豊臣期の武家屋敷跡、掘りすぎた… 大阪市教委
産経新聞 2012年3月22日(木)17時9分配信
大阪市教委は21日、大坂城(大阪城)天守閣の西方約1・5キロにある豊臣期の武家屋敷跡(同市中央区)の発掘調査で、職員が掘削業者に深さを誤って指示したため掘りすぎるミスがあり、大坂夏の陣の焼土層など一部区画約500平方メートルが調査不能となったと発表した。掘削時に職員は立ち会っていなかったという。
市教委によると、掘削は昨年10月に重機で実施。40代の男性主任学芸員が「地表から深さ1・9メートルまで掘ってほしい」と指示した。
ところが調査地(約1200平方メートル)は北側が南側より約1メートル低い地形で、南側を基準とした指示だったため、北側を中心に40〜90センチ掘りすぎた。これまでの調査では深さ1〜2メートルの地点で慶長20(1615)年の大坂夏の陣の焼土層を確認。今回、さらに掘り進む予定だった。市教委は「立ち会っていれば防げた。申し訳ない」としている。