実名報道を考える 第4回 公的機関が知り得た情報を隠すことの危険性
FNNプライムオンライン 2020/8/7(金) 19:01配信
2019年7月18日、京都アニメーション第1スタジオに当時41歳の男が侵入し、ガソリンで放火した事件では、社員36人が死亡するなど、国内では過去に例を見ない大惨事となりました。
この事件を巡っては、実名報道の是非が各方面で議論されました。また、最近では、行政機関も、個人情報への行き過ぎた配慮から、実名で発表しないという問題も起きています。
なぜ実名報道は批判されるのか、それでも実名報道が大切だと言うのならば、それはなぜなのか。このことを考えるため、プライムオンラインでは、これまで犯罪被害者支援弁護士フォーラムの弁護士(第1回:�盒鏡疑擁杆郢痢法�犯罪の被害者遺族(第2回:猪野憲一さん、京子さん、第3回:高羽悟さん)、それぞれに実名報道についてのお考えを聞いてきました。
今回は大学の研究者の立場から実名報道についてのお考えを聞きます。専修大学人文・ジャーナリズム学科 山田健太教授のご意見は3回に分けて掲載します。
感情論や雰囲気で“隠す”ことが一般化
ーー先生は実名報道を大切だとお考えですね。新聞記者を辞めたあとに大学の先生になった人が「実名報道の大切さ」を話されることはよくあります。でも、それは身内の意見とみられかねません。しかし、先生はジャーナリズムの現場にいらっしゃったわけではないですよね。ある意味、中立な立場かと思います。そんな先生が、実名報道について意見を発信されているのはなぜでしょうか?
山田健太教授:
大学の研究者のなかでいえば、私は法律ベースでジャーナリズムをみている者で憲法系ですけど、表現の自由を研究している人なら、実名報道が大切だと考える人は少数派ではないと思います。考えに濃淡はありますが、大抵の人は実名報道が必要だと考えていると思います。
そもそもジャーナリズムの大原則は、実名か匿名かではなく、事実を報道することです。
事実を報道するということは、「名前」も事実の1つですから、報じることが前提なのです。その上で、ではどういう形で人権に配慮するか、それはまた別の話です。報道に際し人権に配慮するのも、あまりにも当たり前の話です。
そして真相を追及し、事実をきちんと正しく社会に伝えるために、名前もそうですし、その人の住んでいたところもそうですし、すべてできる限りたくさんの情報が入手できることが必要です。その1つとして、公的機関が保有する基礎情報が報道機関(もしくは一般)に提供される環境がなければいけないと思います。
そこで大切になってくるのは、公的機関が職務で入手した情報は公的資源であって、原則すべて発表する、ということです。これが事実を報道する上で重要なのです。
その発表レベルは、海外に比べると日本は特段に低いということです。一番顕著な例で言うと、裁判記録。日本の場合、刑事裁判の記録は事実上、全面非開示です。でも海外では公表が当たり前です。日本の場合、「非開示」と法律には何も書いていないどころか、原則公開といっている。それなのに現実には記者が開示請求すれば、「プライバシー」の一言で全部非開示です。日本は情報の開示の仕方が非常に遅れているわけです。
これは裁判に限ったことではないです。現在進行形のコロナ禍でも同じことが起きています。海外では、例えば新聞が1面をつぶして実名顔写真付きで死者を悼む特集しているのに、日本では亡くなった方の名前がまったく公開されませんよね(本人が公表した場合を除く)。
公権力側が名前を発表しないことや、事実をいわば「隠す」っていうことが増えてきていて、しかも公表しない理由をきちんと言わない。
なんとなく「プライバシーだから当然でしょ」、「被害者がかわいそうだから当然でしょ」という、ある種の感情論であるとか、雰囲気の中で理由が明確でないままに公権力側が事実を公表しない、隠すという状況が一般化している。このことは非常に今、大きな問題です。単に実名・匿名の問題を超えてしまっている。本当にあぶないことです。
教員の性犯罪はほぼ匿名発表…隠れてしまう「犯罪事実」
ー―あぶないとの指摘ですが、名前を含め、公的機関が知り得た情報を発表しないことどんなことが考えられます?
公的機関の権力行使に関わることだからです。権力行使の結果、捜査したり、逮捕したり、起訴したりするわけです。その権力行使の状況が見えなくなってしまう。公的機関の権力行使についてはきちんと100%開示するということを原則にしないといけないです。
特に、最近多いのが教員の性犯罪。ほぼ匿名発表です。学校名も出ないことがある。理由は、「被害者特定の可能性がある」です。教育委員会は、懲戒以上の処分についてはすべて情報公開の対象にすべきだと思います。
報道発表の場でメディアに詳細な情報提供をしないということになると、本当に世の中にまったく出てこないことになります。隠されてしまう。そのような「犯罪事実」があったことすら分からなくなる。
そしたら、性犯罪の過去がある教員が別の学校で教師を続けているかもしれません。逆に冤罪の場合もあるかもしれないし、教育委員会の処分が間違っている場合もあり得ます。さらに、教育現場の構造的な問題が放置されたらもっと問題です。誰も問題を検証できなくなります。まずいですよね。
この「隠し癖」は名前だけではありません。川崎市の市民ミュージアムは、2019年の台風19号で水没しました。収蔵品が約26万点。このうち修復が不可能なものがどれくらいあるかなど当初、公表していませんでした。被害額もいくらになるかまだ公表していない。先ほどの教育委員会もですが、なにか都合が悪いから隠すのではないですか。
※編集部注)川崎市に取材したところ、最終的に修復にいくらかかるか現時点で見通せず、被害の総額はまだ算出できないとのこと
だからこそ、行政は都合が悪いことを隠す性癖があるということを分かった上で、そうさせない仕組みをつくっていかなければいけない。その1つが情報公開だし、もう1つがメディアのチェック機能です。
でも、行政が報道発表をしない、あるいは発表しても匿名にする、といったことを認めることは、メディアはチェックをしなくていいですよと言っているようなものです。日本はそもそも情報公開に消極的な国ですから、これがより消極的になり、不透明な社会になってしまいます。それでいいんですか?それで困るのは誰ですか?みなさん、それでいいんですか、という話です。社会全体の不利益ですから。
(執筆:フジテレビ報道局 吉澤健一)