍する宣以の意外な姿に驚いた読者も多いのではないでしょうか。後述するように宣以は家督を継いでから父の遺産を遊郭で使い果たすことになるのですが、青年時代も放蕩無頼の生活を送り「本所(ほんじょ)の銕(てつ)」とあだ名されたといいます(宣以の幼名は銕三郎で、本所に住んでいたことに拠る)。 宣以はどのような人物だったのか、更に見ていきましょう。宣以が生まれたのは、延享2年(1745)のことです。父は長谷川平蔵宣雄(のぶお)であり、母の名は不詳。宣雄は旗本であり、火付盗賊改を務めていました。つまり、親子とも同じ役職に就いた訳です。宣雄が火付盗賊改となったのは、明和8年(1771)10月のこと。その翌年(1772年)には、「べらぼう」の冒頭で描かれた「明和の大火」が発生し、死者約1万400人という甚大な被害をもたらします。 ■火付盗賊改の父は「明和の大火」の放火犯を捕まえた 宣雄はこの火災は放火だと見て、与力・同心を投入し、捜査を開始。出火元の江戸郊外、目黒行人坂の大円寺周辺の捜査により、武蔵国熊谷無宿・長五郎(真秀と名乗る願人坊主)を捕縛し、ついに放火を白状させるのでした。自白によると長五郎は、盗みをしようとして大円寺に放火したと言います。拷問による自白で事件に決着を付ける火盗改が多い中(当然、冤罪が多数発生)、宣雄は自白だけで納得せず、大円寺での現場検証、寺住職にも聞き取りを行おうとしたのです。 しかし、住職は寺再建の勧進のため留守でした。よって宣雄は「真秀の口ばかりでは、虚実のほどが疑わしい。私ばかりの吟味では判断できないので、奉行(町奉行)へ引渡したいのですが」と老中・松平武元(「べらぼう」で石坂浩二が演じる)に願い出ているのです。武元は宣雄の取り調べがしっかりしていることを理由にして、町奉行への犯人引渡しを却下、犯人の長五郎は同年6月、火炙(ひあぶ)りの刑に処されます。「鬼平」の父の誠実な人柄というものがこの逸話から分かるでしょう。現代においても警察が冤罪を作り出すことがありますが、長谷川宣雄を見習ってほしいものです。

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