【本庄保険金殺人】「3月になったら出るよ」…逮捕から25年が経った八木茂死刑囚の”近況と肉声”

「社長、次の会見はいつですか~?」 ’00年3月26日、送検のため埼玉県警本庄署の外階段に姿を現した八木茂死刑囚(75・逮捕当時50歳)に報道陣はこう呼びかけたーー。 ◆愛人に偽装結婚させた相手男性2人が不審死 本庄保険金殺人の主犯格とされる八木は、自身が経営するパブのホステスで愛人でもあった3人の女性T、M、Aを常連客と偽装結婚させ、総額15億円もの多額の保険金をかけた。その常連客のうち2人が不審死し、1人には保険金3億円が支払われた。 八木はトリカブトや風邪薬、多量の酒を飲ませて偽装結婚させた常連客を殺害したとされ、2件の殺人と1件の殺人未遂で’08年7月に死刑が確定している。共犯者として逮捕された3人の愛人のうち、Aはすでに出所。Mは’09年に刑務所で病死。無期懲役のTは現在も服役中だ。 だが、当の八木は一貫して無罪を主張。いまも再審を請求している。 まだ疑惑の段階で八木がマスコミ相手に「有料記者会見」を開き、連日その映像がテレビで流れたことがこの事件を有名にした。1999年7月13日に始まった「記者会見」は〝1次会〟が元フィリピンパブだった店舗で八木がマイクを前に質問を受ける1人6000円の記者会見。〝2次会〟は、八木が経営する居酒屋に場所を変えて行われた。こちらは1人3000円飲み放題で懇親会とも呼ばれた。 八木は水商売が長いだけあって、客あしらい、もとい、マスコミの扱いが上手だった。テレビカメラの数が減ってくると、「今日は人が少ないからサービスしようか」とステージに上がってカラオケを披露した。その映像が流れると、「社長(八木)、今日はカラオケは歌わないんですか?」とテレビカメラが押し寄せた。適度にマスコミが欲しがるような映像を提供していた。 ◆4人の男が「天誅!」と叫び… なかでも筆者にとって忘れられないのは、4人組の暴漢による襲撃事件だ。あるとき、マスコミでごった返す居酒屋をスーツ姿の男性4人が訪れた。そのうち1人が空になったグラスをテーブルにたたきつけて「天誅!」と叫ぶと、八木に襲いかかったのだ。男は八木を店の外に引きずり出し、近くに停めていた車に乗せようとした。当然、マスコミも後を追いかけ、車を囲むのだが、それ以上の手出しはできない。 ちょうど八木のそばにいた筆者は“このままでは八木が拉致される”と焦り、とっさに彼を抱いて逃げた。「八木さんが殺される~」と叫ぶ八木。居酒屋まで追ってきた暴漢は入り口のガラス戸を蹴りまくって、店内にはガラスの破片が飛び散った。 数日後、筆者が八木を抱いて逃げている写真が目線なしで『フォーカス』に掲載された。『FRIDAY』には小林俊之記者が撮影した、腕から血を流す愛人Aの写真が載っていた。記者になりたての筆者が慌てふためいている間、現場の記者やカメラマンは冷静に写真を撮っていたのだと知り、あらためて写真誌の怖さを痛感したのだった。 「有料記者会見」はマスコミの数が減ってからは居酒屋だけでの開催になったが、’00年3月24日に八木が逮捕されるまで約200回、開かれている。現在、八木はどうしているのだろうか? 当時、現場で取材にあたり、いまも定期的に八木と面会を続けている小林俊之記者が八木の近況を話してくれた。 ◆八木死刑囚の近況 「八木さんは『俺は無罪だ。やってない』といつも話していて、会うたびに、『小林さん、そろそろ(外に)出るよ』と言ってるよ。いまの八木さんは肩まで伸ばした白髪をひとつに縛り、あごひげも伸ばして、事件当時とはまったく風貌が違う。本人は気に入ってるみたいで、『出たら、これで本庄に帰る』と言ってたね。 体も健康そのもので秘訣はヨガ。まだ朝、暗いときから起きて部屋でヨガをやっているらしい。以前は会いに行くと、面会室の椅子からおりて、『どうだい』って床でヨガのポーズをはじめるもんだから大変だったよ。職員も困った顔でこっちを見てるしさ。 拘禁反応も見られず、精神的にも安定してるみたいだけど、’09年に愛人のMが病死したときはさすがにショックだったんだな。目もうつろで、様子がおかしかった。あとは、本庄にいる共通の知人の近況とか話してる」(小林氏) 冒頭の送検の場面――報道陣の呼びかけに八木は両腕を上げ、こう答えた。 「近いうちに、またやるよ」 あれから25年が経った。 再び「有料記者会見」が開かれることはあるのだろうか。 (文中敬称略) 取材・文:中平良

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